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ニュースの現場で考えること

前回の「そのとき、記者は逮捕された」の続きです。

この前のエントリで、事実関係を思い切りボカして書いたのは、「ソースとの信義の問題」があるからだ、と説明しました。それは今も変わりません。ただ、もう少しだけ補足しますと、以下のようなことあったようです。ただし(4)は判然としない部分もあります。


(1)当該記者が取材しようとしたのは、政府高官に金品を贈ったとされる人物だった。

(2)記者がインタホンを押した際、その人物も含め誰も居なかった。その人物はすでに警察の聴取を連日のように受けており、警察に囲われる形でずっと別の場所に居たらしい。住居侵入の被害届けは、警察からの要請によって実現した可能性がある

(3)当該記者が「警察担当から外す」といわれたのは、「逮捕」の翌日で、その後、数週間、本人は半ば強制的に休暇を取らされ、その間に社内で「処分」されたらしい。処分を決めるに際し、社内で弁明の機会は無かったらしい。

(4)警察記者クラブに当該記者が出てこなくなった際、そのクラブでは記者が担当を外れた理由について、全く別の、事実無根の「ウワサ」が流された。


ということで、もうこれ以上、私がオープンな場で付け加えることはありません。いくら私が具体的に事実関係を承知しているつもりでも、どこかに齟齬がある可能性もゼロではありませんし、詳しく書くと匿名にする意味がありませんので。。。結局、あとは、当該記者本人、およびこの会社の編集幹部がどう説明するかだと思います。
by masayuki_100 | 2005-06-24 14:22 | ■社会

(以下は実話である。もちろん、肝心の要素はいくつかボカシている。ここに記すかどうかということ自体で、ずいぶんと悩んだ。しかし、こうした「事件」を闇から闇へと追いやることは、決して得策ではないし、日本のメディア全体の問題なのだ)

昨年秋のことだ。

道外のある警察記者クラブに所属する30代の記者が、ある夜、事件関係者の自宅に取材に出掛けた。警察による立件が間近に迫っていた時期だ。

時刻は午後7時半ごろ。記者が玄関のインタホンを押したが、返事がない。そこで、しばらくインタホンを押したり、少し中を伺うようにしていたという。そのとき、どこからか民間警備員がやってきた。何をしているのかと聞かれたものの、それを説明すればその家が事件関係者だと分かってしまう。すると、警備員があらかじめ呼んでいたのか、ほどなくしてパトカーが2台到着した。バラバラと警察官が降りてくる。

その記者は警察担当であり、いわば「仲間意識」で警察官に事情を話し、記者証(通行証)も提示した。ところが、警察官は「ちょっと、来るだけ来てもらえないか」と言う。そして記者は、警察署にパトカーで同行した。たぶん、それが夜8時過ぎだった。署内で記者は時折、談笑もしたと言い、険悪な雰囲気は何も感じなかったらしい。

ところが、その後、警察官は調書を取り始めた。そのうち、「住居侵入で被害届けが出た」と知らされた。完全に「被疑者」としての扱いである。「帰ろうと思えば帰れたと思う」と記者は振り返るが、一方で「それを言い出せる雰囲気ではなかった」とも言う。何回か調書を取り直し、これでいい、という段階になったのは、午前3時過ぎだったと記者は記憶している。部屋(取調室?)から出て行くと、署のロビーにデスク(上司)が居た。特段の抗議もしなかったらしい。「きょうはこんな時間になったから、出社は午後でいいよ」と言われ、記者は帰途についた。

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by masayuki_100 | 2005-06-21 08:28 | ■社会

ブログと社会

最近、いろんなところで、「なぜブログは現実の政治や社会に影響を与えることが出来ないのか」といった議論に遭遇する。それに伴って、「実名と匿名のどちらが信憑性があるか」といった議論も依然続いているようだ。

匿名か実名かの議論については、私はもう結論を出しているので、私自身の考えはここでは再掲しない。ただ、「ネットやブログがなぜ政治や社会に影響を与えていないか」という問題の立て方については、少し意見があるので、書き留めておきたい。

そもそも、「(日本では)ネットやブログがなぜ政治や社会に影響を与えていないか」という設問の立て方について。

たぶん、こういう問題の立て方をされる人は、非常に失礼な言い方ではあるが、現実の社会のありようが十二分に見えていないのではないかと思う。ネットは現実の社会に対し、非常に大きな影響をすでに十分に与えているのである。そして、その度合いは日々、まさに今、拡大を続けている。ネット使用の商取引から企業・官庁のPR、各種データベース、数々の個人HP・ブログ、政党・政治家のそれ、、、。もう、それらは数えきられないほどだ。

だからこそ、ブログでも日々、政治・社会・教育・経済・災害情報等々、ありとあらゆる分野で「議論」が行われている。その集積はやがて、毎日の暮らしの中でのモノの考え方、そして選挙や種々の社会活動の際、人々の行動に大きな影響を与えるはずだし、今も現に与えていると思う。私はそう解釈している。

例えば、少し前のエントリで浜岡原発のことを記した。それに関して言えば、ストップ浜岡原発@ブログというブログがあって、これがなかな力が入ったブログなのだ。さて、このブログは社会に影響をどの程度与えているのか、いないのか? おそらく、外野からでは、それは測定不能なのだと思う。「影響を与えたい」と思って開設した、そのことが「ブログによる発信」では大切なことではないか(もちろん社会に影響を与えたいというブログばかりではない)。そういったブログ=情報発信の集積が、他の媒体の影響力、種々の社会的な運動等々と絡み合い、いろんなものを動かしていく。それが、「世論」というものだと思うし、世の中はそういう風にできている。

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by masayuki_100 | 2005-06-20 13:27 | ■社会

以前のエントリ逮捕の公表法制化は必要かの中で、こう記したことがある。

 逮捕権の濫用を防ぐ等の意味からいえば、逮捕公表の制度化よりも、もっと必要なのは「密室司法」「暗闇司法」などと形容される、捜査段階での密室性の排除です。刑事裁判でいつも問題になるのは、自白調書の任意性・信用性の問題です。これを防ぐには、密室の中での取り調べに風穴を開けるしかありません。つまり、起訴前の被疑者に国選弁護人をつける。これが一番、有効ではないでしょうか。あるいは、欧米のよに任意性を担保するために、取り調べの状況をすべてビデオ収録しておくことも有効かもしれません。
 被疑者段階での取り調べに弁護士を、などというと、「被疑者の人権ばかり守ってどうする」といわれそうですが、人権は被疑者も被害者も守らなければならないのです。また、強圧的な態度で取った調書は、有罪無罪は別にして、事件の真相解明の妨げ(動機の解明)になるような気もします。


「名張毒ぶどう酒事件」の再審決定のニュースを見ながら、「密室司法」の後進性を思わずには居られなかった。密室で強圧・脅迫的態度の下で得られた調書は、任意性に乏しい。有罪が確定すれば、今の社会ではすべて良しとされてしまう空気があるが、刑事事件の公判が「犯罪者を裁く」という意味だけでなく、公判を通じて社会が当該事件から何らかの教訓を汲み取るのだという意味においても、任意性に乏しい調書は問題なのだ。冤罪の原因だから、という理由だけではない。

来年度からは、起訴前の被疑者に対する国選弁護人制度が始まる。数年後には裁判員制度も始まる。そんな中で、「密室司法」だけを放置しておいて良いのだろうか。沖縄で米軍兵士による犯罪が起きた場合、その身柄引き渡しをめぐって日米双方がよく揉める。日本警察に一義的な捜査を認めない日米間の協定には大いに問題があるが、しかし、米側が時々口にする「日本の取り調べの仕組みは閉鎖的・一方的で、先進国とは思えない」といった主張自体は、あながち的外れではないと思う。

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by masayuki_100 | 2005-04-08 03:11 | ■社会

私のお気に入りのブログ「5号館のつぶやき」さんが最近、投資のお誘いというエントリを立てていました。投資の勧誘電話がよくかかってくるけれど、いったいだれが名簿を流しているんだ!と怒ってしまった、、、という内容です。

その話を読みながら、数年前のことを思い出しました。

闇金融業者は全国至るところに「顧客」(大半は他で借りることの出来ない多重債務者です)を持っており、そうした名簿を元に片っ端から電話して、明日の1万円、2万円がほしい人に無理やり貸し付ける(押し貸し)わけですが、その関連取材で東京・上野に行き、金融業者を訪ねたときのことです。そのうちの一軒で、20代半ばの経営者に会いました。事務所では20人くらいが電話を握り締め、全国にかけまくり、「お要り用ではありませんか」と優しい声を出したり、「もう待てねえなんだよ」とすごんだり。アップテンポの曲が事務所中に流れ、騒然とした雰囲気です。

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by masayuki_100 | 2005-02-23 18:27 | ■社会

「彼」は怯えている

(以下の話は事実だが、「彼」の属性等はいっさい明らかにできない。)

彼が事件にかかわったのは、十数年前のことだ。まだ若かった。何人かで女性を取り囲み、乱暴を働き、それが事件となった。「何人か」はいずれも警察に逮捕され、所定の手続きを経て有罪となり、彼も刑に服した。彼自身は「自分は脇役だった」との思いもあったが、この際、そんなことは関係ない。被害者にとっては、彼も「何人か」も同じ狂犬であったし、彼も脇役だったからといって、何かを許してもらおうと思ったわけでもない。

出所後、彼は懸命に働き、事件の記憶も遠のいていた。

その「彼」には、すでに家庭があり、子供もいる。きちんと働き、職場で一定の評価も得ている。だが、彼は「怖い」と、怯えている。奈良県の幼女殺害事件をきっかけに、「性犯罪者」情報公開の動きが急速に高まってきたからだ。法務省と警察庁の動きを詳しく承知しているわけではない。それでも、「もしかしたら、自分の過去が周囲の人に知られてしまうのではないか」と、突然、心配になったという。いまの職場の人はだれも、自分の過去を知らない。彼自身は事件を悔い、法に定められた刑に服し、そして更生したと思っている。それなのに、今になって、「過去」を暴かれるのだろうか、と。

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by masayuki_100 | 2005-01-31 03:33 | ■社会

「哀れな国」の意味

ガ島通信さんのブログの最新エントリ「日本は哀れな国・・・」を読んできました。きのう最高裁で判決があった「国籍条項訴訟」に関する話です。管理職試験の受験を拒否された韓国籍の東京都職員(保健所勤務の看護師)が、法の下の平等を定めた憲法に違反すると訴えていた訟で、最高裁大法廷が「合理的な理由に基づく区別なので合憲」との判断を示した、というニュースです。

判決を詳細に読んだわけではありませんが、私自身は、地方公務員法が外国人の採用を禁止していないこと、労働基準法等が国籍を理由に差別的取り扱いを禁じていることをなどをこの判決が再確認したことの方が大きいのではないかと。地方行政は国の重要政策の一翼も担う半面、行政「サービス」の提供部分も業務の相当を占めるわけですから、そういった実態を考えると、判決は「あとは自治体の裁量だ」と言っているのではないかと思います。

最高裁判決が今回このような判断を示したからと言っても、現実には外国人を管理職に登用している自治体はすでにいくつか存在します。裁判のプロではないので、詳しい法解釈はできませんが、今回の判決は、この訴えの元になった個別具体的な事柄への判断であって、自治体全般の裁量権を否定したものではない、のではないかと(詳しい方いたら、教えてください)。

で、ここまでは前置きです。

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by masayuki_100 | 2005-01-28 03:28 | ■社会

「署名で書く記者のニュース日記」は共同通信編集委員によるブログである。この手のブログでは古手だと聞いて、閲覧していたら、こんな記述にぶつかった。2004年4月14日の「人質事件のいらだち」。筆者は伊藤圭一氏。少し古いが、「??」と思った後半部分を引用する。(下線をつけたのは私)

 人命は重い。日本には「人命最優先」「人道的見地に立ち」という言葉の前には、どんな議論もはばかられる雰囲気がある。しかし、人命は地域や経済的背景によって「価値」が異なるのも事実だ。世界中の命が平等に扱われているわけではない。事件には「価値の高い日本人」が狙われたという側面も垣間見える。「人の命はどれも大切で平等だ」というぼくらの中の理想と「不平等」な現実とのギャップにもいら立ちの根がある。

世界中で命が平等に扱われているわけではない。それは事実だ。しかし、その前段の・・・しかし、人命は地域や経済的背景によって「価値」が異なるのも事実だとは、どういう意味か。文章は平等か否かを軸につづられているので、この場合の「・・・価値が異なる」は、高い低いの差を指しているようにしか読めないが、そういう発想には、まったく持って、驚いたとしか言いようがない。

30歳の男性で身長も体重も頭脳の程度も同じ人間が仮に2人いたとして、彼らがそれぞれ米国とインドに住んでいたら、どっちの「命の価値」が高いのか? 社長とヒラではどっちの「命の価値」が高いのか? 伊藤さんと私では、どっちの「命の価値」が高いのか?

どんな境遇であっても、人に支えられ、支えて生きているし、だれにもかけがえのない人はいる。「命の価値」とはまさにそういうものではないのか。過失事故などで人が亡くなった場合の逸失利益とか、給与の多寡とか、貧しい国に生まれ育った結果学力が低いとか、そういうものは、その人の「能力」を推し量り評価する尺度のひとつに過ぎないのであって、「命の価値」の軽重とは全然関係ないと思う。それなのに、命の価値が経済的背景や地域によって異なるなどというのは、不遜以外のなにものでもない。これではまるで「社会の役に立たない=経済的戦力になっていない」人間は、命そのものに価値が無い、あるいは低いと言っているのと同じことだ。

こういうことを平気で言える人は、自分は「命の価値を評価する側」「命の価値を算定する側」に位置していると思い込んでいる。そうでなければ、何とかして「評価する側」「算定する側」に就こうとしているのだと思う。「あなたの命の価値は限りなくゼロに近い」などと、誰かから決め付けられる瞬間を想像したことがあるのだろうか。

何度読んでも、そんな風にしか読み取れなかった。
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by masayuki_100 | 2005-01-12 02:37 | ■社会

斉藤貴男氏の講演

本日夕、札幌でジャーナリスト斉藤貴男氏の講演があり、足を運んできました。「プライバシー・クライシス」や「安心のファシズム」「機会不平等」などの著書があり、斉藤氏の主張にはずっと「なるほどねえ」と思ってきました。

講演で一番印象に残ったのは「言論の強さは最終的には1対1でできるかどうかにある」という部分です。たとえば、やたらと北朝鮮をさげすむような人々は、在日朝鮮人の人と、閉ざされた空間で1対1になって勝負できるのかどうか、と。そこを問え、と。石原都知事のかつての「三国人発言」についても、都知事は在日朝鮮人と1対1で面と向かって、その言葉を吐けるのかどうか、と。「きっと彼らはできない」というのが斉藤氏の主張です。そうした言葉は、言説と呼べるものではないからなのでしょう。

朝鮮にかかわる、大した原体験もないのに、「北朝鮮は」と語る人々は、腹を据えた言説ではないのは、よくわかります。しかし、そうした人々が「国」を背負ったような雰囲気をまといながら、そここで広がっている現実とどう向き合うのか。

少なくとも、言論人や権力ある地位に居る人ならば、批判する相手と1対1で向き合うくらいの腹が必要です。私もそう思います。
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by masayuki_100 | 2005-01-07 03:13 | ■社会

全国各地でいま、「自警団」的組織が急増していることをご存知ですか。「犯罪多発都市」と言われるようになった東京では、とくに動きが目立つようです。

最近、ざっと目を通した通信社の原稿を拾ってみると、、、

「墨田区の主婦六十六人は10月11日、『買い物パトロール隊』をつくった。自転車の前かごに「特別警戒実施中」と記した黄色のプレートを付けて買い物に出かけ、犯罪を見つけたら110番するねらいだ」

「板橋区で10月2日、郵便局や東京電力、信用金庫など10事業者の配達・営業担当者と区の外勤職員ら計2500人がセーフティー・ネットワークが結成された。仕事で街を回っている際に、ひったくりや自転車盗、痴漢などを目撃したら警察に通報する。パトロール中と書いた腕章を着け、自転車やバイクにワッペンを張って、犯罪抑止効果も狙う」

「江戸川区にある大相撲の伊勢ノ海部屋は、毎日午後11時ごろから1時間、若手力士が2
人1組で周辺を巡回。親方(元関脇藤ノ川)の発案で2月から始めた」

ほかにも似たような動きは、たくさんあります。世田谷区の私鉄駅前には「民間交番」も活動を始めていますし、「民間パトカー」を導入したところもあります。一方、東京圏・大阪圏の知事7人は9月、全員がそろって警察庁長官に面談し、「警察官をもっと増やし、重点配置してほしい」と要望しました。

東京や神奈川、福井などの各都府県では、犯罪多発を前に抑止プログラムを策定していますが、その多くに「監視カメラの積極導入」「民間によるパトロール強化」がうたわれています。後に訂正はされましたが、民主党の松沢・神奈川県知事が「外国人はみな犯罪者」という趣旨の発言を行ったのは、つい数日前のことです。

犯罪多発は憂慮すべきことですし、対策に本腰を入れるのも当然でしょう。しかし、こうした自警団的組織や相互監視による「犯罪抑止」には、どうしようもなく、居心地の悪さを感じます。

ひと昔前に存在していた「地域社会」は崩壊しましたし、それによって犯罪が未然に防げなくなった。これは良く言われることです。ただし、一度壊れた地域社会、それを支えた大家族制が元に戻らないからと言って、壊れた地域社会に代わる機能を「相互監視」「自警団」に求めるのは、いかがなものでしょう?

住基ネットの本格稼動と相まって、この先、日本はとんでもない方向に進むのではないかとの危惧が、どうしても消えません。いったい、自警団組織をどれだけ多く作れば、犯罪はなくなるというのでしょう?

監視カメラは何個必要なのでしょう?
by masayuki_100 | 2003-11-12 19:53 | ■社会