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ニュースの現場で考えること

カテゴリ:■2011年7月~( 39 )

「調査報道セミナー」の第5回を東京で開催します。今年12月3日、土曜日の午後。ぜひ、お運びください。詳細はこのフライヤーを参照ください!c0010784_10333425.jpg
by masayuki_100 | 2016-10-27 10:33 | ■2011年7月~ | Comments(0)

山本博さんと調査報道

報道業界の中でも、「山本博」の名にすぐピンとくる人は少なくなった。山本さんの死去を知らせるニュースを聞いて驚き、それを若い記者仲間何人かに伝えても、反応のない記者も多かった。ネットで見ると、時事通信社による訃報は「リクルート報道」のくだりが書かれていない。だから余計にピンと来なかった人も多いかもしれない。

(以下、時事通信ドットコムからの引用
 山本博氏(やまもと・ひろし=元朝日学生新聞社社長)4日、心不全のため死去、70歳。故人の遺志で葬儀は行わず、後日お別れの会を開く。北海道新聞を経て70年朝日新聞社入社。名古屋本社社会部長、事業開発本部長などを歴任、00~08年に朝日学生新聞社社長を務めた。(引用終わり)

朝日新聞の訃報記事は、記事中にこう記している。

数々の調査報道に携わり、東京社会部時代に談合キャンペーンや東京医科歯科大教授選考をめぐる汚職事件の報道で新聞協会賞を2回受賞した。横浜支局次長として川崎市助役への未公開株譲渡問題の取材を指揮し、後のリクルート事件に結びつけた。

「調査報道とは何か」「それはいったい、どうやって進めるのか」。そんなこと考える記者はたいてい、山本さんの過去記事や著作物をあさる。調査報道と言えばリクルート報道、リクルート報道と言えば山本さん、という時代が確かにあったと思う。

後に東京地検特捜部が捜査に乗り出したリクルート「事件」の問題点については、リクルート側の被告・江副浩正氏(故人)が自著「リクルート事件・江副浩正の真実」を著し、その中で特捜検察と捜査上の問題を暴き出している。ただし、調査報道によって政界の闇が暴かれていくリクルート「報道」のプロセスと、その後の検察の事件化プロセスを報じた「検察報道」としてのプロセスは明らかに異なる。前者にかかわったのが山本さんである。

最後に長時間、山本さんと話し込んだのは2010年春ごろだった。東京・市ヶ谷の喫茶店「ルノアール」に個室を借り、ICレコーダーを回しながら、長い長い時間、質問を続けた。調査報道は実務的にどう進めるのか、新聞社内での壁はどう乗り越えたら良いのか。そんなことを聞きたかったからだ。後日のインタビューや他の調査報道記者へのインタビューも合わせて編集し、山本さんの発言は「権力vs調査報道」(旬報社)の中で詳しく書いた。それなりに読み応えはあると思っていたのに、さっき、録音の文字起こしペーパーを見ていたら、あれもこれも未収録になっている。もったいなかったし、申し訳ないことをした。

 「権力vs調査報道」の山本さん部分の「インタビューを終えて」欄で、私はこんなことを書いた。少し長いけれど、引用しておきたいと思う。

(以下、引用)
 公費天国キャンペーンから始まり、平和相互銀行事件、「政商」小針暦二氏をめぐる問題、三越ニセ秘宝事件・・・そしてリクルート事件へ。山本氏の口からは、かつて世情をにぎわせた事件や疑惑、疑獄がぽんぽんと飛び出してくる。
 「調査報道」を一気に有名にしたのは、米ワシントン・ポスト紙によるウオーター・ゲート事件の報道である。事件は1972年に起き、ポスト紙に触発されて各紙が激しい報道合戦を展開。最終的にはニクソン米大統領が辞任に追い込まれた。
 日本ではその数年後、調査報道の大波がやってきた。山本氏自身は「ジャーナリズムが全面的な調査報道を独自に行うようになったのは、1979年の朝日新聞による『公費天国キャンペーン』が皮切りです」と述べているように、1970年代末からの約10年間は調査報道の黄金期と言えた。朝日新聞ばかりでなく、各紙が権力不正や社会悪の追及に乗り出している。
 そうした中、山本氏の調査報道で際立つのは、「ブツ」、すなわち物的証拠へのこだわりである。
インタビューの中で山本氏は、リクルート報道においても紙面化を始める前には、すでに未公開株の譲渡先リストを入手していたと明かしている。中曽根元首相をめぐる株取引問題では、当事者しか持っていないはずの「相対取引に関する書類」を入手し、実物の写真を紙面に掲載してみせた。関連する証言は幾重にも取材している。
 それでも、新聞社の責任において取材・報道している以上、相手側が名誉毀損などで訴えてくることはある。提訴は自由だ。実際、株取引に関する1990年元旦のスクープ記事について、中曽根元首相が朝日新聞社を名誉毀損で訴えたし、そのころから、調査報道に対する社内の理解と勢いは衰えてきたという。山本氏はインタビューの最後にそういった趣旨のことを語り、「訴えられることに幹部があまりにも臆病になり過ぎている」と強調した。
 山本氏ら調査報道に深い関心を寄せる記者が多数現場にいたから、調査報道は花開いたのか。新聞社が社として、調査報道の旗を振った結果なのか。
 山本氏のインタビューを仔細に読み返すと、答えは前者であることが分かる。誤解を恐れずに言えば、過去の多くの調査報道は、一部の現場記者がそれにのめりこんだ結果であり、会社上層部の意向とはあまり関係がない。実際、山本氏が人事異動で取材現場を離れた後は、政界・財界を揺るがすような調査報道は次第に影を潜めてきた。
 調査報道に関するノウハウや意識が組織的な継承は、日本の報道機関においてほとんど実践されてなかったのではないか。この「組織と個人」の問題を解決できれば、調査報道の力は格段に上昇するはずなのだが。(引用、終わり)

 当時は私自身、訴訟の被告だった。北海道警察の裏金報道をめぐり、いわばその後始末としての訴訟が延々と続いていた。だから山本さんへのインタビューでも「組織と個人」にこだわって、質問を重ねたように思う。端的に言えば、結局、山本さんの答えは「ごちゃごちゃ言わずにまずは取材しろ」だった。調査報道の定義付けは何か、社内論議をどうする、調査報道を担う部署はどこに設ける、、、そういうことも大事だけれど、「現場の記者はまず取材に行け。徹底的に取材しろ」が答えだった。山本さんの。

山本さんにはこんなエピソードがある。リクルート報道の最中、夜に取材から戻ってきた記者が、ゆったりしていたデスクの山本さんに言った。「デスク、きょうは時間があるんですね? 一杯、行きませんか?」「お、君は今晩、時間があるのか?」「はい、ヒマです」「そうか、ヒマか。なら、夜回り取材に行け」

もちろん本当の話かどうかは分からない。ただし、山本さんの人柄がよく出たエピソードだと思った。まず取材、さらに取材、最後まで取材。山本流の調査報道メソッドがあるとすれば、たぶん、それである。山本さんは自身、それができたし、だから後輩記者にも(程度の差はあれ)それを期待した。でも結局、そうした個人やわずかな数の記者によってしか、権力監視型の調査報道が持続できなかったところに、日本の調査報道の弱さみたいなものがあり、いまの報道の姿がある。たぶん、「組織と個人」の問題である。

私などよりもっと深く山本さんと付き合っていた、報道界の先輩たち、そして山本さん自身はどう思っているだろう。
by masayuki_100 | 2013-07-06 13:35 | ■2011年7月~ | Comments(0)

【2013年夏 JCJジャーナリスト講座】
ジャーナリズムとは何かを考え、現場記者・専門家の講師とともに切磋琢していく講座です。今回は初めて東京と大阪の2会場で開催します。

<東京会場>    
*6月9日(日)午後1時30分~5時
  日比谷図書文化館小ホール(東京都千代田区日比谷公園1-4) 

座談会「取材の面白さ・難しさ――記者の仕事を考える」  
     現場の若手記者が体験をもとに語り合う

*6月23日(日)午後1時30分~5時
   岩波セミナールーム(東京都千代田区神田神保町2-3-1)で

「政権の内側から見たメディアの姿」
講師  前内閣官房審議官、下村健一さん
   (元TBS報道キャスター。2年の内閣広報室勤務を昨秋満了)
   新著「首相官邸で働いて初めてわかったこと」(朝日新書)をぜひ読んでご参加ください。

<大阪会場>=国労大阪会館(大阪市北区錦町2-2)
   
*6月22日(土)午後1時30分~5時
  「報道の文章の書き方・取材の仕方」
   講師 高知新聞記者・高田昌幸さん(著書に『真実・新聞が警察に跪いた日』)
     ※事前に作文を書いてもらい個別添削もします。

*6月29日(土)午後1時30分~5時
  「第一線記者が語る取材の現場」
   講師:共同通信大阪社会部記者・真下周さん
     :京都新聞社記者

※資料代 各回とも1000円 定員 40人
※申し込み JCJ事務局まで。氏名、電話番号、メールアドレス、参加希望日を明記して
メールかファクスで

主催:日本ジャーナリスト会議(東京都千代田区猿楽町1-4-8松村ビル4階)
   <メール> jcjアットマークtky.3web.ne.jp
   <ファクス> 03・3291・6478
by masayuki_100 | 2013-06-02 23:52 | ■2011年7月~ | Comments(0)

 お知らせが少々遅くなってしまったが、「日本の現場 地方紙で読む 2012」が昨年秋、旬報社から発刊された。前作の「日本の現場 地方紙で読む」に引き続いて、各地の地方紙の連載や企画記事を選び、収録している(収録記事の内容はこちら)。取材に携わった記者たちの「取材後記」も納めた。

 いったい、どんな書籍なのか。本書のあとがきを要約し、以下に記したので、お読みいただけると、おおよそはイメージしてもらえると思う。「地方紙が良くて全国紙は良くない」とか、そんな単純なことではなく、物事を見通すには種々の目線が必要であり、実際、「東京目線。中央目線ではない報道」は地方紙において目にすることができますよ、ということだ。

 以下の「あとがき」は要約版なので、意を尽くせてない部分、意味が通じにくい箇所等々があるかもしれい。その点はご容赦を。

*******************************************

 主要地方紙の連載や企画記事を一堂に集めた「日本の現場 地方紙で読む」が旬報社より刊行されたのは、2010年8月である。
 発想は単純だった。
 全国紙や主要地方紙などが加盟する日本新聞協会によると、2011年10月段階で、スポーツ紙を除く日刊紙の総発行部数は約4400万部に達している。その半分近い部数は「地方紙」だ。読売新聞や朝日新聞といった「全国ブランド」の新聞だけが新聞ではない。地方には、それぞれの地域に根ざした新聞があり、その地域においては全国紙に劣らぬ影響力を持っている例が少なくない。

 ところが、地方紙に掲載された優れた記事は過去、なかなか全国に伝播しなかった。新聞「紙」の配達範囲が限定されている以上、それは当然でもあった。この傾向は、実はインターネットの全盛時代になっても、大きくは変化していない。

 全国紙に比較すると、地方紙は経営規模が小さい。人員も資金も少ない。全国紙が「電子新聞」に本格参入するようになっても、経営上の判断から独自コンテンツをネット上でほとんど公開しない地方紙もある。勢い、ネット上に溢れるニュースや連載・企画記事も多くは「全国紙発」であり、「情報発信の東京一極集中型」構造は全くと言っていいほど変化していない。

 しかし、当たり前の話だが、全国紙が発信するコンテンツだけが、ニュースではない。コンテンツ「量」の多さは、内容の質・重要性と比例しない。
 地方発の優れた記事をどうやって全国に広げるか。地方紙が報じる事象や問題を、どうやって列島各地、とくに東京=中央に届けるか。
 そんな問題意識の下、「まずは書籍で実現を」と考え、「日本の現場」を編むことになった。地方で起きている事象の中には、日本社会の矛盾を象徴するような出来事が多数ある。霞ヶ関・永田町を中心とした「中央」に対し、刃を突き付けるかのような地方紙報道もある。そうした地方紙の優れた報道を、まずは連載・企画記事に絞って全国へ発信する試みだった。

 幸い、「日本の現場」は各地・各界で好評を博し、版を重ねた。本書はその続編である。前作がおおむね2008年〜2009年の記事を対象としていたのに対し、本書は2011年〜2012年初めまでを対象にしている。
 言うまでもなく、日本ではその間、東日本大震災や東京電力福島第1原子力発電所の事故といった大災害や大事故があった。本書では、それに関連する連載・企画記事も多数収録している。

 前作に続いて編者になった筆者は、北海道新聞で25年間、記者を務めた。その後、2012年春からは高知新聞の記者になった。所属会社は変わったが、この間、ずっと地方紙の記者であり続けている。そんな日々の中で、「地方の問題はしょせん地方のニュースでしかない」という「東京目線」「中央目線」が日本全国を覆ってしまったように感じていた。

 そうした日々を過ごしながら、漠然と考えていたことがある。
 「新聞や報道に関して、もし何か新しい事業を興すなら、東京で地方紙を発行したい」と。「考え」というよりは、「妄想」に近いかもしれないが。
 東京「の」地方紙ではない。東京の地方紙はすでに中日新聞社東京本社発行の「東京新聞」があり、優れた報道を続けている。東京「で」発行する地方紙とは、イメージが異なる。

 最近のマスコミ批判の柱に「大事なことを報じていない」「政府の言うがままではないか」「情報の垂れ流し」といった指摘がある。

 とりわけ、福島第1原発の事故後はこうした批判が沸騰し、「マスコミは原発問題を素通りしてきた」という声が渦巻いた。
 これは半分正しく、半分は間違っている。
 原発問題に限っても、たとえば、佐賀県の玄海原発でプルサーマル導入が大問題となった2000年代後半、佐賀新聞はこの問題を繰り返し取り上げ、連載記事や一般記事で安全性に疑問を投げかけていた。同様に静岡新聞は、長期連載「浜岡原発の選択」などを通じ、地震と原発、地震と地域行政といった問題に切り込んだ。このほかにも若狭湾の原発銀座を抱える福井新聞、六カ所村の核燃料サイクル施設を注視し続ける東奥日報(青森県)など、原発問題を粘り強く報道してきた地方紙は少なくない。

 一方で、全国紙は各地域の原発問題を「一地方の問題だ」と判断したのか、関連記事を県版・地方版に押し込める傾向が強く、福島原発の事故が起きるまでは、(東京電力の原発事故隠しなどの一部事例を除き)各原発で大きな動きがあっても、全国ニュースとして継続的に大きく報道するケースはそう多くなかったように思える。
 ことは原発に限らない。米軍基地問題も同様である。
 原発問題同様、米軍基地を抱える地方の新聞は沖縄2紙をはじめ、神奈川新聞(厚木、横須賀基地)や東奥日報(三沢基地)などが積極的に問題をえぐり出していた。
 それに対し、2009年に民主党政権が発足し、鳩山由紀夫首相の手で米軍普天間飛行場の問題が急浮上するまで、全国メディアはこうした基地問題をいかにも素っ気なく扱ってきたのではなかったか。筆者は実際、全国紙の那覇支局勤務を経験した記者たちから「米軍問題を書いても全国版に記事が載らない」といった嘆きを、幾度も聞かされた経験がある。

 全国紙や主要地方紙などが参画する日本新聞協会によると、2011年10月現在、加盟社の発行する日刊紙(スポーツ紙を除く)の総発行部数は、約4400万部に達している。そのうち半数強は全国紙だ。地方紙も地元以外のニュースの大半は、通信社による東京経由の記事配信に頼っている。
 先述したように、ネット時代になったからと言って、地方紙の独自記事が無料で自由自在に読めるわけではない。むしろ、地方紙は経営上の問題から独自コンテンツの無料解放を縮小する傾向すらある。だから、ネット上で行き交うニュースも依然として「中央目線」が幅を利かしているように筆者には映る。
 「東京で地方紙」の意味は、その隙間を埋めることにある。

 「マスコミは重要な問題を報じていない」「地域で生きる人々の切実な声を伝えていない」といった批判は、実は、筆者の見立てでは、情報の流通経路の「いびつさ」にも幾ばくかの原因がある。

 「東京で発行する地方紙」は、各地方紙が報じた独自ニュースや解説・企画記事をピックアップし、一つの新聞にする。あるいは、渾身の連載記事を再掲する。そういったイメージだ。地方の出来事だけれども全国に通じる問題は数多い。それを集めて再編集し、首都圏や近畿圏、ひいては全国に届ける。東京で出す地方紙は「地方発の全国メディア」でもある。
 もちろん、ここで言う「東京で出す地方紙」は、「紙」にこだわってはいない。情報の流通経路の質的な転換が主たる眼目であり、「新聞はだれのために何を報じるのか」を再考・再構築する狙いでもある。

 本書の編集作業は、主として2011年後半に行われた。
 前作と同様に、高齢化、過疎化、地域振興、農林漁業、地方政治、地域医療、平和など数多くの問題を網羅している。震災や原発に関する記事が全体の3分の1程度を占めているのは、2011年という特殊性を考えれば当然だろう。

 今回から新たに編者に加わった花田達朗氏(早稲田大学教授)は、ジャーナリズム分野において日本を代表する研究者である。日本のジャーナリズム研究の多くが、その対象を全国メディアに偏重させる中、花田氏は早くから地方紙の活動内容や可能性に着目し、各地方紙の編集現場に具体的な助言を続けてきた実績がある。本書の編者としてはこれ以上ない適格者であり、実際、斬新な視点を次々と与えてくれた。
 前作に続いて編集作業を担当した清水氏は、各地方紙の編集現場だけでなく、メディア部門とも深い交流を持っている。取材・報道を担当する「編集」部門と、インターネットを駆使しようとする「メディア」部門は、それぞれの地方紙において、まだまだ垣根が高い。
 「地方紙同士の壁を取り払って横のネットワークを強化すると同時に、会社組織内に残る垣根も低くしたい。そこに地方紙の新たな可能性がある」。清水氏はそう繰り返しながら、今回も編集作業を続けた

 本書に収録された記事の選択は、編者3人の独自の判断に基づいている。
 本書は、記事の優劣を競うコンテストではない。未収録の連載記事にも数え切れないほどの優秀なものがある。編者の目の届かなかった記事も数多いはずだ。従って、記事選択や編集作業を別の方が担えば、本書の内容はまったく別の内容になっていたと思う。

 日本新聞協会加盟の新聞社・通信社では、合計2万人強が編集部門で働いている。正確な数字は持ち合わせていないが、その半分程度は地方新聞社で働いていると思われる。地域に根を張り、這いつくばるような取材活動を続けている地方紙の報道の一端を本書から読み取っていただければ、と願っている。
by masayuki_100 | 2013-01-14 13:40 | ■2011年7月~ | Comments(1)

 自由報道協会主催の第2回自由報道協会賞が年明けに開催されるという。一時、その候補作として、拙著「真実 新聞が警察に跪いた日」(柏書房)が推薦作として、同賞の公式HPにアップされていた。どなたか、一般の方に推薦していただいたようで、「推薦人物・団体・作品公開(10月22日〜11月2日)」に掲載されていたようだ。その後、いつの間にか、HPからは消えた。

昨年の初回には辞退した経緯もあり、消えたことを知った知人から「今年はどうするんだ、おまえ」という照会があったが、その後、総選挙のドタバタなどで失念していたところ、過日、協会スタッフの方から「HPにアップしたけれど昨年(高田が)ノミネートを辞退した経緯があるので、いったん取り下げました」旨のメール。そのうえで今回はノミネートを受ける意志があるかどうか等を尋ねてきた。

私からは以下のようなお尋ねをした。昨年の辞退は、ふだんは取材対象である権力者(この場合は小沢一郎氏)に賞を与えようとする感覚が分からなかったし、ジャーナリストのありようとして違和感があった。そして小沢氏への授賞?顕彰?問題は結局協会としてどう総括したのですか、公式HPにその総括の記載はありますか等々と。それに対する回答はいただけないまま、本日に至りました、というのがコトの次第だ。

「今年はどうするのか」という質問は、直接存じ上げない方からもその後、メールなどでもらっていた。それもあるので、ここで若干説明させてもらった。
by masayuki_100 | 2012-12-30 15:39 | ■2011年7月~ | Comments(0)

 このブログの前回の(まともな)記事は夏だった。この間、総選挙も行われ、政権交代まで起きてしまい、きょうはもうクリスマス・イブ。あと少しで今年も終わる。

 少しだけ読み残していた「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)を選挙後、最後まで目を通していた。筆者は村山治さん。朝日新聞編集委員で司法担当、とくに東京地検担当が相当に長い。この本は、民主党の元代表で現在は「日本未来の党」に移った小沢一郎氏、それと対峙してきた東京地検特捜部の話が書かれている。
 記者歴の先輩である筆者には非常に失礼だが、それを承知で言わせていただくと、読み終えて暗鬱な気持ちになった。なぜなら「政権交代が確実視された総選挙を前にして、なぜ最大野党の首脳を検察は狙ったのか」という、誰しもが抱きそうな疑問に明確に答えてくれていないからだ。それどころか、かつてのゼネコン汚職や自民党の実力者だった故・金丸信氏の事件を引き合いに出しながら、「小沢が検察のターゲットになるのは、歴史的必然だったのである」(P181)という帰結を読まされると、「?」をいくつも並べたくなってしまう。「歴史的必然」で捜査が行われるなどということが、あっていいはずはない。

 巨大メディアの検察担当の記者という立場は、単なる傍観者・評論家とは異なる。閉じられた記者クラブ制度の中でも、とりわけ閉鎖性の強い司法記者クラブの中にあって、村山氏は(種々の労苦があるだろうとはいえ)検察の「捜査情報」に接し、その「捜査の途中経過報道」を繰り返し、社会に大きく広めてきたはずだ。もちろん、取材・報道の過程では、検察との利害対立も生じよう。それは当たり前のことだ。

 しかしながら、例えば、2009年2月、小沢氏をめぐる事件で東京地検特捜部が「不起訴」の結論を出した際、村山氏は朝日新聞に署名入りでこんな記事を書いている。
 <捜査は(不起訴に終わったけれども)、小沢氏側に巨額の不透明なカネの出入りがあることを国民に知らせた。その価値は正当に評価されるべきだろう。>( )内は筆者が挿入。以下同。

 そうした数多の「捜査の途中経過報道」はメディアの間で、社会の中で、時を置かずして乱反射し、政治や社会に跳ね返って大きな影響を与えたはずである。
 村山氏自身、本書の中でこうも書いている。
 「読売新聞の報道を受ける形で、市民団体が政治資金規正法違反で、(小沢氏の)経理担当だった石川や会計担当の大久保らを東京地検に告発する。さらにその数日後には、水谷建設側が小沢側に1億円を提供したと供述したことを産経新聞などが一斉に報道した。(東京地検特捜部が)極秘に進めてきた捜査の焦点が次々と報道されたことで、特捜部の捜査は待ったなしとなった」(P20〜21)
 こうした捜査(と報道の)結果、いわゆる小沢氏をめぐる事件がどういう結末を迎えたかは、ここでは書かない。詳しい論考はネット上にも溢れている
 それにしても、大メディアの検察(警察も)担当記者のこの種の報道に接する度、記者と権力とのこの距離の近さは、いったい何なのか、と思う。まだこんな、1990年代以前の発想から脱していないのか、と思う。
 日本には「推定無罪」の大原則がある。報道においても、不必要な「犯人視」報道は、現に慎むべきだと(少なくとも私は)考えるし、(一部の)先輩たちからはそう教えられてきた。

 むろん、権力悪はきちんと取材し、報道せねばならない。野党とはいえ、政治家は「権力監視」の対象となりうるから、その点で小沢氏の疑惑を報道することが必須のケースもあろう。しかし、それは「アタマからシッポまで報道する側の責任において」ではないか。「捜査権力の力を借りずに、完全に独自の調査報道でやれ」である。捜査権力と二人三脚になって、なにがしかの勢力をターゲットにしていく行為は、鳥の目になって空から眺めれば、権力の片棒をかついでいるだけであって、「独自の調査報道」などという代物ではあるまい。

 小沢氏をめぐる一連の報道に関連して言えば、読売新聞社会部の担当デスクの発言にも大きな違和感を覚えたことがある。2010年2月、東京で開かれた報道関係者の小さな集まりでのことだ。
 デスク氏は、政治資金疑惑報道の経緯を話していた。もうだいぶん記憶は薄れたが、私にすれば、「これは独自の調査報道です」と説明された記事の組み立ては、相当部分が検察サイドからの端緒や捜査情報としか思えなかった。「独自」の部分があるとすれば、検察が捜査で辿ったのと同じ道を後ろから(独自に)歩いたにしか過ぎない。
 
 あれだけ報道された「小沢資金疑惑」は、検察捜査の終焉とともに、いつの間にかフェイドアウトした。調査報道が、本当に捜査権力から独立して行われているのであれば、捜査が進もうが進むまいが、それは報道記者と報道会社の責任において、きちんと進めなければならないのだと思うし、その取材力と胆力こそが必要のだと思う。要は、あらゆる権力との間で、常に一定の・適切な距離を保つことができるかどうか、なのだ。そうでなければ、「調査報道」「権力監視」の名の下で行われている報道が、後年になって、歴史家から「あの報道は権力機構のお先棒を担いでいただけでしたね」ということになりかねない。

 むろん、その場合の取材・報道は、評論ではないから、技術力が要る。パッションも要る。すべては、小さな事実の積み重ね、である。
by masayuki_100 | 2012-12-24 12:50 | ■2011年7月~ | Comments(0)

調査報道が大切だ、という認識は相当程度広まってきた。昨年の福島原発の事故以降、新聞やテレビといった既存メディアの報道に対する批判が一段と高まり、その一方で「調査報道をちゃんとやれ」という声が満ちてきたことは間違いない。

しかし、調査報道をやれ・やろうと掛け声をかけても、「ではどうするのか」という方法論、具体論は必ずしも明らかではない。ふつうの取材と何が違うのか、同じなのか。何か特別な方法があるのか、ないのか。テーマはどうやって設定するのか、端緒はどこに転がっているのか。こうした疑問を数え上げると、それが尽きることはあるまい。c0010784_22102836.jpg

「調査報道が大事というのは十分に理解できた。これからは具体論、実践論、方法論だ」ということで、今年春、東京で「調査報道セミナー 2012春」を開いた。私を含む何人かが言い出しっぺとなり、「取りあえず開催しよう」と開いた催しである。幸い、岩波セミナーホールは満席になり、夜の懇親会でも話が尽きることは無かった。

その続編、「調査報道セミナー 2012夏」が7月14日(土)午後、東京で開かれる。この試みは「取材ノウハウの共有化」が狙いの一つだ。取材方法は多種多様、千差万別。取材対象や態様によっても異なる。それでも、どこかしらに「共有可能なノウハウ」はあるのではないか、と感じている。報道は社会の公器という以上、そのノウハウも公器たる部分を含むはずである。

ぜひ、多くの方に参加してもらい、あれこれの議論を尽くしてもらうことができたら、と思う。セミナーは今後、秋、冬と順々に開きたいと考えているし、場所も東京ばかりでなく関西や地方にも広げたいと感じている。

以下は、案内文です。

*******************************************

「調査報道セミナー 2012夏」
  
「公開情報をどう使うか。公開情報の裏をどう探るか」

 ジャーナリズムの信頼回復が急務といわれる。そのカギを握る「調査報道」。それをどう実践するか。今春開催した「調査報道セミナー2012春」に続き2回目を開く。 今回は情報公開制度をどう駆使するか、入手した公開情報をどう読み解くかに焦点を絞る。

◇7月14日(土) 午後1時30分から4時30分
◇明治大学(駿河台キャンパス)リバティータワー2階・1021教室 
  (東京都千代田区神田駿河台1-1 JR御茶ノ水駅近く)  
◇参加費1000円                    

◇報告①NPO法人情報公開クリアリングハウス理事長・三木由希子さん
 
 (三木さん略歴)1996年横浜市立大卒。同年2月より情報公開法を求める市民運動事務局スタッフ。99年のNPO法人情報公開クリアリングハウスの設立とともに室長となり、07年から理事。情報公開・個人情報保護制度に関する調査研究、政策提案、意見表明を行うほか、市民の制度利用などをサポートしている。

◇報告②毎日新聞記者・大治朋子さん
 (大治さん略歴)89年毎日新聞入社。阪神、横浜支局や週刊誌「サンデー毎日」などを経て東京本社社会部記者。06〜10年、ワシントン特派員として米大統領選を担当。米国の対テロ戦争を描く「テロとの戦いと米国」、メディアの盛衰を描く「ネット時代のメディアウォーズ」を連載。10年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。

◇ 討論進行 共同通信編集委員・石山永一郎さん
 (石山さん略歴)共同通信マニラ支局、ワシントン支局などを経て現職。近年は安全保障と在日
米軍基地問題を中心に取材。2011年、米国務省日本部長による日本と沖縄への差別発言報道で平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞。著書に「彼らは戦場に行った ルポ新・戦争と平和」など。

◇主催:セミナー実行委員会
  (アジア記者クラブ、現代史研究会、日本ジャーナリスト会議、平和・協同ジャーナリスト基金、有志) 連絡先 apc@cup.com(アジア記者クラブ)

◇事前の予約は不要です!
by masayuki_100 | 2012-06-26 22:08 | ■2011年7月~ | Comments(1)

雪の札幌から桜の高知へ

札幌はまだ雪が積もっている。街中は、だいぶん雪も解けた。それでも時折雪は舞うし、山は真っ白だ。ところが(当たり前だが)高知は暖かい。今年の桜開花は高知が全国で一番早かったという。

すでに明らかにしているように、この4月から高知新聞で記者として働くことになった。所属は社会部である。「どの組織にいても、組織にいてもいなくても、取材という行為は同じ」とは思う。そうは言っても、前の勤務先と比べると、おそらくは社風も仕事の進め方も細かな決めごとも、何から何まで違うと思う。52歳の誕生日を目前にして、ゼロからの出発だ。不安もある。楽しみもある。年は取っているけれど、「熱」は失っていないつもりだ。一年生記者として走り回り、少しでも良い記事を世に送り出せるよう、力を尽くしたいと思う。

また過日、3月28日の夜には、札幌の紀伊國屋書店で「真実 新聞が警察に跪いた日」(柏書房)の出版を記念したトークイベントがあった。このブログでも本の内容、紹介を詳しく記そうかと思っていたが、イベントの模様は「市民の目フォーラム北海道」動画でアップされているし、紹介はそれをもって代えさせてもらいたいと思う。「北海道警察vs北海道新聞」についての、私なりの総括である。いろいろな不備は承知のうえだが、一連の問題の総括を世に問う必要はあったと感じている。(なお、この書籍の初版の一部について、元北海道警察の総務部長、佐々木友善氏の「名前の読み」が誤記されています。校了後に生じた、実務的なミスです。訂正文は書籍に挟み込んでいるほか、柏書房のHPにも掲載されていますが、佐々木氏および読者の方々、関係者の皆様にこの場でもおわびします。申し訳ありませんでした)。
by masayuki_100 | 2012-04-01 15:43 | ■2011年7月~ | Comments(0)

私の郷里は高知県高知市である。縁あって、4月から、ふるさとの高知新聞で記者として働くことになった。北海道新聞社を退社してから8ヶ月余り。舞台を変えて、再び新聞記者として一からの、ゼロからの出発である。

高知市は私が高校生のときまで住んでいた。高校卒業からすでに30年以上が過ぎている。街は変わったところもあるし、変わらぬところもある。私の実家は高知城から西へ3−4キロほど離れた旭地区にある。坂本龍馬の生誕地へもぶらぶら歩いて行ける。その街の様子は以前、英国ニュースダイジェストという、英国の邦人向けフリーペーパーに書いたことがある(木を見て森もみる 第44回「きょうは安心して眠りましょう」)。これを書いてから、またさらに年月が過ぎた。なにせ、この4月には52歳である。そんな年齢が自分に訪れようとは、ほんの数年まえ、50歳に到達するまでは実感したこともなかった。

幸いなことに、高知の実家では、父も母も健在だ。かつて国鉄職員だった父のことは、これも英国ニュースダイジェストに書いたことがある(「あの日、小さな駅で」)。母のことも、同じフリーペーパーに書いた(「クジラで母を泣かせた日」)。2人も年を取った。優に80歳を超え、それでも2人だけで、あの古い町で暮らしている。昔ながらの知り合いに囲まれて、夜は早めに眠って、朝は少しだけ散歩して、時々は高齢者のサークル活動などに顔を出しながら、である。

おととし、「日本の現場 地方紙で読む」という本を編纂した際、その「はじめに」において、ずいぶんと「地方」にこだわったことを書いた。その内容はこのブログでも紹介したが、結局、ああいうことなのだろうと思う。私の取材者としての原点は、ああいう部分にあるのだろうと思う。

取材そのものは常に地道で、小さな石を積み重ねるような作業の連続だ。権力と対峙するような調査報道であれ、心が芯から温もるような原稿であれ、取材の本質は同じである。前の会社を辞めてまだ1年足らずだが、この間、あちこちで言いたいこと、書きたいことをあれこれと手掛けてきた。そういった場で表明した方向性は何ら変わらない。目指すべきものは捨てない。しかし、郷里に戻って年老いた両親と暮らしながら、地道な取材の現場に戻り、そして、もろもろのことを目指す、というのも悪くないことだと考えている。何より取材は楽しい。地方の取材は相当に楽しい。

琉球新報の元論説委員長で、いまは沖縄国際大学教授の前泊博盛さんが、「権力vs調査報道」という本の中で、こんなことを言っている。地球はどこから掘っても、掘ることをやめない限りは、いつかはマントルに行き着く。富士山はどこから登っても、登ることを止めなければ、いつかはてっぺんに行き着く。登山口をどうするかの違いはあっても、いつかは山頂に辿り着く、と。私にもそういう事を信じている部分があって、だから北海道にいても東京であっても高知でも、目指すものの本質は何も変わることがない。

北海道新聞社と北海道警察の間にあった、この10年近くの出来事。それは「真実」というタイトルで1冊にまとめた。永田浩三さんの「NHK 鉄の沈黙は誰のために」を出版したのと同じ、柏書房からの出版である。「道新vs道警」の問題については、この書物で一区切りつけることになる。自分なりの総括である。これについては、また別の形で報告させてもらうことになると思う。
by masayuki_100 | 2012-03-17 10:43 | ■2011年7月~ | Comments(0)

「メディアの罠 権力に加担する新聞・テレビの深層」が発売されて、1ヶ月ほどになる。おかげさまで、あちこちから「メディアの病巣がよく分かる」「問題は本当に構造的だ。それをきちんと整理できている」といった声を頂いている。今度の日曜日、11日午後には東京の八重洲ブックセンターで刊行記念のトークショーも予定されている。神保哲生さん、青木理さん、それに私の3人が顔をそろえ、あれやこれやと語る手はずだ。関心をお持ちの方は、ぜひ。大震災からちょうど1年に当たる日なので、話はその方面にも進むと思う。

「メディアの罠」については、私が著者3人を代表する形で、以下のような「まえがき」を書いた。ぜひ書店で手にとってくだされば、と思う。

(以下、「まえがき」からの引用)
 最近のメディア批判、ジャーナリズム批判は止まるところを知らない。本書を手に取ったみなさんも「新聞やテレビの報道はいったい、どうなってしまったのか」「誰のために、誰に向かって、何を報じようとしているのか」といった憤りや不信を抱いた経験が少なからずあると思う。

 とりわけ、二〇一一年三月に起きた東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故に際しては、報道不信が極まった。「新聞は政府や東京電力の言い分を垂れ流すのか」「大本営発表だ」。そんな批判を目にしなかった日はないほどだ。報道批判がメディアに深い関心を持つ人々から国民各層へ一気に広がったという意味でも、二〇一一年はメディア史に記憶される年になるだろう。

 本書の筆者三人は従前から、今の報道のあり方に強い疑義を投げかけてきた。

 そして「報道の理想型」があるとすれば、どのようにしてそれに近づくかの実践もそれぞれの立場で繰り返してきた。同時に、最近のメディア批判、報道批判については「短い言葉の応酬や言葉の激しさを競うような、上滑りのやり取りが多すぎないか」「批判のための批判が横行している」といった違和感を拭えずにいた。

 要は、「メディア批判に対する疑問」である。

 青木理さんは共同通信社で記者だった。社会部やソウル支局で働き、警察取材、とくに公安関係に強い。フリーになった後も精力的な取材活動を続け、ニュース番組のレギュラー・コメンテーターもこなしている。
 神保哲生さんは外国通信社の記者を経てビデオジャーナリストになった。この分野では日本の嚆矢と言ってよい。インターネット時代の到来を早くから見据え、報道番組の制作・配信を一〇年以上も前からネット上で続けている。
 高田昌幸は北海道新聞社で二五年間記者生活を送った。調査報道に関心が深く、その分野での実践を続けた。東日本大震災後に退社したが、記者クラブの開放を早くから訴え続けるなど、フリーになる前も今も姿勢は変わらない。

 三人の共通項は「報道現場の人間である」ということだ。報道現場のおかしさや矛盾などは身をもって数え切れないほど経験してきた。そして「批判のための批判ではなく、改革のための批判を」との考えでも一致している。批判は大切だけれども声高に叫ぶだけでは問題は解決しない。ものごとには経緯と理由がある。それを見据えて、もっと丁寧な議論が必要ではないか、と。

 だから本書は、最近流行の、激しい言葉が飛び交うだけのメディア批判とは少し趣が違う。「何がどう違うのか」は、三人の議論の中からぜひ読み取っていただきたいと思う。
by masayuki_100 | 2012-03-07 20:10 | ■2011年7月~ | Comments(1)