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ニュースの現場で考えること

カテゴリ:木をみて森もみる( 44 )

少し前の金曜日のことだ。

夜11時ごろ、地下鉄オックスフォード・サーカス駅のホームで電車を待っていると、ちらちらとこちらを見る人がいる。妙齢の女性が3、4人。「誰だっけ?」と思って見返すと、向こうは目をそらす。

やがて電車が来て、30分ほど揺られた。そして、下車駅で改札を抜けたときである。右斜め後ろから、日本語が話しかけてきた。

「あの、高田さんですよね?」

さっきの女性たちの1人だ。連れの女性はやや離れて立っている。そこだけが明るい駅の出入り口。人込みの中で、彼女の声は続いた。

「実は乗る前から見てたんです。あ、高田さんだって、驚いちゃって。これはきっと運命だ、今を逃すともう会えないかもしれない、ここで声をかけなきゃ、って」

驚いたのは、私である。この年になって、妙齢の女性に街頭で声を掛けられるとは。しかも、相手は「ウンメイ」などと言っている。

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私が英国に来たのは、2006年2月下旬である。渡英して3年が過ぎた計算だ。一方、本誌で連載を始めてからも、ちょうど1年が経過した。両方とも、なかなか切りがいい。


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by masayuki_100 | 2009-02-28 19:50 | 木をみて森もみる

ロンドンは最近、夜になると雨が降る。この原稿を書いている今夜も、雨が窓ガラスを強く叩き始めた。昼間の雨は情緒があり、時にうれしくもあるが、雨の夜はどこか寂しさが消えず、なかなか寝付けない。

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昨年12月下旬、私は郷里の高知へ久しぶりに足を運んだ。帰省は5、6年ぶりだろうか。暖かく、穏やかな日が続いた。

その2日目だったと思う。

昭和2年生まれの母と一緒に、近所をぶらぶらと散歩した。自宅周辺は古い街並みと新しい街並みが混在し、細い路地があちこちへと続く。その途中、雑貨店の軒先に立っていた老女が母に話しかけてきた。


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by masayuki_100 | 2009-02-06 06:53 | 木をみて森もみる

北海道の富良野地域は、日本でも指折りの景観を持つ。なだらかな丘陵地帯がどこまでも続き、実に美しい。麦畑やジャガイモ畑、それに、菜の花、ヒマワリ、ラベンダーなどの花畑も続く。見ようによっては、南仏や英国の湖水地方のようでもある。

今の時期、丘陵地帯は雪に埋もれている。それがまた、凛として、鮮やかだ。

◆ ◆ ◆

その丘陵地帯に観覧車を建設する計画が、進行中だという。計画地は上富良野町の深山峠。国道沿いにあって、丘陵地帯と十勝岳連峰が見渡せる。「絶景」というにふさわしく、私もよく車で訪れた。

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by masayuki_100 | 2009-02-06 06:51 | 木をみて森もみる


新しい年をみなさんは、どのように迎えただろうか。

私はロンドンの知人宅に赴き、数人で料理を囲み、年越しのテムズ川の花火大会はテレビで見た。そして、再び料理をつつきながら、朝まで話を続けた。「先行きの見えない不況はどうなるのだろう」とか、「新聞はどう変わるべきか」とか、そんなとりとめもない話である。

その後の数日間は、自宅で読書三昧だった。サスペンスから国際政治の専門書まで乱読である。その中に「創刊」( The Making of The Independent)という古い本があった。英国の高級紙「インディペンデント」の創刊までをドキュメント風に綴った1冊である。

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インディペンデントが創刊されたのは、1986年10月のことだ。ちょうど私が今の会社で仕事を始めた年である。万事に保守的な英国においては、新聞界も例外ではなく、新しい高級紙が英国に登場したのは131年ぶりだったという。

創刊から4年後、インディペンデントの発行部数は「タイムズ」や「ガーディアン」と並び、約40万部に達した。現在は30万部以下まで部数を落としているとはいえ、主要日刊紙の地位は揺らいでいない。

創業の中心だったアンドレア・スミス氏は、「デーリー・テレグラフ」紙の経済編集長だった1985年初め、新しい新聞の創刊を考え始めた。実際の発刊のわずか1年余り前のことである。当時、テレグラフは不調で、日に日に部数を落とすような状態だった。テレグラフの再興策を会社側に提案し続けたスミス氏は、経営と紙面の双方にはびこる「新聞業界の保守主義」に絶望を深め、新たな新聞に賭けることにした。


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by masayuki_100 | 2009-01-07 09:09 | 木をみて森もみる

英国から日本へ一時帰国し、数日前から東京に滞在している。東京もロンドンと同様、クリスマスの装飾は溢れんばかりだ。もっとも、金融危機や世界的な不況のせいか、東京もロンドンも、華やかさや賑やかさは例年ほどではないように映る。

この時期になると、1通のメールを思い出す。東北の山間部に住む学生時代の友人が、2005年のクリスマス前に送ってきたものだ。

彼は、冗談好きで、明るく、穏やかで、モテた。卒業後は家業を継ぐため帰郷。青年団活動のほか、町おこしにも力を注ぐなど、地元に根を張って暮らしてきた。

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お久しぶりです。メールをもらいながら、なかなか返事も出来ず、すみませんでした。


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by masayuki_100 | 2008-12-10 10:49 | 木をみて森もみる

この号が発行されるころには、ノルウェーのオスロで、クラスター爆弾禁止条約の署名式が行われているはずだ。対人地雷とか、クラスター爆弾とか、そんな兵器を国際条約で全面禁止にすることなど、少し前までは不可能だと思われてきた。しかし、そう思い込んでいるアタマこそが、相当に古びているらしい。

クラスター爆弾とは、数百個から2000個ほどの小さな爆弾(子爆弾)を収納した親爆弾を目標の上空で爆発させて子爆弾を広範囲にばらまき、それらが着弾した際にいっせいに爆発させる兵器を指す。子爆弾の何割かは不発弾として残り、戦闘行為の終了後も一般市民に多大な被害を与えてきた。その製造・運搬・配備・使用などの一切を禁じるのが、この条約である。大量保有する米国やロシア、中国などは参加しないものの、日本、英国、ドイツなど100カ国以上が賛同している。

クラスター爆弾禁止条約は2007年から、大国抜きで条約づくりの作業が始まった。国連など既存の国際機関も動かない中、ノルウェーやベルギーなど中小の「有志国」と、国際的な非政府組織(NGO)が目標に向かって動き始め、賛同国を増やし、ついに条約締結までこぎ着けた。そのプロセスは対人地雷禁止条約(オタワ条約、1997年)と非常に似通っている。

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by masayuki_100 | 2008-12-10 10:39 | 木をみて森もみる

スタッズ・ターケルがシカゴの自宅で死去したのは11月1日だった。96歳だったという。作家であり、ラジオの脚本家・パーソナリティーでもあった。何よりも彼を有名にしたのは、市井の人々の膨大なインタビューを集めた「良い戦争」「アメリカの分裂」などの著作である。

私は学生時代からターケルのファンで、とくに「仕事!」を愛読していた。邦訳は2段組で700ページ超もあり、115職種の133人が登場する。逝去を伝えるBBCがターケルを「Studs Terkel was the spokesman for millions of Americans」と表現したのも道理だ。名も無き人々の前にテープレコーダーを置き、ひたすら話を聞き、言葉を引き出す。それがターケルだ。

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ターケルの仕事とは比べるべくもないが、10年ほど前、私が言い出しっぺになって、同僚と一緒に市井の人々のインタビューを北海道新聞に長期連載したことがある。要は「仕事!」のまねである。方言は方言のままで、口癖は口癖のままで。人の話しぶりは、まさに、生き様を反映しているからだ。


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by masayuki_100 | 2008-11-27 19:31 | 木をみて森もみる

脳内出血を起こした出産間近の女性(36)が、8つの医療機関に受け入れを断られ、赤ちゃんを出産後に死亡するという「事件」が、東京で起きた。1カ月ほど前のことだが、外国の通信社も東京発で配信し、英国の一部新聞も報道したから、ご記憶の方も多いと思う。

このとき、最初に受け入れを断り、最終的に女性が入院したのが、都立墨東病院だった。拒否は「土曜日で当直産科医が1人しかおらず、対応が困難」だったから、という。

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かつて東京の下町には、台東産院、築地産院、墨田産院、荒川産院という4つの都立産院があった。いずれも1980年代から順次統廃合され、現在はどれも残っていない。このうち、築地産院の統合先が今回問題となった墨東病院だ。そして、学生時代の一時期、私がアルバイトで通ったのが台東産院である。ピーク時には、年間1000人もの赤ちゃんが生まれたという病院だった。


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by masayuki_100 | 2008-11-25 11:55 | 木をみて森もみる

ロンドン在住の作家・黒木亮さん(51)は、大手邦銀をはじめ総合商社や証券会社などで国際プロジェクト金融を手掛け、アフリカから中東、アジアなどを縦横に駆け巡った経験を持つ。それに裏打ちされた「巨大投資銀行」「エネルギー」といった作品は、多くの読者を魅了してきた。

黒木さんの仕事場は、ロンドン北部にある。作家らしく部屋は資料や本であふれ、訪れた人は、どこに腰を下ろそうかと迷うに違いない。

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私と同世代の方は、マラソンの瀬古利彦選手を覚えていると思う。早稲田大学在学中に華々しくデビューし、五輪にも2度出場した。その瀬古選手と同じ時期に、早大競走部に在籍したのが、金山雅之選手(黒木さんの本名)である。

金山選手は箱根駅伝も走った。「花の2区」を走った瀬古選手からタスキを受け取って3区を走り、4区へタスキを引き継ぐ。翌年は8区を走った。エンジ色のランニング・シャツに、白字で大きな「W」。それが、若き日の黒木さんだった。


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by masayuki_100 | 2008-11-25 11:39 | 木をみて森もみる

麻生太郎首相の「夜の豪遊」が話題になっている。麻生首相は、高級レストランやホテルのバーなどを毎夜のように飲み食べ歩く。そんな姿が「庶民の感覚」から外れているのではないか、という指摘だ。

自分のカネをどう使おうと、まったくの自由だ。真っ当な政治を行うなら、どこで何を食べようと、とやかく言う筋合いでもあるまい。ただし、首相ともなれば、問答に、ある程度の品格も必要だろうと思う。


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by masayuki_100 | 2008-11-25 11:36 | 木をみて森もみる