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ニュースの現場で考えること

カテゴリ:■2005 東京発■( 48 )

ロンドンへ

何の脈絡もなく、「そんなワケで」と書くのは妙な感じだが、まあ、そんなワケでロンドンに赴任することになりました。いまは成田のホテル、あと少しで夜明けです。そして、日が高くなったころに出発です。

「出発前に一杯やろう♪」といったお誘いを随分受けましたが、準備に忙しい中、失礼ばかりを繰り返しました。個別にメールの返事を書くことをできなかったことも多く、この場を使ってお詫び申し上げます。またこのブログも放置状態が続き、すこし、申し訳なく思っています。ごめんなさい。

英国に行くにあたって、考えること、思うことは多々ありますが、しかし、この仕事は楽しいし、なかなか奥が深い。それをまだまだ味わい尽くしておりません。ブログも続けるつもりです。遅くとも3月初旬には「高田です。ロンドンからです」という書き出しで再開したいと思っています。では、また。
by masayuki_100 | 2006-02-20 04:23 | ■2005 東京発■ | Comments(13)

パソコンが直りました

「そしてまた年が重なる」というエントリを書いてから、ちょうど1ヶ月も過ぎてしまった。この間、何がひどかったと言って、パソコンが壊れたことが一番コタエタ。あのエントリを書いた直後に、パソコンのハードディスクがガリッガリッと不気味な音を立て始め、年末ぎりぎりに壊れたのである。で、1ヶ月近い空白を経て、先日、ようやく修理完了となった。

それにしても、日本企業のアフターサービスはありがたい、と今更ながら実感。メーカーによる保証は期限を過ぎていたのだけれど、購入先の量販店のそれが有効だった。添付された明細書にはメーカーによる報告書が含まれていたのだけれど、それによると、修理代は約7万円である。それがゼロだったのだから、ほんと助かった。パソコンを買ったとき、量販店のポイントをケチらずに、保証期間の延長に充当しておいてよかったなあと、しみじみ思うのだ。

そんなわけで、私は極めて元気である(^^; このブログは業務外でやっているし、社用のPCは使用しない。で、この間、エントリをまったく書いていなかったにもかかわらず、連日、500-600もの訪問者があった。もちろん、こんなことも表面化したので、それも影響しているのだとは思うけれど、まあ、パソコンも直ったので、私としては「良かった、良かった」である。この問題については、まだ物事は動いているし、社内では言うべきことは言っているので、今のところ、このブログで私が言うべきことは無い。

まあ、一つだけ何かを記すとすれば、こういうことだろうか。つまり、物事は一直線には進まない、ということだ。

当たり前の話だが、何かの目標なり、理想を掲げていたとしても、そこには一直線でたどり着けるわけではない。曲がった道も山坂も分岐点もある。そうしたものが目に入らぬほどウブではないし、真っ直ぐに進まないことに苛立って何かを放り投げたり意気消沈したりするほど、ヤワでも短気でもない。良い意味で、したたかでないと、何かの目標なり理想なりには、近付けないのだろうと思う。そんな当たり前の話は、わざわざ私がここで書くほどのものでもないけれど、まあ、何と言いましょうか、私はいつもと同じように、楽天的に、明るく、たんたんと過ごしています。
by masayuki_100 | 2006-01-29 12:37 | ■2005 東京発■ | Comments(6)

そして、年がまた重なる

日付が変わって、とうとう12月30日になった。あと1日と少しで、2005年も終わる。そう言えば、昨年の今ごろは、スマトラ沖地震が年末年始気分を吹き飛ばしていたな、とか、いろんなことを思い出しながらメールをチェックしていたら、学生時代の古い友人から久しぶりにメールが届いていた。

彼はいま、本州の山間の小さな町で家業を継いでいる。学生時代のある時期は、ほとんど毎日のように顔を合わせていた。なかなかの好漢で、冗談好きで、明るく、穏やかで、モテた。しばらく話もしていなかったが。メールには、こう書いてあった。

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こちらはと言えば、ひと言で言えば、家業の不振に喘ぎつつ、三人のこどもと妻、両親のために「死なない」で必死に戦っております。億の位の借金を抱え、体力の限り頑張っても、頑張っても頑張ってもなかなか事態の打開には至らないのが現実です。この状況で精神的にも鍛えられ、学生時代の(略)はすっかり影をひそめてしまいました(笑)

君の「新聞とは何か?」という自問に負けず劣らず、「生きるとは、人生とは?」を毎日考えずにはいられません。「今までの人生、ほんとに甘かった。人に甘えて生きてきたんだな」と自分を責めたり、でも一方でそうは思えない自分もいます。

この一年、身近なところで三人も自ら命を絶ちました。その度に、自身の命も削られる思いです。あまりに過酷だと思います。普通の人間が普通に努力してるだけでは普通に生きられない社会。この現状に憤りと虚しさをおぼえます。そういう意味でも、けして負けるわけにはいかないのです。もがいてはいあがって、必ず事態を変えてみせます。「逃げない」ことがこどもたちへの
自分ができる最大のメッセージだと思っています。

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彼が住む本州の山あいの町は、早くも雪に覆われている。今年の冬は厳しい。東京に居ても本当に寒いから、彼の町はこの何倍も寒く感じるはずだ。

そして、何の脈絡もなく、BigBangさんが少し前に書かれたエントリ「僕はいつ『ブロガー』」などという謎の生き物になったのだろう。」を読んだ。「僕らは静かに消えていく」も読んだ。

友人からのメールも合わせ、どれもが心に染みる。友人はメールの最後に「ありきたりですが、ばらばらにされた一人一人を結ぶ大きな仕事を君の力でぜひ実現してください。期待しています」と書いていた。その言葉を聞くことが、いまは苦しいくもある。けれども、私も他の誰も、進むことを止めるわけにはいかないのだと思う。進んでいる方角が分からなくても、足を前に出すことは止められない。。。いつの間にか、私や私のような世代は、そういう年齢に達しているのだ。

ではまた、来年に。

コメント欄で頂いた書き込みに、ぜひこれは返事せねば、と思うものも多々ありましたが、ごめんなさい、年をまたいでの返答にしたいと思います。
by masayuki_100 | 2005-12-30 05:20 | ■2005 東京発■ | Comments(10)

「一人旅」について

年末の雑用を種々片付けながら、メディア論を専攻する大学の先生から「読んでください」と渡されていた本を見つけ、パラパラとめくっていた。「ジャーナリズムの情理-新聞人・青木彰の遺産」という1冊で、産経新聞社から出ている。「一昨年死去したマスコミ界の重鎮で筑波大学名誉教授・青木彰氏の仲間と弟子たちがジャーナリズム復権へ、思想や立場を超えてつづった」内容だが、私が一番引かれたのは、高知新聞の依光隆明社会部長さんが書かれた一文である。高知は私の郷里で、依光さんも既知の方ではあるが、この本に収録された依光さんの文章は、やはり、「志」の塊みたいなところがある。

<「一人旅」の十五年―高知新聞の試み>という文章の中で、依光さんは1990年代の初頭から、高知新聞のスタンスは変わったのだと書いている。最初は高知県庁のカラ出張問題だったらしい。今では役所の不正経理は「常識」みたいになってしまったが、当時は今以上の大ニュースだった。ところが、高知新聞の社内では当時、取材チームに対し、「カラ出張は必要悪だ」「予算を有効に使うために編み出されたシステム」といった声が出てきたのだと言う。それでも、高知新聞は徹底追及を続けたらしい。その中で、社内の雰囲気も変わった、と依光さんは書く。感じ入るところがあるので、以下で少し紹介したい。

●悩みの一つめ。県庁には権力が集中している。一方で高知新聞の世帯普及率は7割を超えている。権力の中枢と言論の中枢。この両者がガチンコでけんかしたらどうなるか? → 結局、何も起こらなかった。むしろ、読者は応援してくれたし、部数も減らなかった、と。「両者がケンカしたらどうなるか」という県庁に対する思いこそが、自らの手足を縛っていたと、依光さんは言っている。

●悩みの二つめ。情報源が無くなるのではないか? → 過去に培った情報源は細くなったが、新しい情報源もできた。取材のスタンスを「県庁密着」型から大きく転換したのだから、取材源は変わって当たり前。問題はないし、なかった。

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by masayuki_100 | 2005-12-29 18:12 | ■2005 東京発■ | Comments(2)

 何らかの物事に対する「定義」に関する議論を進めていくと、神学論争になりやすい。その際、神学論争を避けるためには、定義づけを行う言葉(=対象となる言葉)をできるだけ、「小さくしていく」しかない、と私は考えている。議論自体をわあわあ楽しむような場合は、そんな小難しいことを言わなくても良いとは思うのだが、少し真面目に議論する場合は、やはり、「大きな言葉は使わない」ことだと思う。

で、少し話は変わる。「新聞はネットを殺すのか」の湯川さんが、「日本のブログジャーナリズムの現状」というエントリで、「ネットの一次情報を基に取材する記者」という小見出しの部分で、ネットと一次情報の関係について触れている。

「ネットには一次情報が無い」という声がある、だいたいはそうかもしれないけれど、一次情報を発しているブログもある、例えば、耐震設計偽造問題では「きっこのブログ」が情報発信源になり、そこから情報を入手して各メディアは取材に走った、、、、そういう趣旨の後で結論部分で< 「きっこの日記」に寄せられる玉石混淆の情報の中から、追加取材で「玉」の情報がどれかを見極めて報じるということがマスコミの役割となった>と締めくくっている。

きっこの日記と一連のマスコミ報道の関係がどうだったのか、私は具体的に承知していないが、まあ、そういうことはあるだろうな、と思う。なぜなら、こういった取材・報道の図式は過去にもたくさん存在していたからだ。

調査報道等は、実は(当たり前の話だが)端緒がすべてである。端緒が無いと、何も始まらない。私が以前、社内向けの冊子で調査報道について書いた際も、最初の項目は「端緒がすべて」だった。かつて、朝日新聞が手掛けたリクルート報道でも、その中心に居た山本博デスク(当時)は、端緒がすべてである旨を著作で記している。

では、ふつう、端緒はどうやって掴めるのか。一つは、俗に言う「内部告発」である。これは、その当人が、ある程度の意志を固めたうえで行われる。匿名の場合も実名の場合もある。手紙や電話、メール等で、それはマスコミ等に届く。

2つめは、記者が直接端緒を掴む場合。政治家や官僚、司法関係者、企業関係者等のもとをグルグルと回りながら、自分で情報を得て、それを掘り下げ、別の関係者に当たり、・・・というスタイルだ。そういう中で「おお」と思う端緒に行き当たる。

3つめは、上記の2番目の変形で、「事情通」と呼ばれる人から端緒を入手するケースだ。調査報道のネタになるような話は、実は、何らかの「儲け話」につながっている場合が多い。誰かが違法・脱法行為で巨万の富を得ようとしていた・・・そんな類である。「富」は、「地位」「名誉」になる場合もある。そういう話はたいていは水面下で行われ、水面上に出ることは少ないのだが、なんと言うか、富を前にすると、「仲間割れ」「ひがみ」みたいなものが出てくるようで、水面下の話はたいてい、そうした隙間から漏れ出てくる。

ところで、世の中には不思議なもので、自分はその「儲け話」の直接の当事者ではないにもかかわらず、そうした「隙間から漏れ出た情報」をたくさん持っている人が結構存在する。言わば、「ウワサの大量保有者」である。ある事件に直接関わった人が持つ情報を「1次情報」とすれば、ウワサの大量保有者が持つ情報は「2次情報」である。たとえ資料を持っていたとしても、そういう人から聞いた情報は、そのままでは使えない。どこかで、「1次情報保有者」に確認を取らねばならない。

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by masayuki_100 | 2005-12-29 13:30 | ■2005 東京発■ | Comments(3)

終わりの始まり、か?

耐震偽装詐欺事件。強制捜査のタイミングが、この種の事件としては、どうも早すぎるような気がします。ある意味、「終幕」に近づけたい、ということなのでしょう。「今後は捜査の行方に焦点が移って行きそうです」という番組や記事が、目に見えて増えるかもしれません。

本当に捜査は、問題全体の焦点なのかどうか。この種の大きな事件の際は、いつもそれを感じます。
by masayuki_100 | 2005-12-22 07:11 | ■2005 東京発■ | Comments(5)

バブル時代と年の瀬

株式市場の活況が続いている。21日の東証は3日続伸で、日経平均株価は前日比316円31銭(2.02%)高の1万5957円57銭。上げ幅は今年3番目、そして年初来最高値も更新した。東証1部出来高は25億7604万株、売買代金は3兆3424億円というから、なかなかのものだ。バブル期につけた史上最高値を更新する銘柄も結構出ているようだし、(素人判断では)この勢いは当分衰えない感じがする。

そんなニュースの一方で、暗い話を投げかけるのは気が引けるが、「年末の株高」というと、どうしても、1989年(平成元年)12月を思い出す。同月29日、東京市場の日経平均株価は終値が3万8,915円87銭になり、史上最高値をつけた。私は当時、入社4年。札幌の本社経済部で仕事を始めて半年、駆け出しの経済記者だった。

あの頃の雰囲気は、今思っても異様だったと思う。ふつうの日刊紙も経済特集(というより投資特集)を争ってつくり、「マネー」という言葉が急速に一般用語になり始めていた。社内の先輩たちとワアワア言いながら、「年が明けて3月末、平均株価はいくらになっているか」と話していたことを思い出す。記憶では、「下がる」と言った人はほとんどおらず、「4万円」「4万5千円」といった景気の良い数字がポンポン飛び出していた。

私は、経済の「ケ」の字も理解していなかったが、当時、いくつかの出来事が妙に引っ掛かったことを覚えている。そのころの私の担当は「不動産・建設・リゾート」。いま覚えば、まさにバブルそのものが担当だった。

引っ掛かりの一つは、北海道東部のあるゴルフ場計画だった。本州企業の北海道支店で話を聞き、さて、記事にしよう、ホテル併設のゴルフ場計画なんて珍しくもないが、郡部にとっては地域振興の目玉だからな、自治体の首長さんも後押ししてると電話で答えていたし・・・などと思いながら、社内の調査室で調べものをしていた。当時は今のように、便利なデータベースなど存在しておらず、過去の記事を調べるには、調査部の方々が作成してくれている「切り抜き帖」くらいしかない。テーマごと、地域ごとの切り抜き帖を古い順に見ていたら、「××のレジャー計画、破産。ゴルフ場用地は放置」という記事があったのだ。1970年代後半の、当時から数えても10年ほど前の記事だったと思う。

「レジャー計画」(その頃はリゾートという言葉もなかった)破綻を報じる記事が指し示していた場所こそ、まさに「ホテル併設のゴルフ場計画」の場所とピッタシ同じだったのである。過去記事の写真に映った「××計画地」という看板の位置まで、新計画の看板と同じ位置だった。で、それが気になって、あれこれ調べていくと、リゾート計画の少なくない箇所が、「列島改造ブーム」のときの「頓挫したレジャーブーム」の計画地とまったく同一であり、それこそ、あちこちで蘇ったのである。

いや、正確には蘇らなかった。その北海道東部の計画も、そのほかのいくつかの計画も、結局は、リゾートブームの「ブーム」に乗れず、破綻し、会員権販売で多額の資金を集めた企業も消えた。で、残ったのは、土砂流出の保全工事すら出来ずに、工事途中で放り出された郡部の土地である。10数年の間に、同じことが2度も起きた・・・。おそらく、そんな土地は全国にたくさんあったのだろうと思う。

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by masayuki_100 | 2005-12-22 06:21 | ■2005 東京発■ | Comments(0)

日本各地を猛烈な寒波が襲っている。ほんのこの間まで、「暑い、暑い。東京の夏はどうなっているんだ?」と思っていたのに、本当に時間はあっという間に過ぎる。相変わらず、バタバタと忙しく、しかも夜は連日の飲み会である。このブログは仕事時間外に書いているのだが、さすがに連日の午前様だと、自宅でパソコンのスイッチを入れる間もなく眠ってしまうことが多々あるのだ。

で、そうこうしていいるうちに、書こう書こうと思っていた記事の引用元がリンク切れになってしまった。読売新聞が11月28日夕刊2面で報じた記事について、である。リンク元のURLは、もう無意味なので省略するが、当該記事は「テロ緊迫時の重要施設警備、警察官の権限強化 法整備へ/政府」という見出しが付いていた。(以下、引用)

<政府は28日、テロ攻撃の危険性が高まった際に、首相官邸や原子力発電所など重要施設の警備に関する警察官らの権限を強化する法整備を行う方針を固めた。警察官職務執行法など現行法の改正に加え、新法の制定も検討する。早ければ来年の通常国会に提出する考えだ。
 警察官職務執行法などによれば、警察官や海上保安官による職務質問や車両検問はすべて任意で、拒否されると強制はできないため、重要施設へのテロリストの侵入を防ぎきれない可能性が指摘されている。 このため、政府内では「テロ攻撃を未然に防ぐには、警察官らによる立ち入り制限や強制的な職務質問が必要だ」との見方が強まっている(略)。
 検討している法整備は、国内や日本周辺でテロ攻撃の恐れが出てきた際、重要施設などの周辺を警戒区域に設定し、区域内での警察官らによる職務質問や警察施設への同行要請などに強制力を持たせる内容だ。重要施設としては、〈1〉首相官邸〈2〉国会〈3〉原子力発電所〈4〉大規模イベント会場〈5〉重要港湾施設--などを具体的に列挙する(後略)> (引用終わり)

私の生まれる2年前、1958年には、この警察官職務執行法(警職法)改正があり、これに対して、大きな反対運動が起こったそうだ。「デートもできない警職法」とか、そういう言われ方をしたらしい。でも、まあ、そんな古い話はどうでも良い。

これに関連する報道は、私の知る限り他に見当たらないが、仮に上記の記事がその通りだとすると、「ムムムムッ」である。住居侵入容疑などを適用すれば、「重要施設へのテロリストの侵入を防ぎきれない」ことはないようにも思うのだが、それでは足りないので、職務質問を「任意」から「強制」にすべきだ、と政府は考えているという趣旨だ。

これに関する警職法改正案が出ているわけではないので、何とも言えない部分は残るが、「強制的な職務質問」とは、どういう概念なのだろうか? 職務質問を拒否したら、その場で逮捕なのか? 首相官邸や国会、大規模イベント会場等々の地域制限は付す考えのようだが、そうであっても、例えば、「愛・地球博」や東京・有明の○○ショー、幕張メッセでのイベント付近で、怪しい行動を取っていたら「強制職務質問」の対象になるのだろうか? 

1958年の改正時には「デートもできない警職法」と言われたそうだが、だいたいにおいて、カップルは暗がりを好むし、そういう姿は怪しいといえば怪しい。だいたい、誰が怪しくて怪しくないか、「強制職務質問」の対象に誰を選び・選ばないか、そういう「基準」をどう定めるのか(もちろん、机上で決めた「基準」など簡単に拡大解釈されていくことは歴史が証明している)。共謀罪創設やら憲法改正国民投票法案の上程の動き、人権擁護法案の制定の動き等々に眼を奪われているうちに、また新たな、もしかしたら、とんでもない社会を招きかねない法改正が、実現に向けて動き出しているのかもしれない。

参考・「忍び寄る警察国家の影」 元国家公安委員長(国務大臣)白川勝彦氏のサイト
by masayuki_100 | 2005-12-19 12:48 | ■2005 東京発■ | Comments(10)

事件取材と弁護士

山川草一郎ジャーナルさんが「語り始めた弁護士」というエントリを書かれている。広島の幼女殺害事件で、ペルー人容疑者の弁護士が報道陣の取材に応じたことを前向きに評価する内容だ。

日本の刑事司法制度下では、事件の容疑者に対する接触・接見は相当に制限されている。容疑者が起訴されて、「被告」になれば、最低でも国選弁護人が選ばれる。しかし、起訴前の段階では、弁護士が手弁当で駆けつける「当番弁護士」(ただし、普通は1回しか来ない)か、もしくはお金のある人は私選の弁護士を付けることが可能だ。つまり、刑事司法制度に疎い人やお金の無い人は、逮捕段階(=容疑者段階)では、弁護士なしに最長23日間(逮捕状の効力=2日間、検事拘留=1日間、10日間の拘留延長が2回)の取調べが続くのである。

山川さんも指摘されているが、こうした状況下では、「容疑者の言い分」を取材することは非常な困難を伴う。もちろん、外国の映像で目にするように、留置場の鉄格子超しに容疑者にマイクを向けることなど不可能だ。勢い、「容疑者の言い分」は、警察からの間接情報に頼るしかなくなっていく。幼い子供たちが殺害される最近の痛ましい事件の数々も、「容疑者はこう言っている」の大半は、警察からの情報であり、そして、本当にそう言っているのかどうかを容疑者側に確認する術は事実上、存在しない。

そこに風穴を開けるのが、「容疑者に付いた弁護士」である。先にも書いたように、現在は、容疑者に弁護士を付ける場合は、当番弁護士か私選弁護士しかない。しかし、国の司法制度改革によって、近々(予定は2006年度)、容疑者段階であっても、国選弁護人が付くことになっている。弁護士がいない田舎や離島の警察署で逮捕・拘留されている場合、国選弁護人がその留置場まで駆けつけることができるのか、といった細かな疑問はあるけれど、容疑者段階でも弁護人が付くという仕組みがやっと日本でも登場するのだ。

その仕組みが広範に広がれば、容疑者段階での「警察情報のみに頼った報道」は、少し風向きが変わるかもしれない。やはり間接情報ではあるけれども、容疑者側の言い分を弁護士から取材することが可能になるからである。ただし、そういう取材条件をどう生かすか、は別の問題である。

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by masayuki_100 | 2005-12-06 12:06 | ■2005 東京発■ | Comments(14)

過日、大学時代の1年後輩の仕事場へ出掛けた。赤坂の地下鉄駅から、歩いて数分。エレベーターを降りると、目の前にすぐ、仕事場の入り口がった。卒業後も時々会ってバカ話をしていたが、職場を訪ねるのは初めてだ。外見や喋り方は学生のころと変わっていないのに、職場では上司然と振舞っていて、なにやら、ヘンな?感じである。

で、その職場で、彼が携わる新しいプロジェクトの話になった。

「旅の指差し会話帳」というシリーズをご存知だろうか? 情報センター出版局という出版社が作っている言葉ガイドである。旅行で遭遇する状況ごとに、マンガやイラストが配置され、その国の言葉(文字と発音)が記されている。旅行好きの人なら、書店で見かけたことがあるかもしれない。聞くと、これまでに約60カ国分を出版し、全シリーズで160万部も売れたのだという。なんだか、すごい数字である。彼は大学卒業後、情報センター出版局に入り、いまは「指差し会話帳」の事業に携わっているのだ。

私は大学4年のとき、初めて外国に旅行した。とにかく安く、かつ長く滞在できるところにしようと思い、バングラデシュ、インド、ネパールを選んだ。2カ月弱くらい居ただろうか。飛行機もそのときに、初めて乗った。ビーマン・バングラデシュ航空という飛行会社の飛行機で、マニラ、バンコクと経由して行くうちに、半日以上も遅れてしまい、ダッカの街に着いたのは夜中近くだった記憶がある。

バングラデシュもそうだったし、インドもそうだったのだが、全くその国の言葉を知らなくても、しばらくウロウロしていると、自然に現地の言葉は覚えるものだ。でも、どうせだったら、最初から少しでも勉強して行った方がいい。事前勉強ができなくても、現地で上手にその言葉が使えたら、旅行はもっと楽しくなる。私がインド方面に行ったころは、「指差し会話帳」などという便利なものは無かった。

で、後輩の話に戻るのだが、間もなく、指差し会話帳のDVD版を出すのだと言う。英語や中国語、韓国語なんかはテレビでも学習番組をやっているし、CDも多数売られている。でもアフリカや中東、東欧など馴染みの薄い国々の言葉は、どんな発音なのか、滅多に知る機会が無い。だから、こういう「指差し会話帳」シリーズが音声(絵も)付きに育っていったら、それはそれで、非常に役に立つのではないか、と思う。

彼の職場のHPにも掲載されていたが(元ネタは月刊文芸春秋)、「指差し会話帳」のアラビア語版は、イラクに派遣された自衛隊員も使っていたそうだ。ところが、隊員がその本のページを指差して子供たちとコミュニケーションを取ろうとした際、実は意思疎通ができなかったのだという。本に不備があったのではなく、絵(マンガ)に添えられたアラビア語の文字を子供たちが読めなかったからである。それを知った情報センター出版局のスタッフは、HP上の<★「指さし」が見せたイラクの悲しい現実!>の中で、こう書いている。

<『指さし』にも限界があった、とは思いたくはありません。しかし、これが世界の現実だということは、紛れもない事実です。イラク復興のニュースは日々メディアからは消えていきます。その一方で、この記事は、『指さし』でもコミュニケーションがとれない人々が世界にはいるという現実をまざまざと見せつけてくれました。一日も早く、彼らに字を読み、書き、物語の面白さを知る喜びを味わう日が来ることを願ってやみません>

「指差し」がDVDになったら、発音を録音して、現地で本と一緒に使えるかもしれない。録音して持って行かなくても、現地に赴く人の頭の中に録音しておくこともできる。面倒でなかったら、パソコンとDVDを両方とも携行すればいい。技術の発展は日進月歩だから、ほんの数年後には、手のひらサイズで絵も文字も発音も持ち運び出来るようになっているかもしれない。それが現実になったら、シュールな絵のように映る異国の文字も、ぐんと親しみが沸くかもしれない。
by masayuki_100 | 2005-12-04 18:57 | ■2005 東京発■ | Comments(1)