ニュースの現場で考えること:■本
2011-07-26T14:38:48+09:00
masayuki_100
「真実 新聞が警察に跪いた日」。北海道警察の裏金問題の報道と舞台裏の総括です。角川文庫から発売中です
Excite Blog
「希望」が出版になります(2)
http://newsnews.exblog.jp/16647681/
2011-07-26T14:38:01+09:00
2011-07-26T14:38:48+09:00
2011-07-26T14:38:48+09:00
masayuki_100
■本
「希望」にとりかかったのは、昨年の春ごろ、ちょうど東日本大震災の起きる1年前のことだ。震災発生時は最終校正に差し掛かっていたが、急遽、締め切りを延ばし、震災関連のインタビューも追加することになった。本の装丁は、著名な装丁家、桂川潤さんに手がけていただいた。本当にすてきな装丁になったと思う。見本として事物を手に取った方々からは、ありがたいことに、「とても良い内容ですね」との言葉を頂いている。
たとえば、ジャーナリストの高野孟さん → 「大震災の1年前から企画され取材も進んでいた、生きることの希望のありかを探るインタビュー集だが、大震災が起きたので締め切りを延ばしてその関連の5人を追加してそれを第1部に置いたので、インタビュー相手は63人、ページ数は400ページを超える大冊となった。1人1人の語り口は生々しくて重い。じっくりと読むべき本である」(高野孟の遊戯自在録027 7月9日の項)
「希望」は取材者が20人にも上る。現役の新聞記者、元記者、フリー記者、元フリー記者、学生など多士済々で、年齢も20代から60代まで。どんなに優れた記者であっても、しょせん、1人の見方、1人の目線など幅が狭い。たかが知れている。重層的な目線がないと、この複雑な社会を捉えることなどできはしない。ずっとそう考えていたこともあって、「高田以外の眼」を極力集めたいとも考えていた。それが「多様な取材者」の意味合いでもある。
前回の「希望」が出版になります(1)では、「まえがき」を引用した。「希望」はどんな本ですか、をもっと知っていただくために、きょうは「あとがき」を引用しておこうと思う。ただ、「あとがき」の引用は全文ではなく、抜粋・要約である。
以下は「あとがき」から。
・・・・「希望」に関する本をつくりたいと思ったのは、二〇一〇年の春ごろである。東日本大震災が起きる、ちょうど一年ほど前のことだ。私は自分の思いを数枚のペーパーにまとめ、知人に送り、知人はさらに知人に送り、それが繰り返される中でインタビュアーの顔ぶれがそろっていった。
私自身は、新聞記者の仕事を二〇年以上も続けていた。相も変わらず日々のニュースを追いかけながら、しかし、ここ数年は「なにか違う」という思いを払拭できずにいた。当たり前の話だが、世の中は新聞やテレビのニュースが伝えるような、「日本政府は」「日本経済は」「○○事件は」といった大文字の世界で動いているわけではない。都会は都会で、地方は地方で、田舎は田舎で、つまりは自分たちの目がなかなか行き届かない場所で、地べたに足をつけて、踏ん張って、そして希望を持ちながら明日への道を切り開いている人びとが大勢いる。有名かどうか、成功者かどうか。そんなことにはかかわりなく、何かを信じて、信じようとして、どこかに展望を持って、日々格闘している。そういった人びとこそが、世界の中心であるはず--。
そんな思いが消えなかったのである。
スタッズ・ターケルという稀代のインタビュアーが米国にいた。二〇〇八年一一月に九六歳で死去するまで、『よい戦争』『仕事!』『アメリカの分裂』といった名著を数多く残している。ターケルは録音機を駆使し、テープを回しながら、いつも市井の人びとの声に耳を傾け、言葉を引き出した。数々の著作を読むと、彼の死去に際して英国のBBCが “Studs Terkel was the spokesman for millions of Americans”と報じたのも道理だと思えてくる。だから、この本をつくるにあたっては、そのターケルの手法により添って、人びとが語る言葉にひたすら耳を傾けたいと考えていた。同時に、本書の趣旨が人から人へと伝わるなかでインタビュアーが集まったように、ばらばらだったものを「つなぐ」ことを、何より大切にしたいとも考えていた。
東日本大震災が発生した後、本書は締め切りを延ばし、震災関連で五人の方を追加した。それぞれの人びとの言葉を、それぞれが語る「希望」をどう読み取るかは、読者の方々にお任せするしかない。大川小学校児童の母親が言った「自分の中の時間はあの日で止まっている」という言葉の前では、「希望」もかすむかもしれない。
でも、編者として本書に登場する人びとの言葉の記録を熟読した私には、ぼんやりと、でも確かに思うことがある。どんなにささやかであっても、どんなに泥にまみれていても、そして目の前から消え去ったように感じても、そう簡単に「希望」はなくならないのではないか、と。
むろん、「希望」は、キャッチフレーズのように、漢字二文字だけで語られるべきものではない。この単語を繰り返したところで、何も伝わりはしない。なぜなら、「希望」は、それぞれの人が積み重ねてきた長い長い時間とそれを語る言葉のなかに、あるいは、今後積み重ねる未来の時間とそれを語る言葉のなかに、目立たないかたちで潜んでいるに違いないからだ。
「まえがき」で記した福島の友人には、震災後、長期の無沙汰を詫びつつ、現地の様子をうかがうメールを送った。その返事がなかなか来ない。じれったくなって、五月のある月曜日の午前中、彼の会社に電話してみた。従業員の「はい、代わります」という声のあと、懐かしい、本物の「肉声」が受話器から聞こえてきた。
「お、どうした? この前のメール? 読んでるよ。ちゃんと読んでるって。きちんと返事書こうと思っているうちに遅くなっただけださ。なんとかやってる。元気に決まってる。当たり前だろ、そんなの。それよりさ、週初めのこの時間帯、忙しいんだよな」
おまえの相手なんかしている暇はないんだよ、といわんばかりの早口。遠慮のないその声が、このうえなく、うれしかった。]]>
■「希望」が出版になります(1)
http://newsnews.exblog.jp/16575923/
2011-07-09T13:44:31+09:00
2011-07-09T13:45:18+09:00
2011-07-09T13:45:18+09:00
masayuki_100
■本
「希望」というタイトルの書籍が、7月25日ごろから書店に並ぶことになりました。北海道新聞の退社と偶然重なる結果になり、退社のあいさつを兼ねて出歩く際は、刷り上がったばかりの見本を持ち、あちこちで少しずつ宣伝させてもらっています。
版元の旬報社さんの宣伝文を借りれば、この「希望」は「だれもがどこかに展望をもち、なにかを信じて格闘している。北から南まで、いまを生きる63人の軌跡。希望のありかを探るインタビュー集」です。有名か無名か、成功者か否かには関わりなく、多くの人々(大半は市井の人々である)が取材者と膝を交え、何時間も何時間もインタビューに答えています。語り口調や方言を大事にし、読み手にじっくりと語りかけてくるような内容です。登場人物も様々であるなら、20人に及ぶインタビュアーの年齢、経験も多種多様です。グラビア頁は江平龍宣さんが担当。その写真もすばらしいと思います。
とにかくぜひ一度、手にとっていただきたいと思います。少し長くなるが、「まえがき」です。 数年前のある晩のことだ。
遅くに自宅へ戻った私は、部屋の中央にぶら下がった紐を引いて蛍光灯のスイッチを入れ、いつものようにパソコンに電源を入れた。単身赴任中だったとはいえ、一人暮らしの部屋はいかにも寒々しい。ジジジッというパソコンの立ち上がる音を聞きながら、電気ストーブを引き寄せ、椅子に腰を下ろした。
メール・ソフトを開くと、懐かしい名前が見えた。福島県に住む大学時代の友人である。実に久しぶりの、おそらくは十何年ぶりかの、彼の「肉声」だった。
学生時代のある時期、私たちはほとんど毎日のように顔を合わせていた。彼は冗談好きで、明るく、穏やかで、私とウマが合った。卒業後は連絡を取る頻度も次第に減ったが、郷里で家業を継いだ彼からは、何度か、家族の写真入りの年賀状をもらっていたと思う。それから再び長い年月が過ぎ、世の中は郵便から電子メールの時代に移っていた。
蛍光灯の下でメールを開くと、長年の無精を詫びる、ありきたりの挨拶に続き、長くはない、しかし切々とした文章が続いていた。
……こちらはといえば、ひと言でいえば、家業の不振に喘ぎつつ、三人の子どもと妻、両親のために「死なない」で必死に戦っております。億の位の借金を抱え、体力の限りがんばってもがんばってもがんばっても、なかなか事態の打開には至らないのが現実です。この状況で精神的にも鍛えられ、学生時代の自分はすっかり影をひそめてしまいました……。
……「生きるとは、人生とは?」を毎日考えずにはいられません。「今までの人生、ほんとに甘かった。人に甘えて生きてきたんだな」と自分を責めたり、でも一方でそうは思えない自分もいます。
この一年、身近なところで三人も自ら命を絶ちました。その度に、自身の命も削られる思いです。あまりに過酷だと思います。普通の人間が普通に努力してるだけでは普通に生きられない社会。この現状に憤りと虚しさを覚えます。そういう意味でも、決して負けるわけにはいかないのです。もがいて、はいあがって、必ず事態を変えてみせます。「逃げない」ことが、こどもたちへの自分ができる最大のメッセージだと思っています……。
そして、メールの最後は「ありきたりですが、ばらばらにされた一人一人を結ぶ大きな仕事を君の力でぜひ実現してください。期待しています」と結ばれていた。
ふつうの人がふつうに生きようとしても、ふつうに生きることが難しい――。この五年間か、一〇年間か。気が付けば、この社会は、いつの間にかそんな雰囲気に包まれてしまったように思う。誤解を恐れずに言えば、個人レベルでの日々の暮らしは、単調で退屈で極まりない。ドラマなどそうそう起きるはずもない。自身のことを考えても、身辺で起きることはたいていが(その時は大きな出来事だと思えても)小さな、つまらぬ出来事である。
でも、そんなありきたりの日々の積み重ねの中にこそ、「真実」があるのではないかと思うことがある。ふつうの人々が織り成す、ふつうの日々。時に見失いがちな「希望」も含め、社会と時代のすべてはそこにあるのではないか、と。
たとえば、ずいぶん前に会った、路線バスの元運転手。
彼は約二〇年間、北海道でバスに乗り、その前は長距離トラックを運転していた。文字通り、ハンドルこそが人生だった。その彼はこんなことを話してくれた。
……トラックにしてもバスにしても「事故を起こしたら」ってことが頭から離れなかった。私なんか二カ月に一回は夢を見てたね。バスに満員の乗客を乗せてね、あああ、ブレーキが利かない、あああ、ぶつかるぶつかる。その瞬間に目が覚める。そういう夢です。運転手なら同じような夢、みんな何度か見てますから。間違いなく見てるから。
トラック時代は、とにかく眠くてね。日中は小樽近辺で荷物を運び、夜八時から芦別、帯広行きの運転席に座る。着くのは翌朝でしょ。して、すぐ帰り荷を積んで小樽へ戻る。残業は毎月一五〇時間から二〇〇時間。今と違って労働基準法とか関係ない世界さね。
体が丈夫だったから持ったけど、とにかく、すんごい睡魔なんだ。運転中は左手でハンドル持って、右手は髪の毛ひっつかんだり、足をつねったりで。あああ、と気が付いたら、反対側車線走ってたこともある。そういうことが二回あった。運がいかったんだ。紙一重だよ。あの時、対向車が来てたら、いまのおれはないもの。人生変わってたよ。
辞めたくなったこと? あるあるある。何度も。トラックの時もバスの時も。人間関係だ何だって、いろいろあるっしょ。バス会社を辞める時も、嫌な思いをした。でもね、今では何とも思ってない。恨みとか嫌な思いだけを抱えて生きていけないよ。
二女が生まれた時もね、なんも大変だとか思わなかった。七歳で亡くなったけど、あの子は生まれつき脳に障害があって、親の顔もわかんない、言葉も言えない。そういう子だったの。でも、とにかく、めんこい子でね。周囲からは「大変でしょう、大変でしょう」と言われたけど、何が大変なものか。普通の子どもとおんなじですよ、私らにしたら。もう、めんこくて、めんこくて。
二女が生まれたのは、ちょうどバスが嫌で嫌でしょうがなかった時期だけど、「仕事がどうのこうの言ってる場合じゃない。おれが踏ん張らなきゃ」って、腹もすわった。ね? 親は子どものためにがんばれるんだから。そうでしょ? 子どもはかわいいに決まってるっしょ。嘆き悲しみなんて、ほんの一時のものでしょ?
運転手の彼には夢があった。定年の日は自分で回数券を買い込み、乗客に手渡しながら、「きょうで私のハンドル人生は終わります、ありがとうございました」とアナウンスするのだ。しかし、定年の数日前、脳出血のため車庫で倒れてしまう。
「くやーしくて、悔しくて。あの悔しさ、一生忘れないよ」
彼は、過去に乗ったトラックとバスのナンバーを全部そらんじていた。小さいことかもしれないが、それが彼の誇りであり、人生そのものであり、その日々の格闘の中で彼は「希望」を見いだそうともがいていたのだと思う。
本書には、じつに多様な人びとが登場する。著名な人も無名な人もいる(インタビューで四七名、写真で一六名)。インタビュアーも若手から年配者まで多様である。一見ばらばらに映るかもしれないが、これらのインタビューは、つねに「あなたの希望は何ですか」を問うことを念頭に置いて行われた。
一九九〇年代末以降の日本は、人と社会が限りなくばらばらになっていく過程だったように思う。だからこそ、インタビュアーたちは、人と人を「つなぐ」ことに、それぞれの人びとの「希望」を聞き取ることに、心血を注いだ。言い換えれば、インタビュアーたちは自らが希望を探す旅を続けた。
本書は、そうした旅の成果である。]]>
「ニュースの現場で考えること」の書棚
http://newsnews.exblog.jp/15652849/
2010-12-23T13:39:27+09:00
2010-12-23T13:39:45+09:00
2010-12-23T13:39:45+09:00
masayuki_100
■本
私は相当な活字中毒で、カバンには2-3冊本が入っていないと落ち着かない、そんなタイプの人間である。その読書感想文というか、書評というか、まあ読書メモのような内容である。読む本はノンフィクションやジャーナリズム、メディア関係の分野に偏在しているから、新ブログに登場する書籍も偏在するかもしれないが。
新ブログもどうぞよろしく、です。]]>
真の愛国者とは。「国家の罠」から
http://newsnews.exblog.jp/1431267/
2005-04-09T16:25:57+09:00
2005-09-30T21:22:12+09:00
2005-04-09T16:24:28+09:00
masayuki_100
■本
佐藤氏は鈴木宗男元衆院議員の側近だった外務省職員であり、鈴木氏のスキャンダルに絡んで刑事被告人となった人物である。私も東京勤務時代に一時外務省を担当し、佐藤氏とも若干の交流がった。(過去のエントリ 「北方領土が遠くなる」 参照)
この本を読むと、1999年から2000年代前半にかけて、日本は大きくカジを切ったことが分かる。「戦後日本の総決算」は中曽根内閣のキャッチフレーズだったが、中曽根氏が志向した日本の枠組みは、中曽根内閣時代には花開かず、ごく最近になって花開いた。また、規制緩和や産業の自由化をひときわ大きな声で叫んだのは、細川内閣だったが、その内容が現実になり始めたのは、森政権末期から小泉内閣になってからだと、私は思っている。
本書の中で、佐藤氏は、こういう時代の変化を「内政にあっては、新自由主義。外政にあっては、排外的ナショナリズムも包含した対米(追従)外交への傾斜」という趣旨で捉えている。この2つが高じたことで、鈴木宗男的な旧来の保守主義は、時代の邪魔者になったのだと。
不思議なことに、佐藤氏と全く立場の異なるはずのジャーナリスト斎藤貴男氏も、これと同様の見方をしている。3月下旬に、札幌で、私は斎藤貴男氏と飲む機会があったが、いまの世の中に対する斎藤氏の分析は、まさに、「内政にあっては、新自由主義。外政にあっては、排外的ナショナリズムも包含した対米(追従)外交への傾斜」である。
同時に、この本を読むと、「愛国主義」とは何か、どういう存在か、をつくづく考えさせられる。おそらく、最近、世の中に広がり始めた空気は、排外的ナショナリズムであって、愛国主義とは違う。。。明示的にこそ表現していないものの、佐藤氏はそう言いたかったはずだ。そして、過去において、悲惨な結末を招くことを繰り返したのは、他者を受け付けず、挑発し、内に向かってばかり高揚する排外主義ではなかったか。 以下はアマゾンの引用。
<出版社からのコメント>
1991年ソ連消滅。エリツィン大統領の台頭から、その後の大混乱の時代を経て、プーチン氏への政権委譲へと続く90年代激動のロシアを縦横無尽に駆け回り、類い希な専門知識と豊富な人脈を駆使して、膨大な情報を日本政府にもたらした男、それが元主任分析官、佐藤優だ。
<カスタマーレビュー>
アメリカの虎の尾を踏んだ佐藤優, 2005/04/08
レビュアー: nasu5044 (プロフィールを見る) 東京都
名著である。佐藤優氏は「国家の罠」によって失脚した。
彼に対する特捜の特捜の捜査についてはかねてから「国策捜査」であると報道されていた。この本を読んで分かることは、この「国策捜査」と言う言葉が「検察の側」から出たという事実である。田中角栄に始まって、検察の横暴によって、本来は無罪なのに訴追されたり、裁量権の濫用で普段なら立件しない事件が無理矢理立件されてきた。小室直樹博士がいうように、ロッキード捜査の時をもって、日本の司法は死んだのだ。
この背景には、外務省内での親米ポチ保守派の権力(現在の谷池正太郎事務次官は親米代表格)掌握とい事情がある。鈴木宗男氏の「側近」でロシア派であった佐藤氏は、中国派であった、田中真紀子氏とともに政治的に葬られた。洪水のようになされたマスコミ報道で国民の神経をマヒさせてから。
日本における最高権力は、官僚であり、特捜部と国税庁である。この二つは現在、アメリカの意を受けた日本政府の指示の元、堤義明氏などの経営者に襲いかかっている。この二つの官僚機構こそ「巨悪」である。伊藤栄樹検事総長の言葉は、検察にそっくりそのままお返ししたい。
佐藤氏に検察の横暴を耳打ちした、西村検事は現在左遷されてしまった。世の中は真実を言う人間は生き残れないように出来ている。
スパイ小説顔負けのノンシクション, 2005/04/04
レビュアー: カスタマー 東京
以前“佐藤優”という元外交官のことを文藝春秋の記事で読み、衝撃を受けて以来、彼の告白が出るのを待ち望んでいた。その記事の中の、あるエピソードを紹介したい。
……ソ連崩壊前後、ロシア各地で軍隊と民衆が衝突。そのどれもが流血無しでは収まらなかったのに、たった一箇所、ギリギリまで対峙しながら、軍隊が銃口を下ろし、民衆との和解が成立した地域があった。その影にいたのが、佐藤優だった。偶然かの地に居合わせた佐藤は、日本の外交官という中立の立場を利用し、軍隊と暴徒化寸前の民衆の両陣営を行き来しながら、粘り強く説得を続け、ついには和解にまでこぎつけてしまう……。
その無私の態度と優れた能力は、ロシア人から高く評価され、ロシアの中で最も信頼される西側の外交官の一人となる。優秀な日本外務省役人の中からまで「10年に1度の人材」との賞賛が沸き起こったほどだった。
その佐藤が2000年までの日露平和条約の締結を目指し、鈴木宗男とタッグを組み、両国の和平に尽力しながらも、夢破れ、やがて個人ではどうしようもない政局のうねりの中に巻き込まれる様が、この「国家の罠」の中で述べられている。徒手空拳で己の力を信じ、この社会に立ち向かわんとする全ての人は、この本から、何者にも負けない勇気を得ることができるだろう。
his silent warとアメリカの影そして”死者の家”, 2005/04/03
レビュアー: recluse (プロフィールを見る) 千葉県 Japan
日本の情報関係者によるこのような回顧録は珍しいです。海外にはいくつもの例がありますが、ほとんどが当局の検閲を受けたsanitised version です。その中身の迫真さとディテールについてはその中身を読んでください。1989-1991年の”機会の窓”を逃してしまった日本外交が追求した地政学的な戦略が敗北していく姿が描写されています。そしてその後の日本の国内デザインの機軸の変化とゲームのルールが変わる中で、この外交路線の敗北が引き起こした国内での波及が著者に及ぼした不幸が描かれます。この関係では、”金融崩壊・日本の呪縛 「しし神」のいない金融の森”との併読が参考となります。金融といい外交といいその秘所を決して公にはさらすことのできない部分へ検察と司法という光がさらされていくわけです。著者も述べているように、”対象はよくわからないが、何かに対して怒っている人々”(387ページ)の世論に追従することが、本当に正しいことなのでしょうか?そしてこれらのプロセスの背後に見え隠れるのは、いつもアメリカの影です。これには著者は直接には指摘しませんが、親米路線に統一された外務省の”きれいな水槽”との比喩は慧眼です。読後感は限りなく重い作品です。
国家の罠を読んで, 2005/04/03
レビュアー: 内山秀俊 宮崎県 Japan
「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」を理不尽な思いで読んだ。なぜ国益を考えハードな仕事をこなしていた有能な外交官が逮捕され有罪になるんだ?田中、鈴木、小泉の政争に巻き込まれ、外務省から、鈴木、佐藤両氏が排除されたという構図になるが、そこに至るまでに、外務省、官邸からのリークによって鈴木、佐藤両氏がワルだとと言う世論が形成された。私自身もテレビや新聞に洗脳され両氏をワルだと思い込んでいた。この本を読んで自分を恥じている。国策捜査という恐ろしい現実があることもはじめて知った。
たたき上げだが、非常にやり手で有能な鈴木代議士、キャリア外交官の能力を超えて優秀な佐藤優氏のコンビをリークによってつぶした人達が、両氏の失脚が、本当に国益にかなうと正解を得ているのならいいのだが、実は、鈴木、佐藤氏の偉大な業績を正当に評価する能力がなく、ただの嫉妬や妬みで、両氏の失脚を画策したのなら、罪は重い。
外務省に見捨てられ、力を持たない佐藤氏の唯一の抵抗は、26年後に情報公開される外交資料と整合性をもたせる法廷闘争だ。佐藤優氏の正義を信じてこの勇気ある闘いを見守りたい。
この本には、権力の罠に抵抗する氏の主張意外にも、ロシア人、ユダヤ人との交流話や、佐藤氏の接した人物の評価など面白い記述もある。今の日本が排外主義的ナショナリズムに傾向しているのではとか、とても勉強になった。
]]>
「日本警察と裏金 底なしの腐敗」 宣伝です(^^;
http://newsnews.exblog.jp/1267767/
2005-03-26T18:31:30+09:00
2005-07-26T03:10:08+09:00
2005-03-26T18:29:07+09:00
masayuki_100
■本
講談社文庫から「日本警察と裏金 底なしの腐敗」が4月15日に発売されます。昨年8月に同じ講談社文庫から出版した「追及・北海道警『裏金』疑惑」のいわば続編ですが、単純な続き物ではありません。
今回は高知県警の捜査費不正問題をはじめ、愛媛県警巡査部長の仙波敏郎さんによる実名告発、さらには兵庫県警自動車警ら隊による組織的な捜査書類捏造問題(裏金ではないが組織不正の根は同じ)などに大きくページを割いています。便宜上、著者名は北海道新聞取材班編、となっていますが、筆者は高知新聞、愛媛新聞、神戸新聞など地方紙のサツ回り記者たちです。
「おれの気持ちが分かるか」などと思わず殴り合った高知県警の警察官と記者、街外れに止めた車の中で裏金の全貌を聞き出す愛媛新聞記者、端緒をつかんで何カ月もかかりながら水面下で必死の取材を続ける神戸新聞記者。それぞれの記者は「ここで自分が取材しないと絶対に表に出てこない」と懸命に走っています。権力におもねることなく、かつ単純な「権力たたき」でもない。そんな「記者と権力のあるべき関係」を模索した内容にもなっています。
おそらく、地方紙が一つのテーマで「協同」の形で本を仕上げることは、過去にあまり例がなかったと思います。「解説」は琉球新報のベテラン前泊さんが執筆してくださり、そこでも「地方紙の『協同』は、これからの報道界のキーワードかもしれない」といった趣旨の言葉をいただいています。
長々としたPRで失礼しました。(660円です)。
<関連HP>
高知新聞 高知県警捜査費不正問題
愛媛新聞 愛媛県警捜査費不正支出問題
神戸新聞 兵庫県警 捜査書類ねつ造
北海道新聞 道警裏金問題
]]>
高知新聞 タブーだった同和利権に切り込む
http://newsnews.exblog.jp/1121306/
2005-03-15T02:56:29+09:00
2005-03-15T02:56:37+09:00
2005-03-15T02:54:58+09:00
masayuki_100
■本
「同和」に怯え、ずるずると巨額の資金を貸し込んだ高知県庁。いったい、何を恐れたのか? 行政の「裁量」の下で温存された「利権」。。。この本は本当にすごい。高知新聞は警察裏金問題にいち早く取り組んだことで知られているが、その前には、こんなすばらしい仕事をやってのた。タブーだった「同和利権」に、ここまで真正面から切り込んだ新聞があっただろうか。
なかなか手に入りにくいが、ぜひ、読んでもらいたいと思う。
<以下、高知新聞HPの書籍紹介文です>
高知県が特定の協業組合に巨額の公金を闇融資していたという、県政史上かつてない一大汚職事件。この事実を高知新聞が特報、それに基づき県議会が百条委を設置、調査。高知新聞の報道と連動して実体が解明されていく。ついには、高知県警と高知地検が捜査に乗り出し、元県幹部や元副知事、業者らが背任や詐欺容疑で逮捕、起訴され、裁判を受けることとなった。
高知新聞で三十回にわたって連載された「黒い陽炎(かげろう)―県やみ融資究明の記録―」を基に大幅に加筆し、一冊の本にまとめた本書は、何が「闇」の体質を生み出したのかを問いかけている。
闇融資問題の調査報道と企画連載「黒い陽炎―県やみ融資究明の記録―」は、日本新聞協会の新聞協会賞を受賞。
平成九年の春、一つの風評が県庁から漏れ伝わってきた。「何かとんでもないことが庁内で起きているらしいぞ」 風評の元をたぐると県庁内のある末端職員に行き着いた。この職員は、悩み抜いた末に外部の知人にこうほのめかしていた。「僕は・・・。怖い」 何が怖いのか、知人が問いただした。しかし答えない。何度か問い掛け、やっと「融資」「縫製工場」「南国市」などのキーワードを聞き出していた。のちに取材班を構成する記者の一人が、この知人から直接これらの話を入手する。 これが、長い長い取材活動の発端だった。
*・・・・・***・・・・・* *・・・・・***・・・・・* *・・・・・***・・・・・* *・・・・・***・・・・・*
橋本県政下で何かが起きているに違いない。自然発生的にできた取材班(当時はまだ班になっていなかったが、便宜上そう記す)がキーワードを追い始めた。 該当する工場は間もなく見つかった。 高知市の東隣、南国市の十市(とおち)パークタウンに隣接する縫製業の協業組合「モード・アバンセ」本社工場。中小企業高度化事業で約十四億四千万円の無利子融資を受け、最新悦の縫製工場として八年夏に完成していた。
*・・・・・***・・・・・* *・・・・・***・・・・・* *・・・・・***・・・・・* *・・・・・***・・・・・*
実は八年の八月十九日付朝刊で、高知新聞は「南国市に最先端アパレルセンター」「加工賃受注から脱却し、自社ブランドを開発」「高知発のファッション基地に」という表現でこの工場の稼働を報じていた。その取材をした女性記者は、原稿を書きながら妙な違和感を感じていた。 なぜか、と自問自答したこの記者は原因がアンバランスさにあると気付く。最先端の機械群と、工場内のがらんとした寂しさ。つまり機械に比して人が少ない。工場の稼働率も異様に低いように見えた。 しかも女性従業員はこんなことを訴えていた。 「雇用の際の約束と実態が全然違う。でたらめな会社やき」 それらの話が取材班に伝わった。疑惑は徐々に膨らんでいった。
*・・・・・***・・・・・* *・・・・・***・・・・・* *・・・・・***・・・・・* *・・・・・***・・・・・*
ちょうどそのころ、別の線から取材班にもう一つの情報が入る。 内容は、〈高知市浦戸の観光業者「土佐闘犬センター」へ県が秘密裏に億単位の公金を融通した。公金投入は八年度に決め、九年度の当初予算に融資分を潜り込ませていた〉。 根も葉もない話にしては具体性があった。 話の出所をたぐると、九年三月まで高知県の総務部長を務めていた自治官僚の清田康之氏に行き着いた。氏は当時四十一歳で、国土庁の過疎対策室長。高知県庁時代にこの融資に抵抗、その憤りから知人に融資の存在をほのめかしていた。 ある程度の事実関係がつかめたら清田氏に事の経緯を聞いてみたい。そう考えていた矢先、ショッキングな出来事が起きる。
]]>
「噂の真相」25年戦記
http://newsnews.exblog.jp/371088/
2005-01-20T21:25:05+09:00
2005-01-24T12:49:05+09:00
2005-01-20T21:23:10+09:00
masayuki_100
■本
「オカドメ・スキャンダリズムのこれでウチドメ。’79年に始まった「噂の眞相」のスキャンダリズムは、’04年の休刊をもって終わった。25年にわたってその陣頭指揮をとった名物編集長・岡留安則による満身創痍の内実を語った時代の風雲録である」という集英社新書の「噂の真相・25年戦記」を読んだ。
ジャーナリズムはどうあるべきか、云々の議論はあまたあるけれど、結局、こういうことだよな、と思う。「噂の真相」の創刊当時はよく知らないが、女性のスカートがめくれ上がっている表紙が象徴的だ。そう、隠そう隠そうとするものを覗きに行くのである。高説や理屈の前に、「ちょっと覗いてやろう」という好奇心。それしかない。]]>
戦争請負会社
http://newsnews.exblog.jp/305530/
2005-01-14T17:04:54+09:00
2005-01-14T17:08:00+09:00
2005-01-14T17:03:00+09:00
masayuki_100
■本
「戦争請負会社」(出版社: 日本放送出版協会) ;シンガー,P.W.著
著者は「1997年プリンストン大学卒業。2001年ハーバード大学で政治学の博士号を取得。現在は米ブルッキングズ研究所国家安全保障問題研究員、同研究所対イスラム世界外交政策研究計画責任者を務める」
邦訳が出版されたと聞いたときから、ずっと読みたいと思っていました。戦争を論じるとき、最近はとくに、「国家」や「国益」「国際貢献」「復興支援」といった大雑把な概念を戦わせる傾向が強いのですが、それがずっと疑問で、もっと冷徹に事実のみを積み重ねて、「戦争の動機」を解きほぐす必要があるのではないかと、ずっと考えています。そういうヨロイ(化粧、と言った方が良いかも)を脱ぎ捨てたものこそが、リアルなのですから。
私自身は自由な取材が許されるなら、国際兵器見本市とか日本商社の武器部門とか、そういう部分を通じて「兵器」「兵器の経済」を取材し、戦争を違う断面から書いてみたいと夢想するんですがねぇ。。。本書はまだ読んでいません。読んだら、感想を書いておきます。]]>
『追及・北海道警「裏金」疑惑』 講談社
http://newsnews.exblog.jp/235273/
2004-08-10T03:27:00+09:00
2005-11-27T12:47:19+09:00
2005-01-07T03:30:17+09:00
masayuki_100
■本
「日々、真面目に」の落とし穴」
旧北海道拓殖銀行が経営破綻してから数年後、元中堅幹部と東京で会ったことがある。彼は1997年11月の破綻前に銀行を去り、その後、東京の名もなき不動産会社に再就職していた。
「真面目に真面目に仕事してたんだよ、拓銀時代は。組織全体がおかしくなっていく感覚は確かにあった。でも、目の前にある日々の仕事の内容が劇的に変わるわけじゃない。そしてね、あーって気付いたら、もうどうしようもなかった。破綻寸前に逃げ出せて、幸せだったとは思うけどね」
彼は、そんなことを語った。
内部にいる者にとって、自分の所属する組織の「異常性」はなかなか自覚できないのだ。大組織であればあるほど、職務は細分化されているから、自分の仕事を真面目にこなしていれば、それなりに時間は過ぎていく。
一連の裏金疑惑で針のむしろに座っている北海道警察も、たぶん、一人一人の中堅幹部はそんな感覚を抱いているのではないかと思う。矢面に立たされているのは、本部長や総務部長、警務部長ら上層部だけ。その上層部が北海道議会や報道を前に右往左往する姿を見て、道警本部に机を構える多くの中堅幹部は何を思ったのだろう。
組織はトップが動かすが、各部署で陣頭指揮をとる中堅幹部が「日々、真面目に」だけを念頭に過ごしていたら、その組織は緩慢な死に向かうだけである。
拓銀は私企業だったし、道警は捜査機関だ。おぼっちゃん体質が抜けきらなかった拓銀、上意下達が絶対の階級組織である道警。双方は何から何まで違う。それでも、いまの道警をみていると、破綻前の拓銀に似ているように感じるのは、気のせいだろうか。
一連の疑惑追及の最中、読者から「真面目に働いていたということで、すべては許されるのだろうか。例えば、あの雪印だって、社員一人一人は真面目に働いていたに決まっている」という便りをいただいた。
北海道新聞取材班による講談社文庫は、『解明・拓銀を潰した「戦犯」』、『検証・「雪印」崩壊――その時、何がおこったか』についで3冊目になる。
自分が勤務する新聞社はどうか――。そんなことも頭に浮かべながら、本書では「組織」のありようも問うたつもりである。
高田昌幸(北海道新聞社 編集局 報道本部次長)
<以上は、『追及・北海道警「裏金」疑惑』 北海道新聞取材班著 の紹介ページから引用>
]]>
「警察幹部を逮捕せよ! 泥沼の裏金作り」
http://newsnews.exblog.jp/237772/
2004-06-10T14:39:00+09:00
2005-01-08T10:44:12+09:00
2005-01-07T14:40:47+09:00
masayuki_100
■本
大谷昭宏+宮崎 学+高田昌幸+佐藤 一 編著
【著者(大谷昭宏氏)からのメッセージ】
あんまり縁起のいい話ではないが、もし、あなたの家に泥棒が入った。あるいは出かけた先で交通事故にあった。大事な身内が殺人事件の被害者になってしまった。そんなとき、どなたに限らず、まっ先にすることは110番をするなりして警察に連絡することではないか。
その場合、東京都民なら警視庁、大阪府民なら大阪府警がかけつけてくる。私は警視庁を信用していないから別の組織にお願いしよう、大阪府警は不祥事が続いているから別のところに頼みたい。そう思ったとしても、そんなわけにはいかない。東京には警視庁以外の警察組織はないし、大阪だって同じだ。
そこが銀行や、一般の企業と違うところだ。銀行なら不良債権が焦げついて、自己資本比率が下がり、預けているお金が危なくなりそうだと聞いたら、預金者は当然のことながら大事なお金をその銀行から引き出して、別の銀行に移し替える。
雪印や三菱ふそうのように、その会社の製品が信用ならないとなれば、消費者は何も好きこのんで、それらの会社の牛乳や車を買うことはしない。別にいくらでも乳製品や自動車のメーカーはあるんだから、よほどの変わり者でない限り、危険を承知でわざわざその会社を選んでやるお人よしはいない。
結果として、その会社は社会の中で立ち行かなくなるか、あるいは会社そのものが潰れてしまう。当然のことである。
だけど警察はそうは行かない。市民がどんなにその警察を忌み嫌っていても、あるいはここ数年、まともに殺人事件を解決したこともないほど、捜査の力がない警察でも市民はそこに頼るしかない。
その一方で警察にしてみれば、市民をどんなに泣かせようが苦しめようが、あるいは捜査なんかまともにできなくたって潰れる心配はない。何しろ、完全な独占組織、競争相手がいないのだから、ほかの組織に仕事を持って行かれる心配は露ほどもない。左ウチワであぐらをかいていたらいいのである。
こんな唯我独尊のような組織がいま土台から腐っている。この組織にかかわる人があろうことかこぞって犯罪に手を染めているということになったら、どうなるか。この国の「安全と安心」なんてどこかに吹っ飛んでしまう。いや、とっくの昔に吹き飛んでしまっているのかも知れない。
またぞろ、警察の裏金作りの問題が噴出している。捜査用報償費不正支出疑惑というやつである。またぞろと書くのには、理由がある。もう十数年前になる愛知県警の「正義の警察官グループ」と名乗る集団からの匿名の告発をはじめ、警視庁、宮城、香川、熊本、高知といった各警察。並べ出したらきりがないほど不正支出が明るみに出ている。なのにまさに、またぞろなのである。
今回は北海道、面積ではもちろん日本最大の地を管轄する北海道警である。
ところで、警察の不正支出を取り上げるにあたってまず、「裏金」というおかしな金についてきちんとした説明をしておく必要があると思う。裏金というと一般的には、予算を消化しきれず、余ったお金をプールしておくとか、表向きにはなかなか通らない出費のために、その金を別途、用意しておく、そういった金ととられがちである。もちろん本来はそうした金銭を指すものであることに違いない。
つまり表向きにできないから、裏金なのであって、あくまで表があっての裏。表から裏に流れる金であるはずなのだ。
だが、警察の裏金は違う。なんだか判じもののようになってしまうが、裏があってはじめて表がある。金はすべてまず裏にまわり、そのなかの一部が初めて正規の金として表にまわる。「初めに裏ありき」が警察の予算執行なのである。
予算が国会や都道府県議会によって承認されると、その金は警察庁、都道府県警察を通じて警察本部の各部局や各課、各警察署に配分される。そこで本来なら人件費や、捜査費として支出されて行くはずなのだが、警察の場合は違う。すべての金は裏金という悪のルートにまわるのだ。
そのうえで本当にいる金だけが裏金という悪の洗礼を受けたあと、表の顔としてやっと娑婆に出て行くことになる。
したがって警察の裏金は、中央省庁や都道府県庁が余った金をくすねて溜め込んでいた裏金とは根本的に違うのだ。まず、そのことを本書をお読みいただく読者に理解しておいてほしいのである。
たしかに警察の予算はそのような裏ルートを通るとはいえ、必要なお金として、いずれは表の金として支出されて行くのであれば、やり方は悪いが、予算は一応、執行されたことになる。しかしもうお気づきのようにそんなふうにちゃんと表向きの金として予算を消化していたのでは、せっかく最初に裏に流し込んだ金は、いずれはゼロになってしまう。それでは何のためにいったん裏に入れたのか、意味がなくなってしまう。
そもそも最初に裏に流し込むことにしたわけは、いかに表の支出を減らして、裏にガッポリ溜め込むかにあったはずだ。そのためには、表の支出を装って裏に流しこむ理由づけがいる。そこにこそ、この警察不正支出疑惑の根本があるのだ。
実は今回、本書のテーマとなっている捜査用報償費の不正支出は、その理由づけの一つにすぎないのである。
裏の金を減らさないために虚偽の表の支出を作り出さなければならない。そこで窃盗事件や暴力団犯罪の捜査に協力してくれたという人を電話帳などから引っ張り出した人の名前でデッチ上げる。つぎに何十年間にわたって保管されている数百の印鑑からその名のものを押してニセ領収書を作り上げ、捜査用報償費の不正支出、一件出来上がりなのだ。
このたびは、そのデッチ上げの明細が北海道警旭川中央署から流出してしまった。報償費を受け取ったとされる人物がその時点で死んでいたケースさえあるのだから、まさにウムを言わせぬ証拠である。
警察庁にとっても全国都道府県警察にとっても驚天動地、激震が走った。
だが、裏をいかに肥えさせて、表を痩せ細らせるか、捜査用報償費名目だけでは足りるはずもない。そこであらゆる手口が長年にわたって編み出されている。
課員、署員の超過勤務のデッチ上げ、一人が年間、百何回にのぼるカラ出張、都道府県幹部や議員を飲み食いさせたことにした架空接待、ニセの物品購入、食ってもない弁当、夜食の支給、やってもない施設の補修、開かれた形跡のない記者との懇親会……。
よくもまあ、これほどまでにと“先人の知恵”に感じ入るばかりだが、では、最初から日の当たる表を見ることもなく、いきなり裏の預金口座に流しこまれたこれらの金は、一体、誰が最後は懐に入れたのか。いつ、どこで誰のために使われたのか、その行き先については本書をお読みいただきたい。
いずれにしてもまず念頭に置いておかなければならないことは、こうした警察の不正がたまたま良からぬ警察官がいたことから始まったとか、たまたま予算が余ってしまったから起きたという体質のものではないということである。
最初から不正なかたちで予算をプールし、不正な形で支出するという予算詐取集団として、警察組織が存在したということなのだ。言い換えれば警察そのものが犯罪集団だったのである。そんな組織に代替の機関もないまま、市民は犯罪捜査を任せ、社会の安全と安心を委ねているのである。
いまでは警察に不正がなかったと信じて疑わない国民なんて誰一人としていない。北海道から火を噴いた疑惑は、燎原の火どころか、燃え盛る山火事のように宮城、静岡、福岡、高知といった県警で、火の粉を噴き上げている。その一方で、多くの国民は、これほどの不正が何十年という長期にわたって日常的、恒常的に行なわれていながら、なぜ、いままで根源的な追及がなされなかったのか、強い疑問を抱いていることも確かなはずだ。
そういう意味では、本書のなかで詳しくふれたつもりのメディアの罪、とくに全国紙といわれる大手新聞の罪は深い。
だからこそ、今回、北海道の地から事件の口火を切ったばかりではなく、その後もあらゆる妨害のなかで、追及の手をいまだに一切、緩めようとしない北海道新聞の勇気と努力には、尊敬と敬服する以外にない。その意味で、本書は、まず北海道新聞の裏金追及の取り組みを語っていただくことからはじめたい。
だが、案の定、その一方で山火事の火消し、幕引きに必死の警察庁に対して、全国紙はまたぞろ手を貸そうとしている姿が見え隠れする。だからこそ、本書はその警察の募引きの様子から書き出すことにした。
いずれにしろ、こんな二重三重の敵と闘い、加えて取材と執筆の忙殺されるなか、本書の緊急出版に全面協力して下さった北海道新聞のデスク、取材記者のみなさんの勇気と好意に心から感謝する。さらに警察組織をこれまで鋭い論評で震え上がらせてきた畏友、宮崎学氏も戦線に加わってくれた。
日本の警察が一部の諸外国のように犯罪集団に墜ちて行くのか、それとも本書の中に再生の芽はあるのか、そんな思いでページを繰っていただけたらと願っている。
大谷昭宏
(「はじめに」より)【目次】
はじめに
なぜ、道警の裏金を追及するのか
幕引きを許すな
警察は一部の不正を認めて終わらせようとしている
メディアも幕引きに加担している
警察は上納追及を恐れている
多様な裏金作りのシステム
すべての警察予算から裏金を作っている
銃器対策をめぐる裏金作りが遠因となった「稲葉事件」
「首なし銃」と「おとり捜査」
イベント警備が裏金の資金に
裏金作りのマニュアルがある
なぜ、原田氏、斎藤氏は告発に踏み切ったのか
幹部を免責した「稲葉事件」の処理への怒り
裏金作りをし続けたことに悩んで
メディアと警察の癒着を絶つ
メディアは何をしているのか
幕引きに走る全国紙
ウオッチャードッグの役割をなぜ事件記者は果たせないのか
特オチが怖いから萎縮しているのか
政党は役に立つのか
警察が丸ごと腐っていく
警察の腐敗が直接市民の生命とか財産に影響してきている
どうして警察は腐敗し始めたのか
高橋北海道知事の変化
監察医がこれから問題に
外部監察は機能しているのか
裏金を見過ごした会計検査院と監査委員
警察に取り込まれる公安委員
裏金の根を絶つには
“徳政令”で膿を出し切れるのか
警官は正義を行なっているのか
外部監察が必要だが、それにも限界が……
まだ徹底的に追及を続けなければいけない
予算化と時限公開
資料
道警の裏金疑惑をめぐる経過
道警報償費不正疑惑 元釧路方面本部長の証言
道警報償費不正疑惑 元弟子屈署次長の証言
日本共産党福岡県委員会に寄せられた内部告発
警察の裏金づくり“一般論では犯罪”―法務省刑事局長答弁
全国の警察の裏金作りリスト
]]>
雑誌に執筆した最近の主な論文(警察裏金関係)です
http://newsnews.exblog.jp/238265/
2004-05-28T16:16:10+09:00
2005-01-08T10:43:27+09:00
2005-01-07T16:15:19+09:00
masayuki_100
■本
*あまりにも根深い日本警察「不正経理」問題 フォーサイト(新潮社) 2004年8月号
*全国で火を噴き始めた警察「不正経理」告発 フォーサイト(新潮社) 2004年11月号
*すべてがウラになる――奇々怪々! 日本警察の不正にたいする「思想と行動」
アリエス創刊号 講談社 2004年10月
*権力監視の役割取り戻す 新聞研究(日本新聞協会) 2004年10月号
*本多勝一氏の問い掛けに答える 週刊金曜日 2004年11月26日号
]]>
■札幌から■ 「豆腐屋の四季」 2003年3月14日
http://newsnews.exblog.jp/212775/
2003-03-14T16:49:00+09:00
2005-01-24T11:23:18+09:00
2005-01-04T16:50:08+09:00
masayuki_100
■本
作家・松下竜一に「豆腐屋の四季」という作品があります。
学生運動などで、世間が揺れていた1970年代。東京で繰り返される「闘争」を横目に、豆腐屋の丁稚だった松下は「あんなことを繰り返しても世の中は変わらない。大事なのは今、豆腐を作ることだ」といったことを感じます(私の記憶です。違っていたらごめんなさい)。
日常の積み重ねこそ、社会です。
メディアはこれから次々とイラクの「戦況報道」を続けるでしょう。
それが、「日常」になるのも時間の問題です。
しかし、日本には多くの豆腐屋が今もあります。
それを忘れないでいたいと思っています。
抽象的な表現ですが、今はそう思っています。
]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/