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ニュースの現場で考えること

これまでのエントリーで種々書き連ねてきました。時系列で早い順に記すと、こうなります。

NHK番組への「政治介入」」「続・NHKへの「政治介入」」「続々・NHK番組への「政治介入」」「マスメディアの説明責任」「報道への批判・介入などについて

とい何本か書きなぐった今の段階で、報道への「介入」「圧力」とは何かを、私なりの判断でまとめると、以下のような感じになります。ただ、これはNHK問題を個別に論評したものではありません。これまでも繰り返したように、NHK問題は現時点では、事実関係が明らかになっていない部分が多すぎる、と考えているためです。したがって、以下は「一般論」です。


<報道への「圧力」「介入」と判断されかねないケース>
政府の要職にある人や政党幹部、行政機構の幹部、大企業幹部らが、報道が実際に行われる前に、その当該報道に関し、報道機関側の取材担当者ではなく、報道機関側の幹部らに対して、「○○してほしい」などのように伝えること。(この場合、政治家本人らがかかわった疑惑等に関する報道は、この範疇にはストレートには入らない。自身の直接の行動について、報道機関に直接説明を行うのは当然だからだ


「介入」や「圧力」と判断されかねないケースのポイントは、「報道が実際に行われる前」という『事前性』、および、取材担当者に直接ではなく、その上司や組織的に上位にある幹部らと個別に会って伝えるという『密室性』にある。

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by masayuki_100 | 2005-01-16 23:52 | |--報道への「介入」とは | Comments(21)

私の『続々・NHKへの「政治介入」』と題する私のエントリーに対し、willさんからも多くの示唆に富む指摘(コメント)をいただきました。ありがとうございました。willさんのコメントを整理すると、以下のようになろうかと思います。それぞれをコンパクトにまとめ(まとめの文責は当然、私です)、一つ一つに今の考えを添えてみました。ただし、私の意見は、今回のNHK問題に関して言及したものではなく、ごく一般的なケースを想定しています。(ゴシックがwillさんのコメントの引用です)

政治家が意見を言うとその気があろうとなかろうと政治介入、というのは単純化しすぎ。そんなことを言ったら政治家はマスコミを批判する事が出来なくなり言論弾圧と同じ。報道には公平中立さが必要。マスコミの政治的な偏向報道に対する批判が、正当かどうかを検証する前に政治介入だと決め付けるのは問題。

 政治家(もちろん政治家でなくても)当人が直接行った発言や行動、関与が疑われる疑惑等については、当人が「事実が違うぞ」などと意見するのは当然あり得ることです。ただ、ひとつ前のエントリ「マスメディアの説明責任」でも少し触れましたが、政府要人のように、政治家が当該メディアに一定の公権力を行使しうる立場にある場合で、かつ、意見する報道が、当人の直接かかわった行為・意見・疑惑等ではない場合は、それら意見は当該メディアの幹部らに直接行うのは好ましくない、と思います。

 その理由は2つ。ひとつは、、

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by masayuki_100 | 2005-01-15 04:00 | |--報道への「介入」とは | Comments(1)

マスメディアの説明責任

続々・NHK番組への「政治介入」と題した私のエントリーについて、takaさんから「その1」「その2」「その3」とコメントをいただきました。ありがとうございました。だんだんと朝刊作業が忙しくなる時間帯に差し掛かってきたので、詳細はゆっくりと私なりに考えを整理したうえで記したいと思いますが、それとは別に、いまの時点で思うことを少し書いておきたいと思います。
(■部分がtakaさんのコメントの引用です)


■「意見は、政治家がNHKに届けるものではなく、我々一般市民が届けるもの」では、NHKをはじめ報道に携わるマスコミ各社は「一般市民」の意見を真摯に受け止めているのでしょうか? 例え一市民の抗議であっても、それが合理的であり事実に基づいたものであればその抗議を正しく報じ、抗議対象の報道に対して検証・修正の作業を行うのでしょうか? 私の知る限り、そのような姿勢をもったマスコミは見たことありません。抗議が殺到し問題が大きくなって"やっと"対応するのがマスコミの実態じゃないでしょうか。■

 おっしゃることは、良く理解できます。いまの新聞・テレビには色々と欠けているものがあると私も感じます。その大きな一つは「間違ったことは間違ったと認め、検証する姿勢」でしょう。どうしてか良く分からないのですが、新聞は間違いを犯さないものだという「無謬神話」に今もなお、内部の人間がとりつかれ、自重自縛になっている部分があるように思います。間違いや不公正な報道はしないよう最大限の努力はもちろん必要ですが、不幸にして何かの理由で、間違いが生じることはあります。ただ、そうした場合、これまでは読者に対する「説明責任」が弱すぎた、と思います。この部分だけは何としても変えていかなければならない、と私は考えています。大きな部分では(別のエントリーで記しましたが)、今の事件事故報道はソースを明示しないという意味で根本的に説明責任を怠っていると思うし、間違った記事が出た場合の説明・検証も弱い。これは私の勤務先だけでなく、どの新聞も大なり小なり同じだと思います。

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by masayuki_100 | 2005-01-14 20:41 | |--報道への「介入」とは | Comments(4)

NHK番組への「政治介入」に関して、虫の眼鳥の眼私の眼さんからトラックバックをいただいた。その中で、

放送局側が、政治家に対して何かの番組を説明したときに「あなたの放送局にはもっと公正中立さが必要では」と言われれば、当然、その番組に対する批判と受け止めるでしょう。「その番組は正しくないから変えろ!」と直接的に言うだけが政治介入の形ではない。むしろ何らかの「介入」は、外から介入だと100%は判断しにくい形で起きることが多いのではないでしょうか。

しかしそうした意見は、政治家がNHKに届けるものではなく、我々一般市民が届けるものだと思います。 「NHKにはもっと公正中立さが必要では」という何気ない言葉に隠された「介入」の意思に安倍は本当に気付いていないのでしょうか?気付いていてとぼけているなら、まだまし。本当に気付いていないなら、私はこの政治家を危険な政治家と認識せざるを得ません。

とある。まさにその通りだと思う。公正中立かどうかといった「評価」は、視聴者の判断によるものであって、放送法の許認可権限や予算をいつでも人質にできる政府・与党側の幹部が安易に当事者に直接届けるべき筋合いのもではないと思う。
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by masayuki_100 | 2005-01-14 13:27 | |--報道への「介入」とは | Comments(13)

再びNHKへの「政治介入」に関連して。

この種の問題でいつも感じるのは、「言論の自由一般は封殺されない」ということだ。仮に、NHKへの「介入」が本当に「介入」だった場合、介入した側には明確な意図がある。それを見極めていかないと、問題の本質を見誤ると思う。なぜなら、言論の自由一般が強圧的・強権的に封殺されることはないからだ。

かつて本島等・長崎市長が撃たれたとき、各新聞は「言論の自由が撃たれた」と一斉に書いた。しかし、撃たれたのは「言論の自由」というボンヤリしたものではなくて、天皇に戦争責任があると言った本島氏の具体的発言である。

右翼の演説会が仮に集会の内容によって、会場施設側から「場所は貸さない」と言われたら(実例があったと思うのですが、思い出せず、かつ、探しきれませんでした。知っている方がいたら教えてください)、その主張が不当に狙い撃ちされ、排除されたのだ。

気に入らない報道や言論を強権的強圧的に封殺するなら、これはもう「恫喝」そのものだ。私に実体験はないが、他社の先輩記者によれば、例えば朝鮮総連からの嵐のような抗議は筆舌に尽くしがたいほどだったという。結局、そうしたことの繰り返しで、「タブー」はできる。NHKの「介入」が事実かどうかはまだ判然としないが、おそらく、これによって、60年前に終結した戦争の責任を問う動きは、大手メディアの中でまた小さくなるだろう。
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by masayuki_100 | 2005-01-14 11:20 | |--報道への「介入」とは | Comments(3)

2001年1月にNHKが放送した番組(「戦争をどう裁くか」4回シリーズの第2回*問われる戦時性暴力)に対し、中川昭一経産相、安倍晋三自民党幹事長代理が「圧力」をかけたかどうかが、大きなニュースになっています。NHKの公式見解、告発したNHKプロデューサー、政治家2人の言い分が食い違っているので、こと具体的にこの件についての論評はまだできません。ただ、一般論として感じたことをいくつか。

「圧力」と感じるかどうかは、基本的には(当たり前ですが)受け止め側の問題です。その場で語った内容を文字に落とせば、ごく当たり前のことを語っているように読める場合であっても(例えば「公平な報道をすべきだ」「不偏不党は当然だ」などのセリフ)、受け手が「圧力」と感じることは珍しくないでしょう。その前後の長いスパンで考えれば、余計にそういうことは起こりえます。ですから、問題があったとされる1月末前後のやり取りのみを取り上げて議論しても、第三者にはなかなか実相が見えないものです。

それから、「だれが言ったか」の問題。放送は免許事業ですから、その許認可に直接かかわる省庁の有力者、或いは、それにつながる政治家たちの言葉は、その他の人よりも「圧力」と受け止められる可能性が数段高い。それも自明です。「そんなつもりはなかった」という言葉は、種々の釈明でよく登場しますが、つもりがなくても、「つもりだった」と同じ結果になる、というのは、これもよくある話です。

細田官房長官は13日の会見で、政府としてはこの問題で調査はしない、との考えを示しています。政府が調査に乗り出すこと自体が、放送事業者への介入になり兼ねない、と。この問題に関連して、いまのところ、一番得心したのは、細田氏のこの言葉です。そう、「政府」が「調査」などしてはいけません!

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by masayuki_100 | 2005-01-13 22:06 | |--報道への「介入」とは | Comments(0)