ニュースの現場で考えること:|--調査報道について
2010-09-21T12:28:54+09:00
masayuki_100
「真実 新聞が警察に跪いた日」。北海道警察の裏金問題の報道と舞台裏の総括です。角川文庫から発売中です
Excite Blog
おわび 「調査報道」と「特別調査報道」
http://newsnews.exblog.jp/15159116/
2010-09-21T12:27:00+09:00
2010-09-21T12:28:54+09:00
2010-09-21T12:27:29+09:00
masayuki_100
|--調査報道について
<かつてのリクルート報道以降、日本の「調査報道」は検察権力と一体化するのが常になった。元NHKの社会部記者の小俣一平(=坂上遼)氏は調査報道に関する一年前の論文で「報道の後に検察が捜査に動いたものは『特別調査報道』と位置付けよ」と。こういう発想が問題。 >
これは私の完全なる誤り、誤読だった。小俣氏は元より、これを読んだ大勢の方に迷惑をかけてしまった。
当の論文は小俣氏が「放送研究と調査」(NHK放送文化研究所)の2009年2月号から5回にわたって掲載された<「調査報道」の社会史>である。小俣氏はその論文において、調査報道の定義付けを行っている。その概要は、以下の通りだ。
報道には「発表報道」と「調査報道」があり、そのうち、(1)報道しなければ日の目を見ない事実を、(2)発表ではなく独自に調査し、(3)自社の責任で報道する。これが「調査報道」である。さらに、この調査報道の中において、(4)「権威」「権力」がある者・組織の不正、腐敗、怠慢などを取材対象とし、(5)その報道を各社が追随し、(6)そのことが国民の関心を高め、(7)「権威」「権力」に何らかの影響を与える。この(1)~(3)だけでなく、(4)~(7)の条件を満たすものを、小俣氏は「特別調査報道」と定義した。
小俣氏の論文の中には、調査報道の条件として「捜査当局を動かす」という部分も出てくるが、これは小俣氏が他者の見解を引用した箇所である。小俣氏は、それを批判的に記述しているのであって、自らの見解として特別調査報道の条件だとは書いていない。
私は当該論文を昨年春、ほぼ連載と同時に読んだ。日本では「調査報道」の体験に基づく、いわば経験談を基にしての「調査報道」論はあるが、調査報道を体系的にきちんと論じた書物は(私の知る限り)存在しない。小俣論文は非常に優れており、大いなる刺激を受けた。同時に、論文の何カ所かについて、「ここは議論のあるところだな、いつか筆者と議論したいな」と思った点があった。
そうして時間が経過し、上記のツイッターでの「つぶやき」になった。要は、小俣氏の主張と、その論文での引用について、私の記憶が混在していたのである。出先でひょいひょい書くことがあるとはいえ、引用の場合は、きちんと原典を脇に置き、参照しながら書かねば。こんな当たり前のことを、今更ながらに言い聞かせている。
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ナカムラさんより 「1月23日の記事」について
http://newsnews.exblog.jp/419236/
2005-01-25T00:40:17+09:00
2005-02-25T18:04:13+09:00
2005-01-25T00:39:53+09:00
masayuki_100
|--調査報道について
1月23日の記事にコメントさせていただこうと思ったのですが、パスワードが必要なようで失敗してしまいました。なので、メールにてコメントを送らせていただこうと思いました。
パスワードがないとコメントできないのでしょうか?私はいまだに、このエキサイト・ブログの仕組みをきちんと理解できていないところがあって、「ええ、そうなのか?」と思ってしまいました。それはそれとして、以下にナカムラさんからのメールを転載します。本来は1月23日の「質問、質問、また質問、、、が必要では?」という私のエントリに対するコメント部分を想定して書いたものだそうです。以下に引用します(引用部分はゴシック)
「独立した、何人からも干渉され、又は規律されることがない」はずのメディアが与党議員に番組内容を事前に説明して回っていて、それを「当然のこと」とし、しかも、その番組に一言も二言もありそうな(日本の前途と歴史教育を考える議員の会の)議員だからこそ説明に行ったのだと堂々と言っている。そして、そういうメディアに対して、(政府の要職にもついていた)与党議員が、「情報が寄せられ」「事情を聴いた」し、「明確に偏った内容であることが分かり」「公正中立の立場で報道すべき」と「指摘した」などと自信を持って回顧し、言い切った。
やはり、私もどうかと思います。NHKにしても安倍さんたちにしても「どこが問題なの?」という感じですね。本音はどうだかわかりませんが、少なくとも最初のコメント出した時点では問題があるとは思ってなかったようですね。この鈍感さはどうかと思います。
朝日については正直どうでもいいと思っています。上の事実について朝日はもう関係なくなってますからね。朝日については、問題提起をしたということについては功績もあると思いますが、みなさんが指摘してるようにつめが甘すぎますね。みなさんが懸念するように、朝日のつめの甘さのせいで、このままNHKや政治家の方々が開き直ったままでいるようなことになれば朝日の罪は重いですね。メディア全体の痛手になると思います。そうならないために、他のメディアも踏ん張らなければならないと思います。なんだか他のメディアは及び腰ですが。
*上の事実について問題視するということは、朝日の記事や長井氏の発言に頼らなくてよいということです。これは、もし朝日の記事や長井氏の発言が崩れたときのための戦略という側面もあるようですね。
坂本衛の「すべてを疑え!! MAMO's Site」
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/
>これだけで立派な取材テーマであり、これを問題と思わない記者がいれば、
>どうかしていると思う。
有力政治家の周りにいる政治部の記者たちの「使命」は「食い込む」ことであって、緊張感をもって「ぶつかる」ことではないと巷では言われてますね。NHKの政治部(現経営陣はその典型)や権力闘争にまで深く関わったナベツネさんなんかその典型だと言われています。そして、安倍さんや中川さんのような、現在の永田町で権勢を誇っている政治家の気分を害する取材を政治部はあまりしたがらないのでは?そして、テレビ局や新聞社では政治家とのいろいろなコネを持つ政治部の力はすごいので、全体として及び腰になってしまうのでは?と素人ながらに思うのですが、どうなんでしょうか?日本のメディアのダメさの典型としてこのようなことがよく言われるますよね。
ここ数年、朝日批判、マスコミ批判がネット上(朝日批判は保守論壇の得意メニューですが)でたけなわですね。批判はどんどんやるべきだと思いますが、私の問題意識からすると少々ベクトルがずれているような気かしますね。彼らの問題意識からするとそれは正しいベクトルなんでしょうが。
国境無き記者団の報道の自由度ランキングで日本は42位だったようです。私からすると、朝日も同じ穴の狢です。記者クラブ制度などについて、クラブ加入のメディアの記者さんたちはどのように考えているのか興味があります。
国境なき記者団の自由度ランキングは、私も情けなく思いました。記者クラブ制度もその要因なのでしょうが、記者クラブ制度の適否よりも前に、結局、新聞やテレビ報道の多くが、「客観報道」という衣をまとい、その実、「面倒なこと」「現実を直視すること」を回避してきた、今も回避していることが、問題なのだろうと思います。
例えば、森達也氏の「放送禁止歌」などを読むと、部落問題をいわば勝手にタブー視して、触らぬ神に祟りなし、とばかりに問題を掘り下げることを回避してきたことが分かる。旧ソ連や東欧圏、北朝鮮の「楽園」などを一方的に美化した歴史も、天皇の戦争責任に真正面から言及した経験もないのに(回避してきたのに)それを口にした人が撃たれると(例えば元長崎市長のことです)、とたんに「言論の自由が撃たれた」と言う。そうした事柄は結局、「面倒を回避する姿勢」に通じるものがある。権力や圧力団体、宗教など色んなところにタブーをつくってきたのは、結局、メディア自身が内部に抱える「事なかれ主義」だったのだろうと、思います。
だから、週刊新潮の広告を一部削除したり、あるいは気に入らない広告を拒否したり、はたまた「右翼」に対する言論弾圧は軽視したり、共産党のビラ配り逮捕には不感症だったり、、、そういうことが続くのかな、と。つまり、思想がどうのこうのではなく、単に「面倒はいや」というだけはないか、と。そんなことまで考えてしまいます。そうでなければ、例えば、今の状況では、当該議員さんたち、あるいはNHK幹部に対しては、担当記者は質問に次ぐ質問を重ねるはずだと思うのですが。
結局、田中角栄首相の金脈問題の際、政治記者たちが「知ってたけど書かなかった」(本当は書けるレベルになるまで取材していなかった)と繰り返した30数年前と、何にも変わっていないんですよね。
ナカムラさんからのメール、とくに 国境なき記者団の自由度ランキングに関する、それが私の感想です。
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質問、質問、また質問、、、が必要では?
http://newsnews.exblog.jp/405276/
2005-01-23T23:43:17+09:00
2005-02-25T18:04:37+09:00
2005-01-23T23:42:43+09:00
masayuki_100
|--調査報道について
最初の記述が1月12日午後5時すぎ、次が1月14日午後11時過ぎにアップされたようです。以下はその引用です。下線の部分(私が線を引きました)が12日と14日では食い違っているように読んでしまうのは、私だけでしょうか?
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朝日新聞の記事『NHK番組に中川昭・安倍氏「内容偏り」 幹部呼び指摘』に関し
投稿者: webmaster 投稿日時: 2005-1-12 17:04:09 (427 ヒット)
朝日新聞らしい、偏向した記事である。
この模擬裁判は、傍聴希望者は「法廷の趣旨に賛同する」という誓約書に署名しなければならないなど主催者側の意図通りの報道をしようとしているとの心ある関係者からの情報が寄せられたため、事実関係を聴いた。その結果、裁判官役と検事役はいても弁護士証人はいないなど、明確に偏って内容であることが分かり私は、NHKがとりわけ求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した。これは拉致問題に対する鎮静化を図り北朝鮮が被害者としての立場をアピールする工作宣伝活動の一翼も担っていると睨んでいた。告発している人物と朝日新聞とその背景にある体制の薄汚い意図を感じる。
今までも北朝鮮問題への取り組みをはじめとし、誹謗中傷にあってきたが、私は負けない。
安倍晋三
PS
これからも頑張ります。
ご声援・ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。
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NHKの「模擬裁判」を扱う特集番組に関する報道について
投稿者: webmaster 投稿日時: 2005-1-14 23:26:59 (297 ヒット)
平成17年1月13日(発信のもの)
報道で問題となっているNHKとの面会は、NHK側の「NHK予算の説明に伺いたい」との要望に応じたもので、こちらからNHKを呼んだ事実は全くない。
また、この面会では、NHK側から予算の説明後、自主的に番組内容に対する説明がなされたものであって、こちらから「偏った内容だ」などと指摘した事実も全くなく、ましてや番組内容を変更するように申し入れたり、注文をつけたりしたという事実もない。そしてこの番組に関してNHKと話したのは、この時ただ一回だけである。
「NHKを呼びつけた」「番組内容を変更するように圧力をかけた」という報道や発言は全くの誤りである。昨日私が事実誤認を指摘するコメントを発した後も、引き続きそうした報道が行われているのは、誤りというだけでなく悪意に満ちた捏造と言わざるを得ない。
衆議院議員 安倍 晋三
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今回の問題は本当にいろんなことを教えてくれるな、と思うのです。朝日の取材の甘さが気になる、とずっと書いてきましたが、そのほかにも「政治におもんぱかるNHK」とか、そもそも「介入」とは何かとか。。。しかし、NHKと朝日のバトルになってしまったため、「当時、本当は何があったのか」という事実関係の検証は、あいまいなまま終わりそうな雲行きです。本来なら、当時の関係者にもっともっと質問を重ねなければならないでしょうに、NHKと朝日はどっちが勝つか、みたいな部分にだけ、焦点が当たるようになってきました。
私自身が調査報道に多大な関心を持っていることから、これまでのエントリでは「関心があるのは、朝日の取材の内実」「朝日の取材は甘かったのではないか」と言い続けてきました。同業者だからこそ、気になる、というところでしょうか。
それは今も変わりませんが、しかし、上記のような安部議員の矛盾(私にはそう読めます)を見ると、「永田町の記者たちは、まだまだ当事者に聞くことが山ほどあるじゃないか」と思わずにはいられません。記者である以上、朝日・NHKのバトルに高みの見物を決め込んだり、傍観者的に評論している場合ではないと思うのですが。(想像ですが)担当記者が安部議員の言い分を一方的に拝聴しているだけでは、まずいのではないかと思います。
記者は「質問する」ことから、すべてが始まるのですから。
・・・というところで、このNHK問題は、しばらくお休みにします。ほかのことも、いろいろと書きたいですから(^^; もし、この関連でコメント等がいただけたら、少しまとまった段階で、書いてみたいと思います。
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調査報道について 若干の補足
http://newsnews.exblog.jp/399537/
2005-01-23T15:44:47+09:00
2005-02-25T18:05:00+09:00
2005-01-23T15:43:08+09:00
masayuki_100
|--調査報道について
その中で、私のエントリに即した御意見も書かれています。ただ、私の言いたかったことがうまく伝わっていない感じがしましたので、少しだけ記しておきたいと思います。(以下はccoeさんのエントリの引用です。そのうち下線部分が私の前回のエントリ部分です=それをccoeさんが引用されています、、、ややこしくてごめんなさい)
・・・・で、私が心配というか気になるのは「時系列と因果関係は必ずしも同一ではないと考えています」と書かれている部分なんです。コレはちょっとマズイのではないかと。
上の部分をもう少し詳しく引用するとこんな感じです。
それ(=市販されている64分版ビデオで削除部分を確認すること)によって、安部氏とNHK幹部の面談後に番組がどう変わったかは検証できると思います。ただ、そこで証明できるのは「時系列」ではないでしょうか。時系列と因果関係は必ずしも同一ではないと考えています。
この文章を読むと「時系列の影響を受けない因果関係」があると言っているように受け取れます・・・・
「時系列と因果関係は必ずしも同一ではない」と記した意味は、こういうことです。
前回の私のエントリ内のコメントで、私は「(問題のビデオ等を実際に見ることで)安部氏とNHK幹部の面談後に番組がどう変わったかは検証できると思います。ただ、そこで証明できるのは「時系列」ではないでしょうか。時系列と因果関係は必ずしも同一ではないと考えています」と記しました。つまり、「ビデオの改変前・改変後」を実際に見るのはもちろん重要だけれど、それらだけでは、時系列の事実関係しか把握できないのではないか、実際に「圧力」があったと断じて報じるには、会談の内容(実際の言葉のやりとり)やNHK側の当時の記録等の入手が欠かせない、という意味合いでした。
平たく言えば、番組内容が変わった事実および変遷内容、その間にだれとだれが会ったか
という事実を把握しただけでは、介入があったという証明にはならない、ということです。こうした調査報道の場合、必要条件だけで報道しては駄目で、十分条件もそれこそ十二分に集めるべきだと、ふだんから考えています。
なんか、答えになっていないような気もしますが、いずれまた改めて、自分の考えを整理整頓して記したいと思います。
(ccoeさんは「どうぞお気遣いなく」とコメントされていましたが、私はこういう前に転がっていくような議論はとっても大事だと思っています。また、いろいろコメント等をいただけるとうれしいです)
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調査報道について その2
http://newsnews.exblog.jp/388432/
2005-01-22T14:25:04+09:00
2005-02-25T18:05:36+09:00
2005-01-22T14:24:44+09:00
masayuki_100
|--調査報道について
少し誤解を招きそうなので、追加しておきますと、私自身は「自民党とNHK」(あるいは「政治と報道機関」)が築いてしまった癒着の関係、報道側が政治におもねる今の関係、といった部分に焦点を当て、そのおかしさを暴き出そうとする姿勢自体は、なにもおかしい部分はないと思っています。権力を監視することは、間違いなく報道の大きな柱の一つです。それは変わりありません。
今回の件でも、「なぜ番組内容が改変されたか」(番組内容を放送直前に変えたこと自体はNHK側も認めています)については、まだまだ検証が足りない。少なくとも、たとえば、当該の「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)が1月21日付けで出したNHK海老沢会長あての「公開質問状」があります。この問題の取材にかかわっている記者の方々(当然朝日新聞の方も)は、少なくともこうした疑問点はNHK側にぶつけていく必要があると思います。万が一、「VAWW-NETのやっていることはおかしいから」とか何とか言って、それを理由にこの種の質問をしない記者がいたら、それこそ偏見です。安部、中川両氏に対しても細かな事実関係について種々の齟齬が残っているわけですから、それを次々と聞いていく必要がある。当然のことです。
しかし、実際はたとえば中川氏の番記者たちはおそらく「先生、ほんと迷惑でしたよね」「朝日はひどいですよね」とかやっているのです(想像ですが)。そして、たぶん朝日の番記者はおそらく「あれは社会部が勝手にやったんですよ」というようなことを言っているのだと想像します。今回の問題に限らず、この種のことが起きると、必ず、擦り寄る記者と徹底追及に回る記者とに二分されてきます。しかも圧倒的に「擦り寄り」が多い。そうしたことを、私はずっと批判しているのです。「追及・北海道警裏金疑惑」という本やその他の論文等でも言い続けていますが、「記者の役割は政治家や権力側と仲良しでいることではない」ということに尽きます。
かつて田中角栄氏が総理だったときの金脈問題で、それを立花隆氏が文芸春秋で報じました。有名な話ですが、そのレポートが出た後も永田町の政治記者たちは無視を続けました。記者会見で質問することすらなかった。結局、外国メディアが立花レポートを取り上げ、それが日本に還流し、そこで初めて日本のテレビや新聞は金脈問題を追及する姿勢を見せ始めたのです。その最中、永田町の記者たちは「金脈問題なんか、知っていた」と言い、まれにその質問をする記者が現れると、総理と一緒になって奇異の目で見たそうです。こうした例はいまも数え切れないほどある。知っていて書かないどころか、プロの記者なのに知ろうとしない。それどころか、知ろうとして取材を続ける記者の邪魔をする記者がいる。まったく、どうかしています。
ただ、これも誤解しないでほしいのですが、前回の「調査報道について」で書いたことも含め、私が言いたかったのは、そういった取材の目指すべき方向と「取材の脇の甘さ」みたいな部分は別種の話だということです。取材対象者からすぐ反撃され、それに対して二の矢、三の矢を放てないようなら、それはどこかに取材の甘さがあったのではないかと。その取材の基本的な技術論みたいな部分に言及したつもりです。(もっとも本当の実践的な技術論は別のところにあるのですが、長くなるので、ここでは記しません)。
さらに言えば、以下のようなこともあります。1月 14日のエントリ『続・NHKへの「政治介入」』において、私はこう記しました。
この種の問題でいつも感じるのは、「言論の自由一般は封殺されない」ということだ。仮に、NHKへの「介入」が本当に「介入」だった場合、介入した側には明確な意図がある。それを見極めていかないと、問題の本質を見誤ると思う。なぜなら、言論の自由一般が強圧的・強権的に封殺されることはないからだ。かつて本島等・長崎市長が撃たれたとき、各新聞は「言論の自由が撃たれた」と一斉に書いた。しかし、撃たれたのは「言論の自由」というボンヤリしたものではなくて、天皇に戦争責任があると言った本島氏の具体的発言である。右翼の演説会が仮に集会の内容によって、会場施設側から「場所は貸さない」と言われたら(実例があったと思うのですが、思い出せず、かつ、探しきれませんでした。知っている方がいたら教えてください)、その主張が不当に狙い撃ちされ、排除されたのだ。
言論一般が封殺されることは絶対にありません。それは昔も今の同じです。近々書こうと思っていたのですが、各地で頻発している「ビラ配布逮捕事件」も、当たり前ですが、ビラ配り一般が逮捕されたのではないのです。権力に批判する立場のビラだったからこそ、逮捕された。そうした場合に「じゃあ宅配ピザはどうなる?」といったことに焦点を当てる取材は、私は好みません。ピザのチラシは絶対に摘発されないからです。そんなこと、分かりきっています。それよりも「なぜ共産党のビラ配りが摘発されたか」を徹底的にその事件に焦点を当てて取材していくべきだろうと思うのです。
当該の事件に関し、たとえば現場のサツ回り記者は署長らに対し「おかしいのではないか。なぜこの程度で逮捕したのか」という疑問を徹底的にぶつけていないと思います。種々のHPを見ていますと、「住居侵入だ!」と警察に通報した人はどうも警察関係者らしい。それを記事では「市民が通報した」と書く。で、想像だけれども、取材現場では最終的に「署長、ピザのチラシまでは摘発しないですもんね」などと言って、ビラ配り一般は守られたから、それでいいやと納得してしまう、、、、そんな感じではないかと思うのです。
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調査報道について
http://newsnews.exblog.jp/385722/
2005-01-22T03:37:41+09:00
2005-02-25T18:06:04+09:00
2005-01-22T03:36:03+09:00
masayuki_100
|--調査報道について
今回は「NHK・朝日・政治家」が絡んだ個別の問題を離れ、「調査報道」のありようを考えてみた。
官庁や大企業等の発表、あるいは議会や政治の動きをウオッチングして報道する記事。それらと区別して、自社の責任において取材を行い、その事実を積み上げて報道することを一般には「調査報道」と呼ぶ。
通常、調査報道は、政治家や行政機構の幹部、大企業幹部など、あるいは行政や大企業などの組織全体を対象にする。従って、例えばかつての「ロス疑惑」のように、民間の一私人を対象にした報道は、私の基準では調査報道に含まれない。官僚や政府要人等は法律の定めるところに従い、きちんと仕事をしているか(いないか)をチェックする。それが「調査報道」だと理解している。誤解を恐れずに言えば、今回の朝日新聞の報道も、癒着がしばしば取り沙汰される「NHKと政治」を対象にしたという意味では、調査報道の狙い目としては間違っていないと思う(もちろん今回の報道の「内容」自体が正確で正しかったと言っているのではない)。
そういった調査報道に取り組む際、実際に報道するか否か、適切な報道になるかどうかの判断は、どこにあるのだろうか。自分の経験に照らして、いつも下記の3点を考える。
<1>法律や条例、通達、内規等に違反しているかどうか。あるいはその延長線上にある「社会通念」「社会的常識」から大きく逸脱していないかどうか
<2>取材対象が十分に公的存在であり、かつ、その社会的影響力が十分に大きいかどうか
<3>できれば単発ではなく、ある程度の期間、キャンペーン的に報じることが可能なこと
もちろん、法律等に違反しているか否かの最終判断は、報道にはできない。報道が可能なのは「違反の可能性を指摘する」「社会通念からの逸脱ではないかと指摘する」ことでしかない。たまに「スクープで政治家のクビを取れ」などと言う人がいるが、それは勘違いだと思う。報道をきっかけにして議会や捜査当局、世論等が大きく動き、政治家等が辞職することはある。しかし調査報道は「クビ」が目的ではないし、そんな近視眼的な部分に目標を置けば、調査報道が目指すものが小さくなり、どこで歪みが生じ、結果的にうまくいかない。
かつて「ウオーターゲート事件」でニクソン大統領を追い込んだのは、ワシントンポスト紙のボブ・ウッドワード記者とカール・バーンスタイン記者だった。当時、彼らは(記憶では)30歳前の若い記者だったが、上司はいつも「Get the documents(書類を手に入れて来い)」と語っていたという。調査報道の要は、一にも二にも「記録入手」である。暴かれたくないことを暴くことが調査報道である以上、報道を始めた途端に、「そんな事実はない」と相手から反論されることはよくある。当然、そうした事態は予想できる。その際に「書類」を握っているかどうかで、勝負の大半は決まる(もちろん、真に取材がしっかりとできていれば、取材の段階で、取材対象者が事実関係を認めることも少なくない)。
今回の朝日・NHK問題のケースでは、NHK内部に保管されている(と思う)当時の報告書なり、会議録なり、NHK幹部の備忘録やメモ類なり、とにかく「介入があった」という以上は、それを示す「ブツ」を握っておく必要がある。それをとことん探すことから、調査報道は始まる。
内部のブツがなくても、実際にだれとだれがいつ会ったかを示す客観的データくらいは欠かせない。議員会館の面会票でも、議員事務所に残る記録でも、NHK側の記録でも何でもいい。
ブツが入手できない場合もある。その場合は、相手の言うことをとことん聞かねばならない。たとえ、長電話であったとしても、調査報道の対象の言い分を電話取材で済ますことは、取材の常識からやや外れている。取材対象者の言い分が食い違っている場合は、おおむね「当事者の思い違い」「だれかがウソを言っている」の二つしかない。
その場合は原則、食い違いを埋める作業が必要だ。さらに言えば、取材対象者の口裏合わせを防ぐために、対象者に「同時に一斉に取材をかける」ことが絶対に必要になる。「何人かに一斉に取材する、その結果を持ち寄る、内容を検討して矛盾点を洗い出す、その矛盾点についての質問を重ねるために再度一斉に取材する、問題点を絞る、、、、」といった作業の繰り返しである。だから、調査報道には途方もない時間と手間がかかる。私の経験でも、取材が数カ月に及ぶことは珍しくない。それでもダメになることは少なくない。
最後に「詰め」の瞬間がやってくる。その段階までに相手がすべてを認めていれば大きな問題はない(いわゆる「落ちた」ということを指す)。最後まで相手が否定し、また関係者の事実関係に齟齬が残る場合は、調査報道の対象者がこれまでの取材で語ったことをペーパーにまとめて読んでもらう方法も有効だと思う。
内容が変遷をたどって来た場合は、そのままそれも示す。そのうえで、取材者は「書きます」ときちんと伝える。この「通告」によって、さらに相手の態度が変わることもある。
調査報道において、単発で終わる記事はなるべく書かない方がよい。できれば、続けざまに関連原稿を出せるように準備しておいた方が良い。なぜなら、ふつう、調査報道で暴き出すようなテーマは、一本の原稿で伝えきれるようなものではないと思うし、きちんと取材すれば関連原稿を何本も積み重ねることが可能な材料は、十二分に集まるはずだ。
ここから今回の問題に戻って言えば(現在までに明らかになった材料だけでの判断)、朝日の取材は甘かったのいではないか、と感じる。権力に疑義を唱える調査報道の要は「評論」ではなく、「事実の積み重ね」にある。
ただ、言うまでもないことだが、ここでは調査報道一般の考え方に照らし、朝日新聞の今回の取材のありように限って、その「感想」を言っているに過ぎない。朝日新聞社がほかに取材の材料を持っているかどうかは分からないし、「今の時点で新しい材料を出さないのは他に何もないからだ」などと性急に断定はできない。
また現在はNHK側が朝日新聞に対して攻勢に出ているように映るが、よくよくこの間の経緯を振り返れば、NHKは朝日の記述等に対して反論を加えているだけであって、当時の種々の経緯を自ら進んで説明しているわけではない。たとえば、当の番組については、介入の有無は別にして、「改変」が行われたこと自体はNHKもみとめている。そうであれば、(本来は当の朝日新聞が最初に報じる前にやっておくべき事柄だが)、この問題を取材している他社の記者は、NHK側にも聞くことはいっぱいあると思う。
さらにひとつ付け加えると、朝日の記者はNHK元放送局長に対し「圧力を感じなかった?」と盛んに質問したとされる。その際のやり取りについては、「元局長は圧力を感じたと言った」(朝日側主張)、「圧力など感じていない」(元放送局長主張)というバトルが続いているが、元放送局長が圧力を感じたかどうかはこの際、二義的な問題でしかない。焦点はその会談で、安部氏が何を言い、元局長がなんと答えたかにある。NHKと政治との関係を考えれば、NHK側が政治に擦り寄り、特段の指図がなくとも政治におもねって番組を変えた可能性は消えない。だからこそ、実際の言葉のやり取りが一番の問題なのだ。
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