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ニュースの現場で考えること

オウム真理教と今の私、私たち

けさの朝日新聞のオピニオンページを読んでいて、オウム真理教の地下鉄サリン事件から、そろそろ10年になることを思い出した。あの朝、私は(仕事だったか休暇だった思い出せないが)羽田空港で乗り継ぎし、千歳空港に向かう途中だった。待合室のロビーではテレビがオレンジ色の服を着た消防士たちの姿を映し出し、大勢の乗客がテレビの周囲に集まっていたことを覚えている。その後しばらくして、麻原被告の初公判では東京地裁の法廷に出向いた。札幌からの応援取材だったが、法廷に入ってきた麻原被告、その場での意味不明な挙動、言動を目の当たりにし、「どうしてこういう人物に大勢の優秀な若者たちが騙されたのか」と強く、強く感じた。

ただ、あれから10年が過ぎた今も、「どうして優秀な若者たちが・・・」という疑問は、何ら解けていない。それどころか、「理解不能な出来事に対して、何とか問題を組み立て、解答を求める作業」を、ニッポンはどんどん放棄しているのではないか。その結果、いよいよ明確になってきたのは「理解不能なものは排除する」という、乱暴で短絡的な思考の広がりである。。。そう思っていたころに、九州在住のある女性からオウム真理教に関連して、メールをいただいた。

「・・・オウムがあのような事件を起こさなかったら もっと違っていただろうになぁと思いました。
あの事件はオウム全体の人間が起こしたものではなくて一部だと思う。けれど、一部はやはり全体になる。 個々の人間性はとてもいい人達なのだろうに、あのサリン事件があるからどうしても他を色眼鏡でみてしまう。いえいえ見てもいいんだと思う気持ちになって、そういう結論をあいつらに、下す権利があるとの思い込み・・・・みたいな・・・」
「なんかあの本を読んでみて(注=森達也著「A」)、 うまくは言い表せないけれど 偏見がもたらすものの怖さを知識で知ってしまった感じです。でも、彼らは 、何を求めたのだろうか。麻原という男に・・・少し考えてみようかなと 思ったりしてます。これは 今回のオウムだけではなく 今の社会にも言えることだと私には思えます。つまり、自分にない部分をもつ なんっていうのかな・・・強さを持つ政治家っていうのかなぁ。その政治家に 何の恐れを抱く事もなく、求めてしまう強い力で 国をひっぱってくれ~って期待。だから小泉さんが受ける。石原都知事が受ける。でもこの人達の裏には 何かしら怖いもんがみえかくれもする。そういう うまい事表現できないんですが、そのようなものを 麻原にオウムの人間達は求めたようにも思えてなりません」




このメール、いまの社会全体の気分のようなものを実に良く体現していて、深い。

麻原被告に惹かれていった「あんな優秀な若者たち」がたくさんいたのは、当時の社会では(今も)当然だったかもしれない。なぜなら、いまの社会は、宮台真司氏らも言うように、何の変化もない「日常」が国全体でも個人レベルでも余りに長く続き過ぎて、それこそ「永遠の退屈」を生きることを強いられていて、そのうえ社会全体から見て個人Aはいつでも個人Bに代替可能になってしまったからだ。派遣労働の急拡大などは、日経新聞的に言えば、企業社会の効率化と個人の能力を自在に発揮できる環境が整ってきたことを意味するのであろうけれど、「山田太郎」「鈴木花子」といった1人1人にすれば、自分はいつでも他者と置き換え可能な存在でしかないのだ。たぶん。

終身雇用も崩壊し、労組も衰弱し、核家族化の家庭内で1人1人がバラバラな志向を持って暮らすことが当たり前になり、学校では他者との競争および自分がいつ「いじめられる側」に転化するか分からない恐怖が通奏低音となり、とっくに崩壊した「地域社会」は高齢者のみのネットワークとなり、、、そんな社会において、見ず知らずの他人に信頼を置くことなどできはしまい。そして見ず知らずの他人(社会)が信用できなくなったからこそ、人々はいよいよ、「理解不能な出来事」「自らが異端と判断したもの」等に対しては、猛烈な勢いで「排除」を始めているのではないかと思う。安心だったはずの「他者」が不安の第一要素になる。他者、すなわち「社会」が不安の対象でしかないから、安心・安全を国家に求めていく。目の前を通りすぎていく人々よりも、抽象的な「国家」の方がはるかに安心できるという考え方だ。実際、警察力や監視の強化で安心を取り戻したいとする気分は、この10年、どんなに強まってきたかは、身の回りを見れば一目瞭然である。頻発する少年の凶悪事件を前に、学校はいよいよ鉄柵で囲まれた堅牢になろうとしている。そこまで、わが社会は「知恵」と「他者への信頼」を失った。

オウム真理教の一連の捜査と公判は、結局、事件の背景を何も明らかにしないまま、各被告に次々と判決が下されている。犯罪者が刑法等に基づいて処罰を受けるのは当然である。だが、少し前までは、公判を通じて、事件の背景を考え、そこから教訓を読み取ろうとする意欲が社会にはあったと思う。だが、あの事件の公判、およびその後の社会は「排除」「断罪」を優先させる形でしか進んでいない。私も、たぶんあなたも、「なぜサリン事件が起きたか」に対する解答は、何も持ち合わせていない。「早く死刑にしてしまえ」「オウムは生かしておくな」という発想のみが、今も生きながらえている。

麻原被告の周囲に集った人々は、社会に対する触覚が鋭敏であり、代替可能なAやBの群れの中に埋もれていくことに、漠然たる、しかし大きな恐怖を抱いていたのではないか。少なくとも、医師だった林被告の著書などを読む限り、実に真摯に世の中と自分のかかわりを模索し、考えていたことは分かる。そして、私はこうも思った。実際に日々生活している空間・地域で他者を信頼できなくなったとき、あるいは日々の生活の中で自分の居場所が永遠にないと判断したとき、人は簡単に「中傷的な理念」に生きようとするものだと。

麻原被告は最後、ハルマゲドンを喧伝し、米軍から攻撃されていると言い募り、そうやって「恐怖を演出」して自身の身の保全、地位の保全、組織の団結を図り、最後はサリン事件に突入していった。組織の敵はポアしても良い、それは全くの善行だった。それを断固として排除したのは、われわれの社会であり、至極当然の理屈だった。しかし、そのわれわれもまた、例えば、大量破壊兵器があったとの理由で米軍のイラク攻撃に実質的に自衛隊を参戦させ、それが存在しないことが明白になった今も攻撃をやめようとしていない。オウムとイラク攻撃の違いを言うのは容易いが、何らかの理由が付けば他者を徹底的に排除し、抹殺しようとする思考そのものは、オウムもわれわれも、そう大差ないのではないか。しかも上記のメールにあったように、そういう思考形態は、いつもは「善人」として暮らしている1人1人の心の中に棲息しているのだ。オウムのメンバーも(事件への関わり度合いは別にして)1人1人は、ごくごく善人だったのだろうと思う。つまり、「狂気」の源泉はどこか遠くの外国にあるわけではないのだ。

オウム真理教と今の私、私たち_c0010784_17453890.gif
by masayuki_100 | 2005-02-25 10:30 | |--世の中全般