「真実 新聞が警察に跪いた日」を柏書房から出版しました。北海道警察の裏金問題をめぐる報道、その顛末を「私」の目線で切り取った1冊。一連の問題の総括です。
by masayuki_100
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「@Fukushima 私たちの望むものは」も発売中です。原発事故以来、福島にとどまる人、去った人、福島や原発に関係を持つ人、そういった人たちは何を思い、何を考え、どんな望みをいだいてきたのか。大メディアでは伝えきれない、切々とした思い。そんな生の声にじっくりと耳を傾けてきました。クリックして、ぜひご覧ください
「@Fukushima 私たちの望むものは」の前作とも言える「希望」はこちらです。ふつうの人々の声に耳を傾け、聞き取ることの大切さ、すばらしさをお分かりいただけると思います。クリックすると、「まえがき」を読むことが出来ます。
「権力vs調査報道」は権力監視型の調査報道に関する(おそらく)これまで日本になかった書物です。「リクルート報道」「大阪地検特捜部検事による証拠改竄」など調査報道に携わった記者たちに取材手法などをインタビューしました。
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「豆腐屋の四季」と市民型ジャーナリズム
少し前に書いた私の記事「どう考えても、ネットで言論はフラットにならない」について、スポンタさんがコメントを寄せてくれた。簡単に言えば「絶対的正義などというものは成立しえない」ということである。それは、当然にその通りである。「正義」であれ、「邪悪」であれ、古来、社会通念や道徳等もすべては相対的なものだ。そうした概念に「絶対」が付される社会は、実に気味が悪い。
そんなことを考えていたら、松下竜一氏の著書、「豆腐屋の四季」を思い出した。それがどれほどの著作であるか。例えば、ここのサイトを読んでもらえれば、と思う。その書評にこういう一節がある。
「日々の労働でくたくたになり、あくせく働くことをえんえんと繰り返す人間の生活――私もまた、社会人のひとりとして会社に勤める身であるが、最近つくづく思うのは、仕事以外の時間を見つけ出すことの困難さである。生きるというのは、こんなにも哀しいものなのか、と思う。だが、同時にこうも思うのだ。生きるというのは、こんなにもいとおしいものなのか、と」
この著作の、おぼろげな輪郭は分かってもらえるのではないかと思う。松下氏は、自分が夜中の2時、3時に起きて豆腐を作っていた当時、例えば、そういう人々の日々の生活とは無縁のところで叫ばれていた、学生運動のスローガンを嗤っていた、のだと思う。そこで叫ばれる「正義」にいかほどの意味があるのか、と。
もし、市民型ジャーナリズム(その定義については、ここでは捨象する)が成り立つとすれば、それはこの「豆腐屋の四季」のような内容においてこそ、ではないかと思う。
手前みそで恐縮だが、もう10年以上も前のことになるが、紙面で「しごと・いきる」という連載を始めたことがある。取材前、私自身はスタッズ・ターケルの「仕事!」みたいな、インタビュー集を新聞でやってみたいと思っていた。もちろん、そんな大家の作業にかなうはずはないのだけれど、連載自体は多くの記者の手に引き継がれ、都合、2年以上も続く長寿企画になった。その第一回目に、私はこう書いた。
<日々、仕事に追われ、あるいは仕事に立ち向かう。働くことに費やす時間は、そのまま人生の時間でもある。充実と退屈。追いかける夢と忘れかけた夢、そして、夢が欲しいと思う時。笑顔で自信を語れる日と、うつむいて沈黙する日。さまざまな思いを抱えて、わたしたちは働き続ける。その胸のうちにしまい込んだ、「生きる」ことの喜怒哀楽を伝えたい。>
文章自体は稚拙で恥ずかしい限りだが、このころから抱いている私自身の「視線」のようなものは、今も変わっていない。世の中の大多数の人は(それが賃金労働であれ何であれ)、ずっと働き続ける。一日の大半、人生の大半は、働き続ける。ターケルは、その人々の「群れ」を膨大なインタビューで照射し、現代社会を浮き上がらせようとした。
市民型ジャーナリズムが何か新しいものを生み出すのだとすれば、それは、ネットかブログか紙かYouTubeかといったツールによって完成するものではない。ツールも非常に重要ではあるが、必要なのは、いま既存メディアが伝えていないことをどう伝えるか、にある。そしてそれは、「正義」や「国家」といった概念を、抽象的な言葉を用いてこねくり回すことではなく、豆腐屋の四季が描いたような、足元の世界とそこから見える社会と世界のありようを活写することだと思う。
残念ながら、それは「マス」になりきってしまった既存メディアには、なかなかできない仕事だと感じている。それを達成する可能性が一番高いのは、今も現に一生懸命働いている一人一人が文字や映像で、それを伝えることだと思う。もちろん、日々忙しい人は、その仕事を他人に伝える暇など、なかなかありはしない。そもそも、一般社会に広く「伝える」ことに、価値などを見出してはいないかもしれない。
「ネットで言論がフラットになる」かどうか等々という、私に言わせれば牧歌的な議論の脇では、数は少なくなったとはいえ、きょうもたくさんの豆腐屋で、たくさんの豆腐が作られているのだ。
Tracked from ふらっとどらいぶログ at 2006-09-19 08:53
Tracked from 芸術的な日々 at 2006-09-21 23:07
Tracked from 大きな国で at 2006-10-06 08:03
Commented by セシモ at 2006-09-24 10:25 x
Commented by セシモ at 2006-09-25 12:54 x
Commented by katshi at 2006-10-07 18:34 x
Commented by katshi at 2006-10-07 18:35 x
そんなことを考えていたら、松下竜一氏の著書、「豆腐屋の四季」を思い出した。それがどれほどの著作であるか。例えば、ここのサイトを読んでもらえれば、と思う。その書評にこういう一節がある。
「日々の労働でくたくたになり、あくせく働くことをえんえんと繰り返す人間の生活――私もまた、社会人のひとりとして会社に勤める身であるが、最近つくづく思うのは、仕事以外の時間を見つけ出すことの困難さである。生きるというのは、こんなにも哀しいものなのか、と思う。だが、同時にこうも思うのだ。生きるというのは、こんなにもいとおしいものなのか、と」
この著作の、おぼろげな輪郭は分かってもらえるのではないかと思う。松下氏は、自分が夜中の2時、3時に起きて豆腐を作っていた当時、例えば、そういう人々の日々の生活とは無縁のところで叫ばれていた、学生運動のスローガンを嗤っていた、のだと思う。そこで叫ばれる「正義」にいかほどの意味があるのか、と。
もし、市民型ジャーナリズム(その定義については、ここでは捨象する)が成り立つとすれば、それはこの「豆腐屋の四季」のような内容においてこそ、ではないかと思う。
手前みそで恐縮だが、もう10年以上も前のことになるが、紙面で「しごと・いきる」という連載を始めたことがある。取材前、私自身はスタッズ・ターケルの「仕事!」みたいな、インタビュー集を新聞でやってみたいと思っていた。もちろん、そんな大家の作業にかなうはずはないのだけれど、連載自体は多くの記者の手に引き継がれ、都合、2年以上も続く長寿企画になった。その第一回目に、私はこう書いた。
<日々、仕事に追われ、あるいは仕事に立ち向かう。働くことに費やす時間は、そのまま人生の時間でもある。充実と退屈。追いかける夢と忘れかけた夢、そして、夢が欲しいと思う時。笑顔で自信を語れる日と、うつむいて沈黙する日。さまざまな思いを抱えて、わたしたちは働き続ける。その胸のうちにしまい込んだ、「生きる」ことの喜怒哀楽を伝えたい。>
文章自体は稚拙で恥ずかしい限りだが、このころから抱いている私自身の「視線」のようなものは、今も変わっていない。世の中の大多数の人は(それが賃金労働であれ何であれ)、ずっと働き続ける。一日の大半、人生の大半は、働き続ける。ターケルは、その人々の「群れ」を膨大なインタビューで照射し、現代社会を浮き上がらせようとした。
市民型ジャーナリズムが何か新しいものを生み出すのだとすれば、それは、ネットかブログか紙かYouTubeかといったツールによって完成するものではない。ツールも非常に重要ではあるが、必要なのは、いま既存メディアが伝えていないことをどう伝えるか、にある。そしてそれは、「正義」や「国家」といった概念を、抽象的な言葉を用いてこねくり回すことではなく、豆腐屋の四季が描いたような、足元の世界とそこから見える社会と世界のありようを活写することだと思う。
残念ながら、それは「マス」になりきってしまった既存メディアには、なかなかできない仕事だと感じている。それを達成する可能性が一番高いのは、今も現に一生懸命働いている一人一人が文字や映像で、それを伝えることだと思う。もちろん、日々忙しい人は、その仕事を他人に伝える暇など、なかなかありはしない。そもそも、一般社会に広く「伝える」ことに、価値などを見出してはいないかもしれない。
「ネットで言論がフラットになる」かどうか等々という、私に言わせれば牧歌的な議論の脇では、数は少なくなったとはいえ、きょうもたくさんの豆腐屋で、たくさんの豆腐が作られているのだ。
タイトル : この裁判官はヤニング判事か 映画「ニュルンベルグ裁判」
Excite エキサイト : 社会ニュース ちょっと時事トピックなのに趣向を変えて論じさせていただきます。偶然にもレンタルビデオ店で古い映画のビデオを借りて、その映画のテーマと今回の判決がマッチしたもので。 映画は1961年のアメリカ映画「ニュルンベルグ裁判」です。敗戦後のドイツ、ニュルンベルグでの戦犯裁判所をテーマとした物語です。実話をある程度もとにしています。 物語はアメリカの地方判事が、元裁判官で法務長官のヤニングという人を裁く話しです。彼はナチスに屈していながら、実を言うとナ......more
Excite エキサイト : 社会ニュース ちょっと時事トピックなのに趣向を変えて論じさせていただきます。偶然にもレンタルビデオ店で古い映画のビデオを借りて、その映画のテーマと今回の判決がマッチしたもので。 映画は1961年のアメリカ映画「ニュルンベルグ裁判」です。敗戦後のドイツ、ニュルンベルグでの戦犯裁判所をテーマとした物語です。実話をある程度もとにしています。 物語はアメリカの地方判事が、元裁判官で法務長官のヤニングという人を裁く話しです。彼はナチスに屈していながら、実を言うとナ......more
タイトル : 生きる
『日々、仕事に追われ、あるいは仕事に立ち向かう。 働くことに費やす時間は、そのまま人生の時間でもある。 充実と退屈。 追いかける夢と忘れかけた夢、そして、夢が欲しいと思う時。 笑顔で自信を語れる日と、うつむいて沈黙する日。 さまざまな思いを抱えて、わた.......more
『日々、仕事に追われ、あるいは仕事に立ち向かう。 働くことに費やす時間は、そのまま人生の時間でもある。 充実と退屈。 追いかける夢と忘れかけた夢、そして、夢が欲しいと思う時。 笑顔で自信を語れる日と、うつむいて沈黙する日。 さまざまな思いを抱えて、わた.......more
「豆腐屋の四季」のことをブログで見るとは!
この作品に出会った時の衝撃を思い出します。当時、赤ん坊をかかえて、日常の忙しさに追われ、魂のよりどころを失っていたときに、日々暮らしていくことの、美しさとかなしさを、この本は気づかせてくれました。
作者がほぼ同世代だったこともあり、共感するところ多く、その影響で短歌を作り始めたり、その後の精神生活の原点になった作品です。
今の時代のインターネットとは、最も遠い世界の存在だと思っていましたが、記事を拝見して、嬉しくなりました。
この作品に出会った時の衝撃を思い出します。当時、赤ん坊をかかえて、日常の忙しさに追われ、魂のよりどころを失っていたときに、日々暮らしていくことの、美しさとかなしさを、この本は気づかせてくれました。
作者がほぼ同世代だったこともあり、共感するところ多く、その影響で短歌を作り始めたり、その後の精神生活の原点になった作品です。
今の時代のインターネットとは、最も遠い世界の存在だと思っていましたが、記事を拝見して、嬉しくなりました。
私のコメントにレスをいただきありがとうございます。私としては、高田さんがご立腹ではないかと心配し、反省していたところでした。
仰っている豆腐屋さんの話は、鈴木大拙が言うところの妙好人に近いのかもしれませんね。
さて、絶対的善を振りかざす人も気持ちが悪いけれど、主観的善を持たない人というのも、気持ちが悪いのではないかと思っています。
マスコミ人の方々は、いままで絶対善を御旗にして言論をしていたのですが、ネットでは、主観善を自らのエンジンとして行動しなければならないというのが現状だと思います。
そして、炎上に会った多くの個は、自分の主観善でしかないものを絶対善と信じているから、自らの主観を軌道修正することができず、暴発するか引きこもる。そういうことが起きている。
ならば、主観善を明確にすることと、主観善から自由になること。それが、ネット者に求められているのだと思います。主観善から自由になることは、主観善に無責任になることではない。そのあたりが、禅的な考えで極めて難しいのですが…。
コメントするキッカケを頂戴したことを心より感謝いたします。
仰っている豆腐屋さんの話は、鈴木大拙が言うところの妙好人に近いのかもしれませんね。
さて、絶対的善を振りかざす人も気持ちが悪いけれど、主観的善を持たない人というのも、気持ちが悪いのではないかと思っています。
マスコミ人の方々は、いままで絶対善を御旗にして言論をしていたのですが、ネットでは、主観善を自らのエンジンとして行動しなければならないというのが現状だと思います。
そして、炎上に会った多くの個は、自分の主観善でしかないものを絶対善と信じているから、自らの主観を軌道修正することができず、暴発するか引きこもる。そういうことが起きている。
ならば、主観善を明確にすることと、主観善から自由になること。それが、ネット者に求められているのだと思います。主観善から自由になることは、主観善に無責任になることではない。そのあたりが、禅的な考えで極めて難しいのですが…。
コメントするキッカケを頂戴したことを心より感謝いたします。
私ははじめて「市民記者」ということばを耳にしたとき、小関智弘さんの「春は鉄まで匂った」を漠然と思い浮かべました。松下竜一さんは、「ルイズ」を筆頭にほんとうに素晴らしい作品をたくさん書かれているのですが、「豆腐屋の四季」は私には内容が痛々しすぎて、なんだか今でも冷静に読むことができない作品なのです。いずれにしろ、現在のオーマイニュースをながめていると、そういった可能性の片鱗を私は感じることができず、コメント欄で交わされている数々のことばの応酬を読んでいくと、ただただ悲しくなってしまいます。
セシモさま
ネットメディアについて種々議論を交わしている人たちは、「小関智弘」の名前など知らないでしょうし、作品は一つも読んだことがないでしょう。だから、ダメだと言うつもりはありませんが、そういう人たちである、ということは言えるでしょう。
ネットメディアについて種々議論を交わしている人たちは、「小関智弘」の名前など知らないでしょうし、作品は一つも読んだことがないでしょう。だから、ダメだと言うつもりはありませんが、そういう人たちである、ということは言えるでしょう。
>「小関智弘」の名前など知らないでしょうし、作品は一つも読んだことがないでしょう
ご指摘の通りだと思います。「松下竜一」すら知らないかもしれません。いえ、場合によってはこれらの書き手の名前や著作を挙げただけで、「左に寄っている」と断罪されてしまうかもしれません。もはやこうなってくると、それは優劣の問題ではなく、「書く」ことへの根源的なこだわりや眼差しの違いで、両者のあいだには越えがたい断絶が広がっているような気がします。
ご指摘の通りだと思います。「松下竜一」すら知らないかもしれません。いえ、場合によってはこれらの書き手の名前や著作を挙げただけで、「左に寄っている」と断罪されてしまうかもしれません。もはやこうなってくると、それは優劣の問題ではなく、「書く」ことへの根源的なこだわりや眼差しの違いで、両者のあいだには越えがたい断絶が広がっているような気がします。
佐々木さんの記事についてのリンクを辿って、ひさしぶりにこちらのサイトを訪問しました。
「だから、ダメだと言うつもりはありませんが、そういう人たちである、ということは言えるでしょう」これもまた一つの偏見ではないでしょうか?
すでに議論の旬を逸しているのは確かですが、本質論を孕んでいると思いますので、あえてコメントさせていただきます。
少し話をずらしてみます。一般にドキュメンタリー映画を作ろうと志している者が、土本典昭や小川紳介の作品を見ていないということはありえるでしょうか? 私は十分にあり得ると思います。(逆に一定数の者たちは、見ているのが当然だと思っていることでしょう。)
そうした彼らの作る作品は必ずや評価に値しないものになるでしょうか? 私はそうではないと思います。それらの作品を見ていないのならば、それは作り手に決定的(=絶対的)なある欠落をもたらすでしょうが、それと評価とはまた別の話だと思います。
「だから、ダメだと言うつもりはありませんが、そういう人たちである、ということは言えるでしょう」これもまた一つの偏見ではないでしょうか?
すでに議論の旬を逸しているのは確かですが、本質論を孕んでいると思いますので、あえてコメントさせていただきます。
少し話をずらしてみます。一般にドキュメンタリー映画を作ろうと志している者が、土本典昭や小川紳介の作品を見ていないということはありえるでしょうか? 私は十分にあり得ると思います。(逆に一定数の者たちは、見ているのが当然だと思っていることでしょう。)
そうした彼らの作る作品は必ずや評価に値しないものになるでしょうか? 私はそうではないと思います。それらの作品を見ていないのならば、それは作り手に決定的(=絶対的)なある欠落をもたらすでしょうが、それと評価とはまた別の話だと思います。
セシモさんのコメントと合わせて先のコメントを読んでいると、「ダメだと言うつもりはないが、読んでいないことは決定的に(=絶対的に)書き手にある欠落をもたらしている。だから結局はダメ(な状況)なんだ」とのお考えであるかのように思えてきます。
そこまで言うのはこちらの偏見かもしれませんが、「そういう人たちである(一つも読んだことがない)」というのはやはり間違っているように思います。この点、高田さんはいかがお考えになられますか?
もうひとつ付け加えると、佐々木さんも元の高田さんの記事を読み違えて、「そういう記事は実際にはほとんど存在しないのが事実なのだ。そのあたりは高田さんは、どう思われているのだろう?」と頓珍漢な答えをされていますが、そのように話がすれ違ってしまったのには、高田さんの方にも一部で思い込みがあったからのような気がします。
以下は佐々木さんの該当記事のコメント欄での氏のコメントからの抜粋です。
20 佐々木俊尚(sasakitoshinao) 2006-09-22 19:35:58
個人的に私が今後のオーマイニュースに期待しているのは、以下の2点です。
そこまで言うのはこちらの偏見かもしれませんが、「そういう人たちである(一つも読んだことがない)」というのはやはり間違っているように思います。この点、高田さんはいかがお考えになられますか?
もうひとつ付け加えると、佐々木さんも元の高田さんの記事を読み違えて、「そういう記事は実際にはほとんど存在しないのが事実なのだ。そのあたりは高田さんは、どう思われているのだろう?」と頓珍漢な答えをされていますが、そのように話がすれ違ってしまったのには、高田さんの方にも一部で思い込みがあったからのような気がします。
以下は佐々木さんの該当記事のコメント欄での氏のコメントからの抜粋です。
20 佐々木俊尚(sasakitoshinao) 2006-09-22 19:35:58
個人的に私が今後のオーマイニュースに期待しているのは、以下の2点です。
(1)新/旧、右/左、ネオリベ/オールドリベラルなどの対立の接点にならないだろうかということ。ネットの世界がサイバーカスケード化してたこつぼになっていってしまうおそれがある中で、対立する意見が衝突する場所ができれば、結構面白いのではないか。
(2)Web2.0の仕組みを取り入れることで、ブログ/ネット論壇のポータルメディアになれる可能性はないか。
まあ現状のオーマイを見れば、上記2つとも恐ろしく高望みであることは重々承知の上なのですが……。(1)に関していえば、おっしゃるとおりコメント欄に記者本人がもっと反応しないとダメですよね。
ここで分かるように、佐々木さんははっきりと啓発的なもの、ある意味で新聞的なものを脱して論争的なものをめざすべき(だがそれにしては多くの記事の論拠が貧弱)だというお考えのようです。ここにおいて松下竜一的な何かは、ほとんど関係がないのではないでしょうか? いい悪いということではなくて。
本質論はこの先の地平に開かれるべきことですが、すでに随分と書いてしまいました。公開自ブログがないゆえ、連続投稿で大変失礼しました。
(2)Web2.0の仕組みを取り入れることで、ブログ/ネット論壇のポータルメディアになれる可能性はないか。
まあ現状のオーマイを見れば、上記2つとも恐ろしく高望みであることは重々承知の上なのですが……。(1)に関していえば、おっしゃるとおりコメント欄に記者本人がもっと反応しないとダメですよね。
ここで分かるように、佐々木さんははっきりと啓発的なもの、ある意味で新聞的なものを脱して論争的なものをめざすべき(だがそれにしては多くの記事の論拠が貧弱)だというお考えのようです。ここにおいて松下竜一的な何かは、ほとんど関係がないのではないでしょうか? いい悪いということではなくて。
本質論はこの先の地平に開かれるべきことですが、すでに随分と書いてしまいました。公開自ブログがないゆえ、連続投稿で大変失礼しました。













