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ニュースの現場で考えること

「格差社会は悪くない。悪いのは、あなただ!」

「格差社会」について、あちこちで種々の意見が交わされている。しかし、それらの格差(主に経済的なそれ)を若い人々はすでに、すんなりと受け入れているのだとしたら、議論のありようは根本的に違ってくるはずだ。「格差?それがどうしたの?それのどこが問題なの?」という人々が大多数だと仮定すれば、では、今の格差社会論議は、いったい、社会の何をどう解明し、その先、どう展開していくのだろうか?

以下、少々長いけれども、山口二郎北海道大学教授のHPからの引用。06年8月:対抗軸としての社会民主主義の創造

(引用開始)

去年の総選挙で若者・都市住民が小泉自民党に雪崩れてうっていきました。「騙された」という説明もあり得ますし、ドラマ化された政治、「刺客」とか「セレブ」とか面白いトピックを繰り出していくエンターテイメントとして選挙をやったということをいう人もいます。しかし、それですべてを説明するのは無理だと思います。私は、実体的な理由があったと思うわけです。そこで考えたことが、再分配あるいはリスクを社会化するという仕組みについて人びとが大変大きな不満を持っているということです。日本人がみんなアメリカンイデオロギーに染まって、平等や公平を放棄したのではなく、歪んだ平等主義や正義感によって、「小さな政府論」を支持しているという捻れた状況があると思うのです。再分配政治は、何となくうさんくさいものに見え、無駄が多い、腐敗がいっぱいある、一部の人間だけを太らせているという一連のイメージが一般的にあり、それらを大掃除する手段として「民営化」はすごく魅力的な手段に見えたのでしょう。
 私は、最近、「プチ不平等」という言葉をよく使います。ヒルズ族と「おんぼろアパート」との間の格差は、もはや政治的争点にならないのですが、「おんぼろアパート」と公務員宿舎の格差は政治の問題になるわけです。非正規雇用が急激に増え、リストラで大変辛い目にあった民間企業の人たちが大勢いるなかで、雇用のリスクがない公務員は特権階級に見えちゃうわけです。あるいは、農業などに対するサポートも、輸入食料品で食費を安くあげる生活をしている人から見れば、「弱者面をした人間」にいっぱい金をまいていると見えちゃうわけです。
 公共セクターは平等をもたらす仕組みではなく、むしろ格差や特権を部分的にこしらえている存在で、「官から民へ」「小さな政府」にすることが、むしろ世の中を公平にして風通しをよくすると思えちゃうのです。そこをキチンと理解しないと、小泉人気の説明がつかないと思います。

(引用終わり)





そうだろうな、と実感。種々の「格差」を当然のように人々が受け入れている、何の違和感もないのだとしたら、彼らからすれば、格差の問題を声高に言い立てる人々は、相当に違和感を抱く対象であろう。格差社会の問題は、今年初頭から種々の新聞でも大きく扱われるようになってきたが、それらの記事に得心していたのは、格差社会を問題にしている人々だけであって、「容認派」はもしかしたら、嫌悪感を抱いたかもしれない。

なかなかうまく表現できないが、格差その双方の溝みたいなものが、今の社会では、一番大きいのだろうと思う。

昨年の総選挙後、名前は忘れたがどこかのブログで、「この選挙で敗北したのは、労働組合という特権階級だ」という記述があった。また最近では、例のオーマイニュース日本版に関連して、(これも有名なブログだったが、名前は失念)、「小泉政権を批判するのは左翼。オーマイニュースは“市民”を騙る左翼だ」みたいな言説があった。どちらも、皮相的な見方であり、それを一蹴することは容易いのだろうが、しかし、そういう「反格差社会」的な行為・言説自体が、もう影響力を持ちえていないのではないか。なにしろ、長く伸びたマラソンレースの後方に位置する人々が、その現状を受け入れ、「格差は悪くない」「悪いのはそれを言い立てるあなただ」と叫んでいるのだ。

「格差容認」の言説は、その人の生活実態がどうであれ、多くの場合は「下から」の言説である。下から上を見て(或いはその形をとって)、社会を射抜こうとしている。「下からの言説」は、その内容はどうであれ、かつての労働運動・大衆運動がそうであったように、民衆に依拠しているからこそ、「絶対的に善」みたいなところがあり、そして、民衆に依拠しているからこそ、「われわれの言説は非常に強固だ」と言い張ることが出来るようにも思う。

私自身はそういう現状を前にして、なんともすっきりしない、どうにも居心地が悪い、そんな感じを拭えずにいる。
by masayuki_100 | 2006-09-10 17:38 | ★ ロンドンから ★