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ニュースの現場で考えること

報道への「介入」とは何か

これまでのエントリーで種々書き連ねてきました。時系列で早い順に記すと、こうなります。

NHK番組への「政治介入」」「続・NHKへの「政治介入」」「続々・NHK番組への「政治介入」」「マスメディアの説明責任」「報道への批判・介入などについて

とい何本か書きなぐった今の段階で、報道への「介入」「圧力」とは何かを、私なりの判断でまとめると、以下のような感じになります。ただ、これはNHK問題を個別に論評したものではありません。これまでも繰り返したように、NHK問題は現時点では、事実関係が明らかになっていない部分が多すぎる、と考えているためです。したがって、以下は「一般論」です。


<報道への「圧力」「介入」と判断されかねないケース>
政府の要職にある人や政党幹部、行政機構の幹部、大企業幹部らが、報道が実際に行われる前に、その当該報道に関し、報道機関側の取材担当者ではなく、報道機関側の幹部らに対して、「○○してほしい」などのように伝えること。(この場合、政治家本人らがかかわった疑惑等に関する報道は、この範疇にはストレートには入らない。自身の直接の行動について、報道機関に直接説明を行うのは当然だからだ


「介入」や「圧力」と判断されかねないケースのポイントは、「報道が実際に行われる前」という『事前性』、および、取材担当者に直接ではなく、その上司や組織的に上位にある幹部らと個別に会って伝えるという『密室性』にある。



 報道機関幹部がこのようなケースに遭遇した場合、幹部はその組織内において、速やかに事実関係を明らかにし(とくに当該の取材担当者に対して)、そのうえで何らかの指示を出すなり、出さないなりの判断をすべきだと思う。外部とのやり取りを組織内で明らかにせずに、何らかの指示を出せば、後々、「幹部は外圧に屈して現場に指示を出した」と言われかねない。
 報道機関も会社組織等である以上、最後は「上からの指示・業務命令」には従うのは当然である。しかし、上からの指示・業務命令が、どういう経緯によって出されたか、それが焦点になる。報道内容が適切かどうかの自己検証作業は不断に必要であって、とくに報道が実際に行われる前の段階では、そうした作業はすべて報道機関の全責任において行われるのであって、そこで「外圧」に左右されたとしたら、報道側は命とりだ。

 私個人の体験を言えば、1995年から96年ごろに北海道庁の裏金事件を担当していたとき、当時の上司は「道庁からこんなことを言ってきた」と即座に現場に伝えてくれたし、そのうえで「われわれは間違っていないから、取材の手を緩めるな」と言ってもらった。そういった情報が、メディア企業内でどの程度オープンにされるか、それがかなりのウエートを占めると思う。

 一方、政府要人や政党幹部、行政機構の幹部、大企業幹部らが、『事前に』どうしても報道機関側に意見したい場合は、演説会や記者会見等など広く一般に意見を伝える場で行う方が良い。そうすれば、「圧力があったかどうか」といった疑念はひとまず、拭い去ることが可能だと考える。それがなく、個別の報道について事前に、密室で意見することは、政治家等にとっても得策ではないはずだ。政府要人や政党幹部らによる発言は、ある程度の影響力を持っているのであり、自身の意見を開陳する場合は、基本的にオープンでやるべきだ。


 結局、いまの日本で今回のNHKのような問題が生じるのは、報道側と権力側が同じ土俵に立ち、インナーサークルを作ってしまっていることに最大の原因があると考えている(たとえば、私の過去のエントリ「オフレコ発言をめぐって」「記者会見が勝負だよ」)。少なくとも私は、報道機関の大きな役割は権力監視であると考えているし、権力側に何か問題があると考えた場合は、事実の積み重ねによって疑義を唱えるべきだと思っている。その姿勢を失えば、報道機関は広報機関でしかなくなってしまう。また、そうした報道機関の姿勢が適切かどうかは、最終的には読者・市民によって判断される。

 ネット時代になって、マスメディアの情報独占を可能にしてきた環境は、いま急速に崩れている。しかし、一方では記者と権力側の関係はますます深くなり、距離が近づき、結局、彼らに対する監視役を放棄する傾向はいっそう強まってきた。そうやって権力者との「良好な関係」を維持し、その枠内で報道を続けることでしか、存在できなくなりつつある。その結果、報道機関の情報独占の最後の砦として立ち現れているのが、「権力者との内緒の会話」ではないのか。
 そこでは、彼らからお墨付きをもらった事柄だけがニュースとなり、それ以外はオフレコ扱いとしてインナーサークルでのみ流通し、その掟を破るケースが出れば報道機関内部で「クラブの原則に違反した」などとしてパージが起こる。したがって、本当に大事な話を知っても真正面からインナーサークルの相手に疑義を唱えるような取材は、なかなか生まれない。そして、記者個人の取材力は衰え、それぞれの記事もつまらなくなっていく。その悪循環に陥っているのではないか、と思う。


 ざっと記しましたが、まあ、こういう感じでしょうか。右とか左とか、そういう思想性の問題ではなくて、たとえば、ある政治家と親しかった人が政治部では出世する、ある捜査当局者とツーカーだった人が社会部の出世頭になる、、、そういったメディア企業内の積み重ねも大きく影響しているのだと思います。報道機関の組織も、古びてしまった、ということなのでしょう。

 NHK問題に端を発したこの問題は、まだまだ種々の場で意見が交わされています。個別のコメントやトラックバックをいただいた場合は、ある程度、それがたまってから、まとめてまた自分なりの意見を書いてみたいと思います。
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by masayuki_100 | 2005-01-16 23:52 | |--報道への「介入」とは