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ニュースの現場で考えること

「自由記者クラブ」設立の構想

記者クラブ制度に関連し、私はいま、ぼんやりとした「構想」を持っている。構想だから頭の中に描いているだけであって、それを実行できる物理的・財政的根拠は、何も持ち合わせていない。でも、こういうものがあれば、いいだろうなあと。まあ、夢想と紙一重かもしれないが。

記者クラブ制度の問題は各所で議論されていたし、今も議論されている。それはそれで大事なことなのだが、私自身は、この制度に関する問題点の洗い出しは終わっており、論点は整理し尽くされたと思っている。あとは、どこをどう変えていくかの具体論しかない。で、その具体論のところで、既存メディア側はなかなか動かず、物事はまったく進んでいない。私は記者の集団としての「記者クラブ」は、あってしかるべきだと思っている。それについては、過去のエントリ(例えばココ)でさんざん書いてきたので、関心のある方はそちらに目を通してもらいたい)。

新聞やテレビによる報道の一番の問題は、「発表依存」「官依存」「当局依存」の構造になっている点にある。いわば、「発表ジャーナリズム」に陥っているのであって、どんな理屈を並べようと、現状を俯瞰すれば、当局(大企業等の民間も含む)の広報機関になっている事実は疑いようが無い。その点は、ジャーナリストの岩瀬達哉氏浅野健一氏らが早くから指摘しているし、事実、その通りだと感じる。最近では、ジャーナリスト寺澤有氏の指摘と行動が鋭い。

そうした「発表ジャーナリズム」を取材現場の日常風景に置き換えれば、こういうことだ。多少大袈裟な書き方かもしれないが、「毎日、役所等の記者クラブに出社する。役人等の話を聞く。役所側の発表を聞く。同業他社に役所ネタが抜かれていないかチェックする。役所の人と夜の街へ繰り出す」・・・そんな感じである。記者の日常は、多くが役所の庁舎内で終わり、取材相手は役所関係者だけで終わる。この場合、「役所」は「警察」でも「検察」でも「政治家」でも「大企業」でも、まあ、なんでも良い。要するに、「狭い」のだと思う。記者はよく、「付き合いの幅が狭い」と言われるが、それは一面で当たっている。日常のビジネスシーンに、役所関係者と同業他社と社内関係者しか登場しないのだ。そして、そうした日常風景を支える場所として、いまの記者クラブがある。

私の考えによれば、「発表ジャーナリズム」を支えているのは、記者クラブの存在よりも、記者の日常の仕事様式・思考様式そのものにある。記者クラブ所属している記者の中には、当たり前の話だが、素晴らしい仕事をする記者もたくさんいる。記者クラブの机から、その当該役所を揺るがすような記事もたくさん発信されている。それは間違いない。ただ、多くのケースでは、役所との関係の中でのみ記者の日常が終わり、記者の思考も役所的になっているのも、また事実だ。権力悪を暴き出すような原稿が「記者クラブ発」で世に出たとしても、多くの記事・多くの記者は「脱当局」の行動様式がなかなか取れない。そりゃそうだ。記者クラブに出社して、毎日そこに通って、役所関連の記事を書けと仕事で言われたら、開き直ってサボる場合は別にして、会社員はふつう、役所通いを続けるのだ。自由な取材ができる立場を組織内で得ようとすれば、10年くらいはかかる。そこに到達したとしても、その他大勢の記者・若い記者は、役所通いが続くのだ。これでは、「構造」は変わるはずがない。

だから、現行の記者クラブ制度が変わり、自由化されたとしても、取材者の姿勢・目線・行動様式が変わらない限り、おそらく、報道の内容は大きく変わらないのだ。今の日本では、メディア側の権力への「すりより」が一層激しくなっている。それは記者クラブ制度が存在するからではなく(もちろん大いなる関係はある)、記者の姿勢・性根にかかわる部分が根本にあると思う。

で、私の「構想」の話である。



前置きが長くなってしまったが、私の「構想」「夢想」は、だれでも参加できる「自由記者クラブ」をつくれないか、ということだ。考え方の基本は、「脱・当局」「脱・官依存報道」「市民からの情報発信を増やす」である。まだ整理しきれていないが、以下に少し綴ってみる。

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(1)自由記者クラブには、記者が個人単位で会員として加盟する。新聞社やテレビ局の記者か、雑誌記者か、ネット記者か、フリーランスか、日本人かどうか、そういった「所属組織の有無」等は問わない。記者専業でなくても、自分が記者であると考える人は、原則、だれでも参加できる。

 →→日本新聞協会等の加盟社記者でないと事実上、既存の記者クラブには所属できない。その壁を突き崩す。そのためには参加資格を「加盟社」という組織単位から、「個人」に移す必要がある。


(2)自由記者クラブは、東京の霞ヶ関近辺の民間ビルに広い部屋を確保し、あらゆる団体・個人がプレス発表できる場所として存在させる。ただし、政府関係者・団体等は既存の記者クラブにおいて発表の場を確保できているので、特別の事情がある場合を除き、当面は自由記者クラブで発表の機会を設けることはできない。
 
 →→種々の発表の場所は、記者が多く居る場所・その近辺でなければならない。そうしないと、既存メディアの記者が物理的に参加しにくい。本来は、そこまで既存メディア側にいわば「便宜」を図る必要はないのだが、既存メディアの報道姿勢・報道内容・記者の日常行動のパターンを変えることも大きな目的であるから、現状では「場所」は大きな要素だ。中央省庁の発表を聞いたあと、その足でそれに反対する団体等の会見を聞きに「自由記者クラブ」に足を運ぶ、というパターンができれば、それは理想形の一つかもしれない。


(3)自由記者クラブにおける記者会見、簡単な事情説明(レクチャー=業界用語で「レク」)、資料配布等は、原則、だれでもできる。自然保護・環境問題、人権問題をはじめ、憲法改正問題、労働、教育、医療、福祉、国際関係、メディア問題等々で活動するNGO、NPO、市民団体、労働団体、オンブズマン組織等々のほか、訴訟の原告・被告などの会見もできる。既存記者クラブにおいてレクを受け付けてもらえなかった場合も自由記者クラブは歓迎する。発表者の思想信条は問わない。

 →→政府や政治家・当局等々に言いたいことはたくさんある、でもそれを広く伝える方法がなかなか持てない。そんな団体・個人等こそ、この自由記者クラブで意見表明してもらいたい人々である。そうした団体等は世の中に数え切れないほどあるのだが、実は、メディアに向かってきちんとそれを言える場所は、ほとんどない。市民側に統一された発表の場が無い。それをきちんと確保することは、「脱・当局依存ジャーナリズム」への第一歩になりうる。
 →→例えば、大きな訴訟等では現在、霞ヶ関の司法記者クラブで原告・被告らの会見が行われている。司法記者クラブは他のクラブよりは自由度が高く、フリー記者や雑誌記者の方々が参加しているが、それでも種々の制約は多い。一方では、この司法記者クラブ発の訴訟関連ニュースは、しばしば全国ニュースになる。だったら、原告・被告らの会見は、司法記者クラブではなく、すぐ近くの自由記者クラブでやればよい。「オブザーバー参加の方は質問をご遠慮ください」みたいな話もない。それに、全国ニュースで「原告たちは判決後、東京の自由記者クラブで会見し・・・」などと流れたら、宣伝効果は抜群かも。


(4)自由記者クラブでの発表は全国から受け付ける。配布したい資料がある場合は、自由記者クラブ内に掲示するほか、専用棚に一定期間整理して保存し、会員が自由に持っていくことができるようにする。

 →→日本の各種報道は、なんだかんだと言っても、「東京一極集中型発信」である。各地域で実際に何が起こっているか、東京に居ると、なかなか見えない。それを防ぐためには本来、東京の記者が地方の現場へ足を運ぶべきだが、その一助として、地方の情報を東京に集めることも欠かせないと考える。当面は、単に「集める」「情報を寄せてもらう」だけの作業かもしれないが、永田町・霞ヶ関・大手町・茅場町等の界隈にしか目が向いていない「視野狭窄」を脱する手がかりにはなるのではないか。


(5)自由記者クラブは、記者発表の予定やその場で配布された資料、配布のみされた資料等々をインターネット上で広く公表する。自由記者クラブにおける実際の記者発表・会見の様子も、一部あるいは要約が、インターネット上で公開される。

 →→後段の「実際の記者発表・会見の様子も、一部あるいは要約が、インターネット上で公開される」は、それに時間を費やすことが可能な事務局的機能があれば、の話。重要なのは、実際に自由記者クラブ内で配布された資料等が、ネット上でも公表されている、ということ。これによって、物理的に東京の自由記者クラブに足を運べない地方の記者も、ある程度の参加が可能になる。


(6)自由記者クラブの発表・会見等を希望する際は、事前に事務局に届け出る。事務局は、時間・部屋の都合等を勘案し、調整する。それらの日程は速やかにネット上で公開されるほか、会員には電子メール等によって通知される。

 →→自由記者クラブの物理的なスペースにもよるが、時間調整等は絶対に必要になる。これは当たり前。


(7)自由記者クラブは、月に2回程度ゲストを招き、記者会見を兼ねた講演を行う。

 →→例えば、任意団体の「アジア記者クラブ」は毎月1回、その時々の話題の人を招いた例会(講演会)を東京で開催している。9月は沖縄返還秘密協定に関する「西山事件」の西山太吉氏だったし、10月は外務省元主任分析官で「国家の罠」の著者でもある佐藤優氏だ。アジア記者クラブに限らず、この種の興味深い講演会は、各地で頻繁に行われている。それらは通常、公民館みたいな場所で開かれることが多いが、この自由記者クラブが機能すれば、同記者クラブはそれら講演の「場所貸し」みたいな存在になるかもしれない。なお、内幸町の日本プレスセンターでもこの種の講演会・昼食会が定期的に行われているが(主催は「日本記者クラブ」)、事実上、広く開かれた行事にはなっていない。

(8)自由記者クラブは、会員同士および発表者である市民が、それぞれの所属会社等の枠を超えて、意見交換し、自由に交流する場を目指す。

(9)自由記者クラブ会員は、同クラブ内での取材については自由に各種媒体に公表できる。ただし、その報道内容に関する責任は、会員個人が負う。

(10)自由記者クラブの会員は、会費を支払う。

 →→本当はこの自由記者クラブ内に各種資料、各新聞の縮刷版、基本的な参考文献もそろえることができたらいい。自由に記者が集まり、市民たちが自由に発信し、それを自由に取材し、報道していく。その場所を確保し、既存メディアも無視できない存在になっていく。
 →→「会費」についていえば、既存記者クラブの場合、どこも1人月500円程度だと思う。年換算で6000円だ。

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長々と書いてしまったが、ぼんやりしたイメージは理解いただけるのではないかと思う。私は最近、ネットメディアの新しい形について考えを巡らせることがあるが、媒体の形はどうであれ、大事なのは「何をどう報じるか」である。だったら、官依存・発表依存に陥っているメディア側の思考様式・行動様式をどう変えるか、しかも具体的に何を契機に変えるか、という視点・具体論が欠かせない。現状では愚にもつかない話だが、その一つが、この「自由記者クラブ」だ。

もちろん、最大のネックは「資金」である。ふだん、霞ヶ関・永田町・虎ノ門あたりをぶらぶら歩いている感じでは、場所自体はある。空き室のあるビルも多い。ただし、あのあたりのビルは任意団体や個人には貸してくれないだろうから、やはり、篤志家が必要かもしれない(笑)。

それはそれとして、こういう、「真の意味での記者クラブ」ができたら、なかなか面白いだろうと思うのだが。よろしかった是非、ご意見を聞かせてください。メールでのご意見も歓迎です。

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by masayuki_100 | 2005-10-08 14:50 | ■ネット時代の報道