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ニュースの現場で考えること

「報道報国」への道にだけは進むな

日本ジャーナリスト会議の月刊紙に<「新聞報国」の再現こそ「国難」 権力と一体化の危険性>という一文を書いたのは3年前、2014年の1月である。私が時々書いたり話したりする内容であり、どうということはない文章だが、ここに概略を記しておこう。



今の日本の状況下で、仮に「国難」が喧伝されたらどうなるか。


山中恒氏の労作「新聞は戦争を美化せよ!」は、戦前の新聞界がいかにして時の権力、すなわち軍部に協力していったかを豊富な資料を基に詳述している。それによると、太平洋戦争の開戦前、大阪朝日新聞の取締役業務局長は「新聞報国の秋」と題し、社内向けにこう檄を飛ばした。


 「こういう未曽有の大事変下においては(略)一億一心に民心を団結強化するためには真に国策を支持し、国民の向かうべき道を明示する良き新聞を普及することが、適切有効であることは今更論じるまでもありません」


 東京朝日の記者もこう書いている。


 「決戦下の新聞の行き方は、国家の意思、政策、要請など、平たく言えば国の考えていること、行わんとしていること、欲していること等を紙面に反映させ、打てば響くように国民の戦争生活の指針とすることが第一(略)各大臣の演説、偉い武官、文官の談話、法律や規則の報道、解説記事がその一端です」と。 


 「未曽有の大事変」を前に権力側に擦り寄った挙げ句、一体化してしまった報道の罪。「未曽有の大事変」の後に、「破滅と破壊」が控えていることを探知できず、国民をそこへ連れて行った重い歴史。その過程では、権力に疑義を唱えた・唱えようとした名も無き記者があちこちの社内でパージされていったはずである。あるいは、パージされる前に自ら進んで迎合し、その時の自らの地位や待遇を守っただけか。


一体、「未曽有の大事変」とは何か。その萌芽は当時、記者に見えなかったのか。戦争は自然現象ではない。隕石の地球衝突のような「不可避」はあり得ない。


権力は嘘をつく。自らの地位や栄華を守るため、責任回避のためなら、何度でも、どこまでも、だ。




では、権力と真に一体化してしまった報道とは、どのような姿なのだろうか。よく言われるのは、戦況報道を偽った戦前の「大本営発表」とその垂れ流し版の「大本営報道」だ。しかし、あす日曜日は衆院選の投票日でもあるし、投票日の紙面を見てみよう。










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写真は1942年4月20日の高知新聞朝刊である。私はこの春まで5年間、高知新聞でデスクとして仕事していた。だからこれは、その大先輩たちが作った紙面でもある。



「聖戦完遂の熱意示せ」「清き一票・適正候補に」。これが1面 のトップ見出しだ。内務大臣の「一票報国 責務を果たせ」とい うコメントは準トップ扱い。そして、左側には「けふ決す 県民 の総意」などの見出しが並んでいる。



簡単に言えば、政府の指示通りに大政翼賛会推薦の候補に投票し ましょう、それが戦時下の選挙なんですよ、という内容であり、 かつ、新聞自らが「読者諸氏は分かっているよね」とダメ押ししている。



これはいわば、「新聞報国」の最終型である。歴史は当然続いているのであって、この投票日の紙面より以前には、目を覆わんばかりのひどい報道があった。



端的に言えば、「新聞報国」は1937年の日中戦争以後、急速にその勢いを強めたのであり、当時の高知新聞をひもといても、「郷土部隊の少尉が支那人を27人撫で切りにした」とか、「暴戻(ぼうれい)支那を斬り殺す快味」だとか、そんな記事が山のように出てくる。特派記者を前線に送り、インタビューした記事もある。



一方で、戦死した郷土出身の若い兵士は顔写真付きで逐一紹介され、それぞれに妻や母が「誇りです」「大した活躍もせず、申し訳ない」などと語ったことになっている。



しかし、同時に、当たり前の話だが、1930年代はまだ、こうした記事の一方で大相撲や体育のイベント、地域の行事といった娯楽記事もちゃんと載っている。そこから当時の庶民の生活も垣間見える。



つまり、普通の日常の中で、「支那人撫で切りの快味」といった報道は続いていたのだ。そうした記事群と上に引用した当時の新聞社内の言論などを見ていると、「新聞は社会の公器」という発想は、実は戦後民主主義の中で生まれたものではなく、この戦前戦中の「新聞報国」の中にあったのではないか、と私は感じている。



当時と現在が似ているとか、そういうことを簡単に言うつもりはない。しかし、これだけは言えるし、言う。



報道が「報国」になってはいけない。「報国」に向かうような流れに身を任せてはいけない。それらは主に、報道企業内での日々の些細な出来事となって立ち現れるが、おかしいと思ったら、社内で徹底議論し、たたかえ、である。



おそらく、そうした戦いの前線は、報道企業の外に存在するのではなく、記者やカメラマン、デザイナーなど報道に関係する職業人ひとりひとりの、社内での机の周りに出来るのだ。結局、最後は自分の食い扶持との戦い、つまりパンかペンか、である。それでも、そこで負けてはいけないのだと思う。たぶん、戦前戦中に報道人だった先人たちは、多くがそこで妥協し、目をつむり、「報国」の流れに身を任せて1942年4月の紙面を作ったのだ。



「報道の報国」こそは、報道で働く人々が完全に権力と一体化する道であり、多様な価値観を消し去ってひと色に染め上げる道であり、少数者を異端者として排除する道であり、世の中を窒息させる。「メディアの信頼を取り戻そう」などという、なまっちょろい言葉では言いたくない。どこに「報道報国」への萌芽があるか、四六時中、目を見開いて、もっと見開いて。


by masayuki_100 | 2017-10-21 03:49