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ニュースの現場で考えること

ブログと社会

最近、いろんなところで、「なぜブログは現実の政治や社会に影響を与えることが出来ないのか」といった議論に遭遇する。それに伴って、「実名と匿名のどちらが信憑性があるか」といった議論も依然続いているようだ。

匿名か実名かの議論については、私はもう結論を出しているので、私自身の考えはここでは再掲しない。ただ、「ネットやブログがなぜ政治や社会に影響を与えていないか」という問題の立て方については、少し意見があるので、書き留めておきたい。

そもそも、「(日本では)ネットやブログがなぜ政治や社会に影響を与えていないか」という設問の立て方について。

たぶん、こういう問題の立て方をされる人は、非常に失礼な言い方ではあるが、現実の社会のありようが十二分に見えていないのではないかと思う。ネットは現実の社会に対し、非常に大きな影響をすでに十分に与えているのである。そして、その度合いは日々、まさに今、拡大を続けている。ネット使用の商取引から企業・官庁のPR、各種データベース、数々の個人HP・ブログ、政党・政治家のそれ、、、。もう、それらは数えきられないほどだ。

だからこそ、ブログでも日々、政治・社会・教育・経済・災害情報等々、ありとあらゆる分野で「議論」が行われている。その集積はやがて、毎日の暮らしの中でのモノの考え方、そして選挙や種々の社会活動の際、人々の行動に大きな影響を与えるはずだし、今も現に与えていると思う。私はそう解釈している。

例えば、少し前のエントリで浜岡原発のことを記した。それに関して言えば、ストップ浜岡原発@ブログというブログがあって、これがなかな力が入ったブログなのだ。さて、このブログは社会に影響をどの程度与えているのか、いないのか? おそらく、外野からでは、それは測定不能なのだと思う。「影響を与えたい」と思って開設した、そのことが「ブログによる発信」では大切なことではないか(もちろん社会に影響を与えたいというブログばかりではない)。そういったブログ=情報発信の集積が、他の媒体の影響力、種々の社会的な運動等々と絡み合い、いろんなものを動かしていく。それが、「世論」というものだと思うし、世の中はそういう風にできている。



つまり、何が言いたいのかと言えば、「ブログ」のみを特別に重要視しすぎているのではないか、ということなのだ。確かに、ブログは素晴らしい。手軽な情報発信ツールとしては、非常に優れていると思う。しかし、ツールはツールでしかない。ブログが社会に大きな影響を与えるには、社会に影響を与えるような人々の行動が必要なのだろうと思う。警察の裏金問題にしても、新聞が書いたから、警察が公式に認めたのではない。弁護士などのオンブズマン組織が動き、内部告発者が立ち上がり、市民が抗議の電話やメールを警察に次々と送り、(不十分だとは思うが)議会が動き、監査委員も動き・・・そうした中で、解明への動きが生じたのだ。新聞だけで、世の中が動くはずはないし、ブログだけで動くわけでもない。

韓国のオーマイニュースの社会部長さんの話を今年のまだ雪のある時期に、札幌で聴く機会があった。その後、オーマイニュースの動きを紹介する本も出て、私も真っ先に買って読んでみた。そこでは「インターネット」「市民記者」「双方向」「ブログ」など種々のキーワードが登場するが、私の理解では、一番のキーワードは「準備された市民」である。つまり、今の世の中に飽き足らず、世の中を変えたい、社会参加したい、という数多くの市民が存在するかどうか、市民にそうした意思があるかどうか、それこそがポイントなのだと思う。

メディア系のブログを離れ、少し鳥の目になってネット上を浮遊すると、NPOやNGO、その他問題意識の鮮明な個人・グループのブログ等が実に数多く存在することが分かる。おそらく、それぞれのブログは、「マス」思考に慣れ親しんだ私たちには定かに理解できないところで、それぞれの地域や集団、その外縁に相当の影響を与えているのだと思う。そうしたNPO等々の動きがさらに大きくなれば、この社会もさらに変わって行く。私はそう思っている。

だから、ブログのみを取り上げ、「どうして影響力が米国ほどないのか」といった議論を繰り返しても、あまり意味のある結論は出ないのだ。それを議論するなら、政治や国際問題等々、世の中の動向に他国ほどの関心が無さそうに映る、この社会そのものの有り様を問うべきではないかと思う。
by masayuki_100 | 2005-06-20 13:27 | ■社会