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ニュースの現場で考えること

「匿名か実名か」について

松岡美樹さんのブログ記事匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?読売新聞「ヒゲ記者」事件で考える匿名と実名の功罪 、毎日新聞の磯野さんのブログ「実名、匿名」など、最近、あちこちで「匿名か実名か」が議論されている(と言ってもブログを覗かない日が数日続くと、あっという間に議論が進んでいて、何だいまさら、、、という感じである。げに、ネット上のスピードはすさまじい)。

話は少し飛ぶが、ASAHIパソコン6月号の「NEWS&VIEWS」という欄に、「神奈川新聞のサイトがブログを中心に」というタイトルの記事がある。その再後段あたりに私のコメントがあって、「なんで実名でブログをはじめたのですか」みたいな質問に答えた内容になっている。松岡さんや磯野さんの文章を読みながら、1ヶ月くらい前に、ASAHIパソコンの取材記者氏にしゃべったことを思い出した。

「なぜ、実名で?会社の許可は?」と問われたが、要するに、私の場合。匿名にしなければならない理由がなかった。仮に匿名で書いたとしても、書きたいことを書いていれば、そのうちに「ああ、あいつだな」くらいは、近しい人たちにはきっと分かる。それに、この1年くらい力を入れていた警察裏金問題も書きたくなるだろうし、後で「だれだ?だれだ?」みたいになるのも面倒だった。実名で始めた理由は、そんな程度である。

開設直前、直属の上司には「えー、実はブログというのがあって、私もそれをやってみるつもりです」と報告した。上司は「いいじゃないの」「オレにもそのうち教えてくれよ」と了解をもらい、その後も「反応はあるのか」といった問いかけがある。その意味で言えば、会社公認(黙認?)なのかもしれないが、磯野さんのブログ「上昇気流なごや」のように、勤務先の公式HP内に位置しているわけではない。中途半端といえば、中途半端だ。自分のブログについては、書きたいことを書いているし、内容について業務上で何かを言われたこともない。ただ、当然のこととして、自分は「このブログは余暇」と思っているから、記事に書かずにこのブログに書く、ということはない。その点では、実は非常に気を遣っている。

で、ここからが本題なのだが、「ブログ上での実名・匿名」について、私が思うところは基本的に2つしかない。





一つは、どんな形式であれ、個人の意見表明等には、匿名を選択する自由は完全に保障されるべきだ、ということだ。通常のホームページであれ、ブログであれ、或いは現実社会においての選挙の投票であれ、新聞社等への意見であれ、行政官庁への意見であれ、ビラ配布であれ、すべて同じだと思う。残念ながら、この社会では実名で何がしかの意見を表明した場合、例えば職場や地域等で不当な扱いを受けることが現在も間々ある。実際にそういうことが起きなくても、「実名で言ってしまって、上司にバレたら怒られるかな」くらいのことは、どこにでも転がっている。その機微は、第三者には本来計れないものだろうと思う。

だから、私は、たとえ名乗らぬ人が何かを意見したとしても、「匿名だからアカン」とは思わない。「匿名だからダメ」「実名だから良い」というのは、問題の立て方が違うのだと思う。「匿名」と「ダメ」は常に相関関係にあるわけではない。
 ※技術的には、ネットでの匿名は不可能、という問題は脇に置いておく。

もちろん、匿名よりは実名の方が一般的には信頼度が上がるだろう。しかし、「実名でなければその意見は傾聴しない」というのは、極端に言えば、その昔の貴族的なサロンのイメージがあって、現代のマス社会にはそぐわないと思う。匿名であっても、社会常識を備えた語り方、書き方というものは当然存在する。そういった常識をわきまえている方は、たとえ匿名であり、かつ立場が違っていたとしても、多くの場合は傾聴に値する意見を表明されるものだ。

ネット上では匿名ブログや匿名コメントの場合は、言葉遣い等が粗雑になり、議論の質が落ちる、といった意見がある。確かにそういう傾向はある。ただ、乱暴で礼節を欠いた物言い等々は、現実社会にも相当数にわたって存在するのであって、ネット上だけの特殊な出来事ではない。実際、議論に加わる人数が増えれば増えるほど、議論の内容は散漫・希薄になり、過激な言葉のみが力を得ていく状態に陥りやすい、そういった事柄は、私たちが現実の種々の場で、毎日のように見ているハズなのだ。

むしろ、問題があるとすれば、ネット(ブログ)の場合、ネット人口・ネット使用層が、現実の社会層とどの程度乖離しているかいないか、定かには分からないことにあるのではないか。しかも、ネット上では、1人が何人にも化けてしまうことが可能だ。もちろん、現実社会の新聞やテレビ等にしても、それらをいくら読んで眺めたところで、現実社会のどの程度がAならAという意見を持っているのかは、定かには把握できない。しかし、ネット閲覧は多くの場合、自分のお気に入り・自分と似た意見を軸にサーフィンするケースが(たぶん)相当に多いであろうし、そうであれば、なおさら、自分の意見がネット上では多数であるとの錯覚に陥りやすいのではないか。(技術的なことは素人で実際は違っているかもしれないが)なぜなら、ネット上ではどこでどんな意見が出されているか、そのトータルを「量」で測ることは非常に困難と思われるからだ。

で、もう一つ。おそらく、ネット上で意見等を表明する場合、それが信頼に足りうるかどうかは「氏名」としての「実名」ではなく、当人の属性ではないか。「山田太郎」「スズキイチロー」「山田花子」といった氏名よりも、「30歳、エンジニア、東京都」「27歳、JRの電車運転士、四国」「35歳、花卉農家、北海道」といった属性の方が(もちろん、もっと詳しい属性であっても良い)、はるかに大事なような気がする。もちろん、これは現実社会でも似たようなものかもしれない。例えば、何か原子力技術のことが話題になっているとき、人は農家よりは原子力技術者の話に耳を傾ける。花の作柄については、原子力技術者よりも花卉農家だ。

ただし、自らが「取材者」として、ネットを一次情報の発信の場に使う場合は、間違いなく、実名ブログの方が良い。山岡俊介さんの「ストレイドッグ」などは、その好例ではないかと思う。
by masayuki_100 | 2005-05-24 03:04 | |--世の中全般