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ニュースの現場で考えること

報道企業の寡占化、その先は−。

大した根拠は何もないが、いよいよ、「帝国」の姿が見えてくるのかもしれない。朝日新聞社と読売新聞社が共同通信社との契約を解除するというニュースを見て、そんな気分が増している。一部報道機関によれば(笑)、ニュースの概要はこうだ。

<共同通信社は12日、朝日新聞社と読売新聞社から、外信ニュースとスポーツ記録の配信契約解除の申し入れを受けたことを明らかにした。共同通信社によると、解除の理由を「第一に経費的な理由」などと説明しているという。両社は1952年に一度、共同を脱退。その後、強い要請により、共同加盟社の承認を経て、1957年から「契約社」として外信記事の提供を受け、スポーツ記録の配信などに契約を拡大してきた。>

スポーツ記録も外信ニュースも、共同通信にとってはいわばドル箱である。とくに国内外の小さな大会にまで目配せするスポーツ記録は取材やデータ整理に手間暇がかかり、これを新聞社が単独でやろうとしたら、たいへんなことになる。「でも、そんな記録の配信はもう要りません」ということだから、両社にはメディアの将来について、別の確固たる姿が見えているのだろう。

あちこちの講演などで頻繁に喋っていることだが、昨今の新聞の凋落は、どこもかしこも一様にそれが生じているのではない。全体としての凋落=部数減少は間違いないことだし、その趨勢が止まることはあるまい。将来も新聞「紙」が生き残るにしても、今のような膨大な部数が日本列島に残るはずはない。

そうした趨勢は間違いないのだけれど、業界全体が没落する中では当然、そのスピードや深度に差が出る。弱いところほど早く没落する。比較優位の会社は、没落した会社の優良資産を食っていく。合従連衡、業界再編の、よくある話である。だから、読売にしても朝日にしても、自社で通信社機能を確保しながら、あるいは数年前に言われたように、時事通信社を巻き込んで3社で新しい通信社をつくるという話も十二分にあり得る。つまるところ、方法はいろいろあるにしても、強い会社は弱い会社を、とりわけ弱い地方紙を食っていくだろうということだ。食べ方はいろいろある。子会社化、系列化、印刷・輸送委託などの業務提携‥‥。いろんな駆け引きや強圧が繰り返される中で、あと5年もしないうちに、全国の新聞はほとんどが、どこかの中央紙の系列になっているかもしれない。

そして、もうすぐ価格競争が始まる。ご存知の通り、新聞は再販価格維持制度の枠に守られ、価格競争からは無縁の世界に長らく住んでいた。しかし、これもそろそろ終わりである。TPP推進の大波の中で、多少の紆余曲折はあるにしても、おそらくは強い新聞社が率先して、「新聞も例外ではありません。これからは紙面内容だけでなく、価格でも正当な競争をしなければなりません」と言い始めるに違いないと思う。実際、強い新聞社は価格競争に備えて、経営資源や体力を十二分に貯えている。上下左右を見渡しながら、価格競争に打って出るチャンスをうかがっているはずだ。関東圏や近畿圏、北九州圏などで本気の価格競争が始まれば、弱い新聞社はひとたまりもあるまい。弱い新聞社は地方紙だけではない。「**新聞」という題字は残っても、その実は全国紙の系列に過ぎないという例は、間もなく巷に溢れかえるだろう。

新聞業界の合従連衡は、ほかの業界と同様、弱肉強食で進むのだ。そして、銀行業界がそうだったように、いくつかのガリバーの誕生である。しかし、金融のガリバーと報道のガリバーは、社会に与える意味合いが大きく異なるはずだ。巨大企業になれば、商品メニューは多様化するが、メニューの多様化と言論内容の多様化は同一ではない。メニューがやたら多くても、素材の数は限られているなどという話は、それこそ外食産業にはたくさんありそうだ。

私は予想屋ではないし、その能力も資格もないが、これだけは断言していいように思う。メディア業界の今後の合従連衡は寡占化のプロセスであり、報道の寡占化とは、報道の多様性を失うプロセスである。寡占下では、媒体の数や種類に多様性があっても、報道内容の多様化には直結しない。報道を担う者の多様性を、報道内容の多様性をどう担保していくか。そんな事柄が近い将来、今よりもっと大きな論点になるに違いない。
by masayuki_100 | 2011-12-14 13:44 | ■2011年7月~ | Comments(0)