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ニュースの現場で考えること

「調査報道をどう進めるか」の論点

日付が変わってしまったが、3日は「調査報道をどう進めるか」というシンポジウム(東京・上智大)に出席してきた。私は基調報告を、シンポの登壇者は、朝日新聞特別報道部長の依光隆明さん、共同通信編集委員の太田昌克さん、元NHK記者で東京都市大学教授の小俣一平さん、上智大学文学部新聞学科教授の田島泰彦さん。私もディスカッションに加わった。

この種の催しでは、言いたいことの半分も言えない。議論を混線させてはいけないし、言いたいことを抑えて前の方の発言を引き継ぐこともある。3日のシンポもまさにそうだった。だから、ここで少し補足をしておきたい。

調査報道はその定義付けから始まって、方法論やら何やら論点は多種多様である。あれこれ話し始めると、きりが無い。だから、基調報告では「調査報道を阻むもの 当局との二人三脚をいかに断ち切るか」と題したうえで、さらにピンポイントで語った。その概要、および会場で話しきれなかった内容をまとめると、言いたいことはだいたい以下のような内容だ。

*日本の調査報道は端緒をつかんで取材を始めても、途中で警察や検察にその取材ネタを「事件にしてくれ」として持ち込むことが少なくない。いわゆる「持ち込みネタ」である。
*捜査当局が立件に向けて強制捜査に着手する際、「持ち込みネタ」は着手の時期や概要を優先的に教えてくれる(ことが多い)。この形が従来は「大スクープ」として組織内・業界内で評価されてきた。あるいは独自取材の結果を記事にする直前、捜査当局に内容を伝え、「この疑惑は捜査当局も把握している模様だ」などと書く。
*自社の調査報道が途中で「捜査」に化けるのである。当局のオーソライズがないと、書かない・賭けない文化がここでも醸成されてきた。当局との「癒着」「二人三脚」の典型でもある。これを繰り返していると、取材の最後の詰めを自社で担うことがない。肝心の取材力が育たない(持ち込みネタの問題点はほかにもあるが、割愛)。また、そこには「捜査当局も恣意的である」という視点がない。
*こうした背景には、当局との距離があまりに近すぎることがある。また、スクープに対する組織内評価の基準の曖昧さもある。行政などの動きを先取りする記事、やがて発表されることを半日早く記事、そして独自の調査報道記事。それがすべて「スクープ」として同列に評価されてきた。当局とべったりすることで得られる「発表の先取り」さえも、同列かそれに近い評価だった。

*日本の新聞社は記者クラブに記者を貼り付けすぎ。人員も固定化している。記者クラブの配置も固定化している。世の中の変化に対応できていない。記者クラブのない行政組織、その関連分野は日常的な取材網からこぼれ落ちている。たとえば労基署には記者クラブがないから、労働紛争に関する記事が少ない。その関連の調査報道も少ない。
*当局と寄り添って報道組織内の階段を駆け上った人が幹部になってしまった(それだけ大手ディアは年数が経過した)。また日本の新聞は、例えば戦前に朝日の筆政(現在の主筆)だった緒方竹虎が、戦時中は情報統制を行う政府の「情報局」総裁になり、戦後は自民党の政治家になったように、元々が権力と親和性が高い。そういう組織がすでに半世紀以上も形をほとんど変えずに存続したために、報道組織はすっかり保守化、官僚化した。官僚化とは、前例踏襲、事なかれ主義となって現れる。デスクや部長、あるいはその上の幹部はいよいよリスクを取ることに臆病になってきた。

で、以下は「では、どうするか」の話。レジュメは用意していたが、この部分は時間が無くて十分に話すことができなかった。以下、レジュメの項目を列挙してみる。

(1)速報機能と取材機能の分化
(2)記者クラブへの過度の配置をやめる。「記者の自由化」を。
(3)「分かった」だけがニュースではない。「分からない」でも書く
(4)取材過程の透明化。安易なオフレコ(非公式懇談)の排除。情報源明示
(5)調査報道に対する正当な評価を。組織・業界の内外で。
(6)「個人の良心、熱意、志」を保障する組織的態勢

このうち(2)の要点は、記者をなるべく放し飼いにせよ、ということ。この点は当ブログでも再三書いてきたので省略。

(3)は「分かった」=「当局のお墨付き」がなくても、どうやったら書くことが出来るか、その工夫と努力が必要ということ。だいたい、世の中の事象はそうそう簡単に分かるものではない。何か変なことは起きているが、その意味が分かっていないという事象は数多い。それを無理して「分かった」形式で書こうとすると、当局のお墨付きに寄りかかる結果になり兼ねない。

(6)は個人の能力や情熱にだけ寄りかかっていては、調査報道は発展しない、ということ。仕事として取材をしている以上、調査報道にかかわる記者個人の能力やスキルを最大限に引っ張り出す組織的な態勢が必要になる。それがないと、持続的な調査報道はなかなかできない。

時代は流れている。シンポの会場では「それでも調査報道は新聞が中心」という声があった。今はそうかもしれない。だが、将来、新聞紙がどうなるかは分からない。いずれにしても「紙」の比重は減る。私自身は「紙も出しているニュース会社になる」というイメージがある。

ただ、組織の事業内容や伝達手段がどうであれ、調査報道を実行できない報道組織は価値がどんどん減じていく。それは間違いない。だから、報道する側の立場としては、調査報道のノウハウをどう(組織の枠を超えて)伝えていくか、過去の報道態勢を再検証し何を捨て何を残すか、組織をどう柔軟にしていくか、などが何よりも重要だと感じている。

会場でも短く語ったが、「記者の自由化、報道組織の多様化・柔軟性の確保」がポイントだろう、と。そう感じている。

今回は十分な時間がなかったうえ、論点の違う話が次々と出てくるなどしたため、散漫になってしまった。登壇社の1人として、その点は反省している。だから、なるべく早く、もっと論点を絞った、よりよい議論の場を再び持ちたいと考えている。
by masayuki_100 | 2011-12-04 02:31 | ■2011年7月~