人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ブログトップ

ニュースの現場で考えること

道警元総務部長氏との裁判 26日に控訴審判決

適切な、いい名称を思いつかないので、「道警裏金本訴訟」と呼んでいるが、北海道新聞の道警裏金報道に端を発したその裁判の控訴審判決が、来週26日にある。札幌高裁で午後1時10分からだ。被告の1人である私も記者会見を行う。

会見は午後3時半から、札幌弁護士会館5階の会議室にて行う予定。もちろん、札幌司法記者クラブ加盟者以外も歓迎である。ただし、会場はそう広くないので、ご容赦を。

この裁判の一審原告は、北海道警察の元総務部長・佐々木友善氏。

被告は北海道新聞社、講談社、旬報社、裏金問題取材時の道警担当キャップ佐藤一記者(現・編集局編集本部、ちなみに彼の名前は、ハシメと読みます。シは濁りません)、それに私・高田。また、ジャーナリストの大谷昭宏氏、作家の宮崎学氏が補助参加人として、裁判に加わっている。また、高田、佐藤は個人で、清水勉、安田義弘、喜田村洋一の3弁護士(以上東京)、および市川守弘弁護士(札幌)の4人の弁護士と代理人契約を結んでいる。

裁判の経過は、ここを見ていただければ(長いけれども)分かると思う。 → 「市民の目フォーラム 北海道」の特設ページ 北海道警察VS北海道新聞

訴訟の本筋とは多少ずれるが、この裁判に関し当事者として特質したいことを何点か書いておきたい。



一つは、原告の佐々木氏が法廷において、「自分は裏金の存在を全く知らなかった」と言い続けていることである。そして、一審判決はおおむね、それをもとにして成り立っている。

北海道警察の組織的裏金作りは、2003年11月に発覚した。当初、道警は「そんなものはない」と公言していたが、元釧路方面本部長の原田宏二さんらの実名告発、北海道新聞のキャンペーン報道などもあって、道警は1年余りの後、組織的に裏金を作っていたことを認めるに至った。佐々木氏はその問題が発覚した当時の総務部長。ノンキャリアではトップの地位にあり、、議会対策、マスコミ対策の責任者でもあった。

その道警の内部調査(不備は多いが)の報告書において、道警は平たく言えば「幹部はみんな裏金作りを知っていた」と言っている。北海道議会においても、道警側は最終的に、幹部はみんな知っていましたという趣旨の答弁を行っている。ところが佐々木氏は、「裏金はまったく知らなかった」と法廷で何度も証言しているのだ。すでに多くの人が知っている通り、警察では裏金を扱わずして幹部にはなれない。幹部どころか、警部にもなれない。それからすれば、ナンバー2まで上り詰めた佐々木氏が、裏金を知らなかったということは有り得ない。

万万万が一、本当に知らなかったとしたら、組織人として、いったい組織の何を把握していたのか、ということになる。あるいは、道警があれほど裏金に汚染される中、それに全く手を染めなかった、まことに稀有な、清廉な警察官だった、ということになる。後者であれば、警察官の中の警察官、というほかはない。

いずれにしろ、佐々木氏が真に裏金を知らなかったのだとしたら、先輩や同僚、後輩たちが寄ってたかって作り上げた「組織的裏金」には、非常なる義憤を抱いているはずであるから、記者のみなさんはぜひ、それを取材してもらいたいと思う(佐々木氏も控訴審判決当日、記者会見を行うと聞いている。司法記者クラブで、午後3時から。私たちの会見より若干、開始が早い)。

話題は代わって2つ目。この裁判では、マスコミ対応を誤った佐々木氏が「上司たる道警本部長に叱責されたかどうか」が争点になっている。われわれの出版物には、叱責されたと記しているが、佐々木氏は「叱責されていない。なのに叱責されたと書かれたことで、自分は能力のない男だと世間に思われた。それは名誉棄損だ」と、まあ、簡単にいえば、そう主張している。

佐々木氏に対する叱責は、当時、道警内で一時、結構話題になった。そして、記者は本部庁舎内の総務部等を巡回取材している中でそうした話を聞いたのだと、そこまでは法廷で明らかにした。

すると、一審の途中で佐々木氏(すでにOB)は当時の総務部等の関係職員全員約40人(=つまりかつての部下)に対し、ヒアリングを行い、「そんな話、叱責のことなど当時聞いたことがない」と言わせたのである。警察は民事不介入だと思っていたし、公務員・官公庁が民間同士の民事訴訟の片方に対し、全面協力するなどとは信じられない話である。通常、こうした回答を道警の一職員が勝手に行うことは有り得ない。すべからく上司・組織の了解を得て行われる、というのが常識である。

実際、試しに、私たちの代理人・清水弁護士が同じように、当時の関係職員に聞き取りを行うべく、書面をそれら各人に発送したところ、回答は1人からしか来なかった。つまり、道警は、その大幹部だった佐々木氏には協力するが、単なる民間人には協力しないということだ。

で、3つ目は、裏金報道が終焉に向かっていた2005年初夏以降の、北海道新聞編集局幹部と佐々木氏による「裏交渉」のことだ。

この裏交渉、わたしは日本のジャーナリズム史上に残る汚点だと言っている(似たようなことは、水面下においては、実はありとあらゆるメディア企業と権力との間で起きてきた・起きているのかもしれないが)。それらを余すところなく示した「甲84号」という証拠については、月刊マスコミ市民4月号の対談において明らかにした → その全文はここに。

この証拠は佐々木氏が法廷に提出したもので、提訴前、佐々木氏と北海道新聞幹部が、いろいろと、陰でこっそり、取引しようとしていました、という話である。それを公安畑だった佐々木氏が隠し録音し、文字に起こし、テープと一緒に法廷に出した。もちろん、私は当時、そんなことはまったく知らされてもしない。その後、どうしてこういう交渉が行われたのか、当事者の高田・佐藤に直接説明してくれと会社には何度も求めたが、なしのつぶて状態である。

甲84号は、録音なしの、単なるメモもあるが、交渉は実に法廷に出されただけで36回分もある。(おそらく本当の交渉はもっともっとあったはずだ。で、北海道新聞社側も佐々木氏もどの交渉記録が法廷に出ていないか、分かっているはずだ)。甲84号には、細かな社内事情なども出てくる(というか幹部らが勝手に社内情報を佐々木氏に湯水のごとく漏らしているだけなのだが)ので、そのままの形ではなかなか公表しにくいが、判決後は何らかの方法で公表したいと考えている。もっとも、ハードコピーにすると、A4判で暑さ20センチ超くらいになる。

裏交渉発覚当時の激しい憤りは、時間が経過するにつれ薄れてはきた。しかし、裏交渉記録を読むと、今もため息の連続だし、当事者に対し、なんというか、哀しい感じすらしてくる。

佐々木氏に向かって、「北海道新聞の顧問になってほしい」とか、「(提訴するにしても)あらかじめ北海道新聞がどこまで負けるか決めておきましょう。出来レース裁判をやりましょう」とか、「早く高田を訴えてくれ、そしたら佐々木さんに協力する」とか、、、、という感じである。宮仕えも極まれり、である。そういう人たちも、今もそれぞれの立場で「こんな記事を書け」「こんな報道が必要だ」と、おそらくは語っているのであり(なにせ裏交渉当時の編集局長は現在、札幌のテレビ会社の社長だ)、そう思うと、まったくもって、やれやれ、である。
by masayuki_100 | 2010-10-22 13:19