ブログトップ

ニュースの現場で考えること

ネット(ブログ)は新聞を殺すのか

いったい、既存メディア(主に新聞やテレビなどの大手マスコミ)と、ブログなどのネットは、これからどうなっていくのでしょうか。「ネットは新聞を殺すのかblog」などに刺激されて始めたこのブログ(「札幌から」というタイトルが安直でイマイチだったと後悔してますが)も、そろそろ3か月になります。

この間、私がぼんやりと感じたことを、ランダムに記してみました。ただし、あれこれと書きなぐったもので、備忘録のような感じです。従って、結論はありません。内容も整理されていませんし、重複や矛盾もあります(その時々で考えたことを手元で追加していたので、そうなってしまいました)。また、この内容は逐次、追加していくつもりでいます。

************************************

<1>
何を報道すべきか、いま必要な記事・番組は何か、といった「ジャーナリズム」を語る人は、残念ながら、ネットやブログの実情・将来性にあまり考えを巡らせていない。媒体(=情報伝達手段)への関心が総じて低く、「良いものを書いてさえいれば、これからも自分は良いものを書きつづける場が保障されている」かのように感じている。もちろん、良いもの(それが何であるかの議論は置いておく)を出し続けることは非常に大事であり、かつ努力が必要だが、報道すべき内容(つまりコンテンツ)は、媒体の種類によって、内容や表現方法が制約を受けるとの認識が薄い。

<2>
新聞は(テレビも)日本に残った数少ない護送船団方式の業界である。新聞は再販制度と価格の横並び、テレビは放送免許。そして、いずれも印刷工場や放送設備などに莫大な費用がかかり、小回りが効かない。例えば、新聞社は、印刷設備の能力向上・増強によって、どの社も増ページやカラー化に邁進し、その結果、薄味の報道が増えていく(記者の数は増えていない。マンパワーには限界がある)。

そもそも、一つの新聞、一つの電波で、政治から経済、暮らし、文化、番組欄、社会、事件事故等々、すべての情報をパッケージにして売る方式は、もう限界に達している。情報の受け手は、欲しい情報だけを欲しがるのであり、不要な情報をいわば「押し付け」「抱き合わせ」で売る手法は、支持を急速に失っている。



<3>
さらに、情報の「出所」の問題がある。新聞やテレビに流れる情報の一定程度は、官公庁や公的団体、大企業等の「発表もの」「発表の加工」「発表+独自取材のアレンジ形」である。最近の数字は知らないが、1996年ごろの大手3紙の記事分量を比較すると、「発表もの」「その加工」「政治家の番記者によるもの」が6割を占めていたという(岩瀬達哉氏「新聞が面白くない理由」)。記者クラブを取材拠点とし、役所等と同じ目線で記事を書いていることが多いわけだから、発表ものが増えるのも当然の帰結だ。

こうした情報発信を可能にしている大きな要因は、記者クラブ制度である。記者クラブには確かに、報道する側が一緒になって、関係当局に情報開示を迫る「圧力団体」としての機能、さらには取材活動によってフリー記者らが不当な扱いを受けないようにするための「職能団体」としての機能もある。それが真っ当に機能していたならば、記者クラブはこれほどの批判を受けることは無かったと思う。しかし、実態は、情報独占、関係当局との一体化、部外者の排除等のマイナス行為をひたすら行っているに過ぎない。しかも、そうして独占的に得た情報をコンテンツとしている(=販売している)のだから、記者クラブ制度は利権制度でもある。

長野県や鎌倉市では、首長が音頭を取る形で旧来型のクラブを廃止した。しかし、こうした当局からの動きを待つまでもなく、新聞やテレビは意図的に自ら記者クラブを空洞化(=クラブを主たる取材拠点にしない)させることは、明日からでも十分に可能だ。一方、全国の地方紙の中には、自ら記者クラブを脱会・解消する方向で勉強を始めているところもあるという。

<4>
記者クラブを軸にした発表は、いわば、関係当局等が発表したい・広報したいものを自らに最も都合の良い形で、行われている。ただ、ネットの発達によって、基本的な発表資料はネット上で即時公開する形が主流となってきた。従って、一次資料の伝達や速報性という意味では、ネットの優位性がますます明らかになっているのであり、将来的には、単に発表ものを読みやすくして報じるだけの記事は、新聞では必要性が無くなる。「情報の加工・中間流通」業者としての意味合いが、急速に失われるのは自明である。

<5>
ネット、とくにブログの可能性や急拡大ぶりに着目したメディア関係者も、そういった媒体にどんな情報を乗せれば利益を生むのか、「ネット上ではニュースは無料」という意識が広がった日本において、まだ明確なビジネスモデルを持ち合わせていない。従って、技術には精通していても、なかなか「何を伝えるか」には考えが及んでいない。

そして、一番の不幸は、例えば同じ組織内であっても、双方の人々に接点が乏しく、片方は依然として「ジャーナリズム」のみを、もう片方は「技術」のみを語り続けていることにある。つまり、双方の橋渡し役が不在のように映る。

<6>
ブログは「議論」「論評」には非常に適している。一つのニュース・意見等に対して、各方面からそれこそ重層的に意見表明が可能であり、しかも実際にそうなっている。従って、ある特定のニュースについて、その誤りを指摘したり、批判したり、他の見方・視点を提供したりといった部分では、ブログを上回る技術的な仕組みは現状では見当たらない。良い意味での議論がきちんと続けば、世論形成に相当な力を持つ可能性がある。

ただ、いくつかの問題・疑問は残る。一つは、どういう人々が現にブログに参加しているか、ということ。性別や年齢、職業、地域等々の属性ごとで、当然にネットへの関与度合い、ブログへの参加度合いは偏りが生じているはずである。いま、どの層が熱心にアクセスしているかのデータは知らないが(良いデータがあれば、どなたか、是非教えてください)、社会全般をほぼ正確に反映しているとは思えない。当然、若い世代ほど参加率は高いと思われる。この偏在は今後、どういう形で無くなっていくか、またはいかないか。

<7>
官公庁や大企業等が、自らネット上で情報発信していくスタイルは、今後、急速に増える。消費者や国民に対し、加工されていない情報を直接伝える流れは、減速するはずがない。そして、その流れが強まれば、情報の加工・伝達を担ってきた「情報流通の中間業者」たる既存メディアは、従来の取材スタイルを大きく変えざるを得なくなる。

一方、ネットが急速に拡大しているからといって、現状では、すべての情報がネット上で、(受けてからすれば欲しい情報が欲しいときに)入手できるわけではない。当たり前の話だが、情報は官公庁や大企業などがある意味、集中的に握っている。情報とカネは、たくさんあるところに集まっていく。しかし、当然のことながら、情報をたくさん持っている役所や企業は、自分たちが伝えたい情報しか伝えていない。膨大な情報の中には、伝えたくない情報が大量に含まれているはずだが、それらは当事者の(実に稀な)「善意」でも無い限り、自然には表に出てこない。この隠された情報をどう引っ張り出してくるか、の部分は、既存メディアが今まで以上に積極的に取り組む必要、余地がある。

<8>
神奈川新聞が率先して実行に移した「ニュースのブログ化」は、そのチャレンジ精神は素晴らしいと思う。大手新聞には、まず真似が出来ないだろう。ただ、ブログの持つ最大利点=双方向性をどの程度、生かせるかはなかなか難しい。主な問題点は、以前のエントリ「神奈川新聞のブログについて」を参照。一番の問題は、ブログ等であるニュースに議論が集中しているときは、おそらく記者も取材で一番忙しいと思われることだ。コメント等の対応に追われると、取材部門の足が止まる可能性がある。そりとて、ある程度のリアルタイムでコメント等を返せないと、ブログの利点を殺してしまう。最終的には社内態勢の問題であろうが。

<9>
新聞とネット(ブログ)は、おそらく棲み分けの世界である。おそらく、新聞が(もちろんテレビ等も)向かうべき今後の方向は、大きく分かれば、数点に絞られるように思う。

A 調査報道。表に出てこない、当局等が隠したがる情報等を引っ張り出してくるような報道。

B 解説記事。歴史的背景等を含め、じっくり読ませるもの。ただし、これは筆者が実名であるべきで、かつ、ブログ上も含めて種々の人々と議論する、できることが必要になる。記者クラブを通じて当局等の情報を垂れ流す報道ではなく、書き手の視点をきちんと打ち出したもの。

C 有名人等のストーリーもの。例えば、スポーツ選手もの。本人が自らネットで発言する場合も多いが、質の高い筆者(フリー記者か会社員記者かは問わず)の手によるものは、非常に面白い場合が多い。

D 多様な地域情報の発信。各地域には面白い話題、情報等が埋もれており、それに当事者が気付いていないケースも少なくない。それを発掘して全国に発信する。

<10>
こうした過程で不可避なのは、通信社の国内部門をどうみるか、という問題だ。地方紙は現在、毎年莫大な金を通信社に払い、配信を受けている。しかし、当たり前の話だが、例えば、佐賀県で起きたことは佐賀新聞が、新潟で起きたことは新潟日報が、それぞれ一番詳しい。各県内に配置している取材拠点の数、記者の数、過去の蓄積や人脈などなどは、通信社の支局の比ではない。これまでは、通信社と加盟社は専用のワイヤーで結ばれ、その技術的な制約の上で、配信する側とされる側の関係は成り立っていた。

しかし、これだけ通信技術が発達した現在、通信社をハブとした「ハブ&スポーク」ではなく、それぞれの地域で圧倒的優位値に立つ地方紙が、有機的に連携できれば、通信社の国内部門の役割は大きく変わる可能性がある。地方紙同士が速報もやり取りし、その他のニュースも融通する仕組みができれば、報道内容はかなり変わっていくと思われる。実際、花鳥風月的な連載企画だけでなく、基地問題での連載企画(神奈川新聞と沖縄タイムス)など、ニュース性のある問題でもヨコの「協同」は始まっている。また、ニュース原稿自体を融通しあう仕組み、それを出稿前のメニュー作成段階から行う仕組みも一部で進んでいる。

この仕組みが進んだと仮定すると、通信社の国内部門は東京圏、大阪圏等に特化することができ、全国紙とは違った視点(各地域の興味・関心、事情に配慮等をした形で)、中央発の情報を地方に届けるべきではないか。

もちろん、いくつかの問題は残る。ニュース原稿を融通する際の対価はどうするか(今は微々たる動きなので、たいていは無料らしい)、ミスがあった場合の責任問題(法的にはもちろん、掲載側も責任を免れない)、本州のように県境で双方が部数や報道内容で競争・競合している場合に連携ができるかどうか、おそらく対価の問題を考えればヨコよりも速く進むであろうタテとの連携(タテは全国紙だけでなくポータルも含む)をどうみるか、通信社に社説を依存している場合はそれをどうするか、、、等々である。

一番の問題は、仮に、他地域のニュースをヨコの連携でもらい場合、それはたいてい、全国の耳目を集めるような大事件・大事故であり、そのようなたたでさえ自社の現場が忙しいときに、ヨコの連携に構っていられるかどうか、である。


<11>
既存の新聞社がネットを活用する場合、おそらく最も良い形は、「地域ポータル」をつくることではないか。自社のニュースも、ネット上では、その地域ポータルの一部門とする。そのためには、「ポータル編集部」を現在の新聞の編集部門の傍らに配置し、双方が機能的に動けるようにすべき。できることなら、(関連会社を持っていれば)、テレビ局の取材部門も職場を同一フロア等に置いて近接させ、ニュースや話題の内容によって、瞬時に、機能的に振り分けていくこと等ができれば、良いかもしれない。

*************************************

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。整理整頓されていない内容で、失礼しました。
c0010784_1748527.gif
by masayuki_100 | 2005-03-26 20:32 | ■ジャーナリズム一般